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2005年8月31日 (水)

最近の僕

楽しめるゲームが随時ある、というのは非常に恵まれた状況だと言えるでしょうな。昔(と言っても5年くらい前)までは「毎月最低でも1本はゲームを買う」という暮らしが10年以上続いていたのですが、最近はホント数ヶ月買わないこともあるくらいで。

でもやるゲーム(この場合はモチベーションが得られる魅力のあるタイトル)があるというのは生活のリズムが変わることでもあります。朝起きて仕事に行き、昼飯に一時帰宅して1時間ほど昼寝を取り、夜8時半くらいまで仕事。晩飯を食べ子供たちとコミュニケーションを楽しんだ後、大体10時くらいからプライベートタイムが始まります(※夏休み中は子供の就寝時間が1時間遅れなので11時くらいから)。

自分は割と「1分刻み」で生きるタイプの人間ですが、この夜の時間の流れに限って言えばかなりルーズです。っていうか「ボーッ」としている時間は全くないのですが(ボーッとするくらいならその場で寝てる)、常にバックグラウンドでタスクが進行していないと「損した気になる」んですよ。エンコードでも焼きでもいいから。

だから経験値稼ぎをする時は出来る限り音楽やらラジオやらを流すようにするし、録画した動画を見るときはまず間違いなくCMは飛ばします。ある意味こうしてブログを書く時以外はなんらかのタスクと平行してやってると言っても過言ではありません。

しかし、そうして高密度ではありながらも「ダラリ」と時間を流すと、これまた「あっちゅう間」に時間が流れます。おもむろに時計を見つめ続けて「1、2、3、」と数えて見たら案外20秒くらいで1分過ぎるんじゃないかってくらい時計の動きが早い。ハイテンションで駆け抜けるように書き込んでいればそれはそれで1時間で6kくらいはイケるのですが、なんとなくゲームやったり雑誌見たりすると、ホント時間が「もったいなく」過ぎてしまう。

精魂込めてゲームをするのがいい、というわけじゃないけど、やはり結果が残らないのは味気ない。アドルが山盛りたくさんの冒険譚を残したように、僕の分身であるクリスもまたたくさんのRPGを踏破してきました。そうした結果が、常にアグレッシブに向かい合って時を経てなお語ることが残るような、そんな時間の使い方、ゲームの仕方がしたいと思う、最近の僕なわけです。

今日はそんな僕が(こっから本題かよっ!)過去一番精魂込めて戦ったゲームの思い出(かなりうろ覚え)を話したいと思います(と言っても短いですが)。

それは確かロマンシングサガの1か2だったと思います。あのゲームは「そのチャンスを逃すと手に入れられない」というアイテムや武器が結構豊富で、2度、3度と繰り返しプレイすることがある意味前提となっている作りだったのですが、僕は性格上、まず1回のプレイしかしません。そこで出来る限りギリギリまで鍛え上げ、収集し、満腹の上でラスボスを倒してエンディングを迎える。それが僕の至上のゲームスタイルなのです。

そして僕は「特殊効果のある武器」が大好きだったりします。ましてやそれがビジュアルで表現される強力なワザであるような場合は、是が非でも手に入れたいタイプの人間です。むしろその為の犠牲は犠牲でなく、その為に費やした時間はどんなに長くても

 全く無駄じゃない!

と思えるタイプの人間です。ええ、例えレベルが1つも上がらず、ストーリーも一切進まず、リセットを繰り返すだけで僅かな可能性に祈りを込めて坦々と作業を繰り返したとしても・・・。

 僕はカラドボルグを手に入れるのに5時間その場から動きませんでした

我ながら感心する。いやマジで当時の自分の情熱に驚嘆するし、賞賛もする。ゲームとはそうでなくてはならない、とさえ思う。本気で対峙し、尽きぬ情熱で岩をも通さなければ、本当の楽しさはきっと見えてこない。いや別に5時間耐えろって言うんじゃないけどね。じゃないけど、、、そうすることでしか見えないものもあるかもよ、って言う。

今やってるドラキュラは敵から「ソウル」という非常にうまみのあるアイテムが手に入る。確率的には非常に低いもので数百匹に1個。そしてそのカテゴリ次第では「9個」集めることでグラフィックも含めた効果が変わるものもある。っていうかかなりある。

