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2005年7月10日 (日)

素人向けのゲーム

過去ことあるごとに「女の子向け」や「初心者向け」のタイトルについて考えていた僕ですが、今日もおもむろにPSPを通じてパートのおばさんにゲームをやらせる機会がありました。手元にあるのはファミコンとPCエンジンとGB。全て実機も持っていて自分の大好きなタイトルばかりですが、さて、ここで問題です。何を遊ばせれば楽しめるのか。

以前DSを買ったときは、間違いなく「女の子でも楽しめる」手応えを感じました。直感的な操作方法、わかりやすくシンプルな画面、すぐさま結果が出て、上達の実感もテンポ良く早い。ある意味「ニンテンドッグス」が出る前に「出たら受け入れられる」器を感じたモノです。たぶんリッジレーサーがUMDスロットに入っていたら、それもまた受け入れられる可能性を持ったソフトであったでしょう。

 しかしスロットには煉獄が。

念のために申しますが、「煉獄」はとてもいいゲームです。PSPと一緒に買ったタイトルで、ある意味ネバーランドカンパニーの煉獄がやりたくてPSPを買ったほどです。でもこれほど初心者に向かないゲームもないというゲーム性。じゃぁ何を勧めるのか。

 スーマリか?テトリスか?ギャラガか?

そんな選択肢を考えつつ、冷静に分析していったところ、素人にとって「一番重要」なのは、操作→結果が早くわかりやすいこと。「何をしたからこうなったのか」「どうするとどうなるのか」が長く複雑だと、自分が何をやっているのかわからなくなる。何をしているかわからないゲームで面白さを感じるわけがないのです。DSの「さわるメイドインワリオ」や「ニンテンドッグス」もそうした「操作→結果」のわかりやすさが素晴らしいからこそ裾野が広がる。

でもそれはある意味非常に難しい命題でもあります。「わかりやすさ」とは「単純」と表裏一体。重要なのはそこに「楽しさ」を織り込めるのか。そして「継続させるためのトリガー」を組み込めるのか。

まぁ後者はさほど重要ではないのかも知れません。それは、凄く面白いゲームを遊んだ後に、「短さに対する不満」が面白さを凌駕するケースは非常に少ないと思うからです。「面白かった」というプレイ後の感想は何より重要なのです。

 ここで少し余談です。

先日ユーゲーというゲーム雑誌を買ったところ、「日本ファルコム」の特集がされていました。そこで「YS」というゲームが「高難度主義に異論を唱え、プレイヤーを物語の中へ導いていくスタイルをもたらした」とありました。もちろんそれは当時のパソコンゲームの破格なまでの難度に対する比較であって、今のライトユーザーが「YS」をプレイしたところで、それほど易しさを感じることはないかもしれません。要は比較、体感の問題なのです。

レボリューションがゲームの異質で新しい体験を創造してくれるとしたら、そこでキーワードになるのは、間違いなくそうした「異次元の優しさ」であるのではないかと僕は考えています。ネットに関しても「繋いでいると意識せずに使える」ことを唱えていましたし、ファミコンなどの過去のハードのタイトルを遊べるようにするのも、そうしたゲームに対する抵抗感を払拭させるためのステップでしょう。

スーパーマリオをプレイしたパートの女性やバイトの女の子は、「絵がちゃちい」ことに関して一言も触れませんでした。十字キー以外二つしかボタンを使わないことにも不満はなく(むしろ開始時にスタートボタンを押さなければならないことに抵抗があったくらい)、ノコノコのかわいさや、キノコを取って大きくなって、そのあとクリボーに触って小さくなるマリオに一喜一憂してプレイをしたのです。

あの頃の楽しさがもう一度味わえるとしたら、、、レボリューションの未来は、案外そんな素人さんの中から生まれるのかも知れませんよ。

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