2024年12月11日 (水)

僕のヒーローアカデミア

勧められたので見ることにした。これまで見なかった理由は、

・いかにも少年ジャンプっぽい

・主人公が弱そう

主にこの2点。つまりは、

・マイナスの溜めが多そう

・努力、友情、勝利が面倒くさい

という意味でもある。結果、

 ほとんど予想通り。

アニメを見たのだけど、アニメスタジオはボンズ。ボンズって割とよく耳にするとこだけど、一体何を作ってたトコロだっけ?と調べてみたら、、、

・エウレカセブン
・ラーゼフォン
・文豪ストレイドッグス
・モブサイコ100
・鋼の錬金術師
・ゴジラシンギュラポイント

など。ビックリである。何がビックリって、

 全てちょっと見て止めている!!

つまり、アニメスタジオからして「僕とはソリが合わない」とこだったんだなぁと。誰が監督かも知れないし、決して作画がヒド過ぎるというわけでもないのだけど、

 言っても0.5秒長いは散見される。

ヒロアカを4話ほど見たあと、たまたま僕の体調や気分が、アニメ向きではなかったのかも知れないと思い、

 チェンソーマンの1話を見てみた。

そしたら、、、

 ビックリするくらい「0.2秒長いが無い」!

つまり、見ていて「ここで切り替われ!」と言うタイミングでカットが切り替わる。これはつまり、監督のイメージする理想のテンポと、僕のそれとがガッチリシンクロしているということであり、

 命を無駄使いさせてない

ということ。

作画のクオリティも、正直使い回しが散見されたように思えたヒロアカと違い、かなり贅沢に丁寧に仕上げられていたと思う>チェンソーマン。僕が少年ジャンプアニメが嫌いになったのは、

 ドラゴンボールの水増しにウンザリしたからだ。

冒頭に前回までのあらすじをいけしゃあしゃあと入れてきたり、CM前後で直前のカットをリプレイしたり、「そのくらいいいじゃん」と擁護してくれる人に甘えた作りが、どうにもこうにも鼻に付く。

 鬼滅はその点相当がんばってたとは思うけど。

アニメの内容的には、やはりというかまんまとというか、

 主人公がいじめられっ子だったり、冴えなかったり、よく泣いたり、見た目がかっこ悪かったり、裏付けもなく蛮勇に走ったり、

 ヒーローに必要なものは勇気!

と僕が小学3年生くらいなら派手に食いついたであろう、手垢の付いた御旗を振りまくり。

もちろんそれが上手くしっくり収まることもあるのだけど、正直そこまでには至らなかった感じ。

では逆になぜ4話まで見たのか。確かに途中からはサクサク10秒飛ばしをするようになったけど、、、ちなみに10秒とか30秒飛ばすという行為を、作品を冒涜するとして揶揄する人が「普通に居る」と思うけど、

 例えば僕が10秒飛ばしたシーン。その後の展開で、その飛ばされたシーンが果たして非常に重要であったのか、重要であることを後悔させたのか、という話。

飛ばしたことで当然見てないシーンやセリフが存在しうるわけだけど、その後の展開に一切の違和感も疑問もないのであれば、

 そのシーンは即ち不要であったということ。

不要であるシーンを入れる、入れたということはつまりは、

 原作者や監督の価値観やセンスや力量が、僕の期待するソレとは違うということ。

あえて上から言わせて貰えば、僕が「飛ばしたいと思わないような作品」の多くは、世間一般から大きく評価される大ヒット作が多い。つまり、僕の感性がそこまでマイノリティに染まってるわけではないと思うのだ。

 誰か気の置けない友人知人と一緒に見てみたいものだと思う。

そして僕が飛ばしたとき、もしくは「飛ばしていい?」と聞いた時に、果たしてどれだけの人が、「本当に飛ばしたくない」と思うのか。

 「飛ばしながら見る」と言う行為の不自然さ、イレギュラーさを、みんなは知らず知らずのうちに甘受しているだけじゃないのか?

録画した番組のCMを飛ばす人は少なく無いだろう。それはなぜか。CMには驚きや興奮や、想定外で有益な情報が含まれていないと確信しているからだ。

 僕がくだらないパートを飛ばすのも同じだ。

この流れ、この監督、この空気で、本当に飛ばさないで見る価値がある10秒がこのあと流れるのか。

 否!

前回のフラッシュバックが始まった瞬間に10秒飛ばしたとする。そして再開したシーンがまだフラッシュバックだったとしたら、その10秒にどれほどの意味や価値があるのか。

もちろん一週間に一回のリアタイ視聴で、前回を見たのも録画じゃなく、今回まで一度も再視聴してないというのなら、百歩譲って忘れていることもあろう。

 だがそうじゃない。ついさっき見たばかりなのだ。こっちは。

てかなんだか妙に熱くなってしまったけど、ヒロアカはそこまで10秒飛ばしが多いというわけではない。その前に見てた「それがいる森」のひどさをスライドして書いてしまった感がある。失敬。

話を戻す。

なぜ4話まで見たのか。それは、トップヒーローであるオールマイトが、

 相当良かったから。

パッと見は、ワンパンマンに出て来るブラストみたいなキャラかなぁと思ったのだけど、

 普通にイイヤツ。

特訓に多少の無茶や無理があるのは折り込み済。ところどころ出て来るサブキャラも、「のちのちマブダチ的なとこに行きそう」なニオイがして悪くない。

てか、

 たぶんマンガの方から入ってたら、ガッツリ読んでたかも知れない。

結局アニメスタジオの「ソリの合わなさ」が、そのまま視聴し続けるモチベを削ってくる。てか、普通に思った。

・チェンソーマン
・ワンパンマン
・怪獣8号
・鬼滅の刃
・呪術廻戦

先々のことはともかく、初速という意味で、これら5作品よりもヒロアカが優れているとは、僕には思えなかった。もちろん好みもあるし、最終的にどうなるのかはわからないけど、

 辛かったり苦しかったり切なかったり重かったりと言った「負の感情」にアプローチする演出は、

 あんま要らない。

チェンソーマン一話を見返していて、主人公はかなり辛く苦しい立場なはずなのに、結構達観していて、開き直っている。そして、

 強い。

僕は「弱者が強くなる」という話より、

 「最初から強い者がさらに強くなる話」が好きなのだ。

もしくは、「序盤で一気に強くなる」話。

ドラゴンボールもはじめの一歩も、マッシュルも北斗の拳も、

 主人公が最初から才能があり、強い作品はいくらでもある。

※一歩とかホント一瞬で強くなるもんね

何つか、紐解いてしまえば、僕が子供の頃から結構大人びた考え方を持っていたのかも知れないとも思う。

 小学5年生ともなれば、残りの人生について考えて当然だろ、みたいな。

だから、子供が子供らしく「甘えて、愚かな行為をする」ことに、結構抵抗がある。

 子供はそんなにバカじゃないだろうと。

大人が決めつけた「子供像」に、勝手にフィットさせているだけじゃないのか、みたいな。

ヒロアカの主人公みたいな子供は、実際には居ない。当たり前。でもそれは他のフィクションでももちろん同じ。重要なのは、そのウソを、気持ちよく受け入れさせるか、させられないか。それはつまり、

 受け手側(つまり僕)の経験や価値観にも依存する。

楽しめる人を否定するわけじゃない。ただ、僕の過去は、ヒロアカを全面肯定するようには積み上げられてなかったな、と思った。

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