 集めいでか!<訳:「集めずにはいられようか、いやいられまい」

淡々と画面を切り替え敵を出現させては倒すことを繰り返す。それが楽しいのかと問われれば、僕は胸を張って「もちろん」と答える。

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コメント

最近でこそ1回しかプレイしないことが多いのですが、昔の自分は「1回目は様子見プレイ。2回目こそは本番。」というプレイスタイルでした。
当然1回目のプレイで打ちのめされるような体験をした場合は1回こっきりですが、当時はその率が非常に少なかったです。ある程度クソゲーと思っても、2回目プレイにはとりあえず手を出していました。そういうゲームの場合は、途中で止めてしまうこともありましたが、多くのゲームにおいては情報を集め、攻略本を用意しての完全プレイ。もちろん確率で手に入るアイテム等も、なるべくコンプするように努めます。それでも納得いかなかったときは3回目、4回目プレイを行い、最終的に最大レベルまで上げるとか、よくやっていました。


まあ最終プレイ時はクリスさんと同様?のプレイスタイルになるので、その前の数プレイ分は無駄のように思われるかもしれませんが、


全くの無駄ではない!


と自分も思うのです。
そしてまた当時の自分の情熱と気合いに、クリスさん同様感心するのでした。
面と向かって「それが面白いか?」と聞かれると胸を張っては言えませんが、心の中では「当然!こんなに面白いことはない!!」と言い切れます(^^;


あとロマサガの話ですがカラドボルグではなく竜槍ゲイボルグじゃないかなぁ、と思ったのですが、自分ロマサガ1の方はあまり知らないので、確信は無いです。
竜槍ゲイボルグは自分、総合時間にすれば5時間以上竜を倒しまくっていたのですが、全く手に入らず。カセット貸した友人はあっさり入手。「ゲームの神さまは不公平だぜ・・・。」と思ったものです・・・・って、なんか以前どこかで書いたような気がします(^^;

投稿: 竜駆 | 2005年8月31日 (水) 23時40分

コメントどもです。2回目3回目とプレイしたソフトもあるにはあるのですが、いつ頃からかな、ドラクエVかなぁ、とにかくギリギリまでやり込んでいって「燃え尽きた」感覚を味わってからですかね。あんまし2回目にモチベーションが上がらなくなったのは。タイトルで言えば「クロノトリガー」なんかは、絶対2回目以降が楽しいゲームじゃないですか。でもやっぱエンジン掛からなくて数回やったにはやったけど、あんまし楽しめなかったりしましたね。
※逆に最も最近でセカンドプレイでもエンディングまで到達したっていうと・・・ピクミンくらいかな(^^;。あれはとにかく動かしているだけで楽しかったですからね。細かなところまで覚えていなくても十分クリア出来るし、個々のシーンごとに攻略する必要もあるから、結構何度も楽しめるかも。


>その前の数プレイ分


無駄なんてとんでもない(^^。僕もそうやって楽しめるなら、絶対その方がいいに決まってると思います。だって手強い敵を倒す課程の「質が違う」。苦労してパターンを見いだしたり、「今度は覚えてろ!」という気持ちでリターンマッチを誓ったりするプレイは、だらりと余裕で倒すのとは全く違うゲーム性と快感をもたらしてくれますもの。自分の場合は性格的なものでしょうね。「負けると損した気になる」という(^^;。負けないならそういうプレイも楽しみたい感じ。スゲェ無理な注文だけど。


>ゲイボルグ


確かにそうだったかもしれません(^^;)。でもあの当時はホント「手に入れるまでやる」っていうのがごくごく当たり前だった気もしますよね。たまたま自分のプライベートに今以上の時間があったってこともありますが、なんか結構「ゲームが輝いてた」時期だったのかなぁなんて思ったりもします。きっと今でもそういうゲームがあるんでしょうけども。


>神さまは不公平だぜ


全くそうですね(^^)。でも自分の場合コンピュータゲームという大きな娯楽の黎明期から見つめ続けることが出来ている、というだけで「幸せサイド」にいる人間かな、って思うようにしています。少なくとも「あと3年早く生まれたかった」って感想は、ゲームに関してはありませんでしたからね。
※アニメや特撮にはあったけど、それがもし実現してたらゲームをこれほどやらず、そこで得られる楽しさも知らなかったかも知れませんからね(^^)。

投稿: クリス | 2005年9月 1日 (木) 02時08分

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