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2005年8月22日 (月)

古い記憶

ゲームに関する僕の中で一番古い記憶は、親と行った旅先の宿屋の温泉前にあった縦型筐体に映る白黒のピンボールゲームだ。たぶんポンの偽物の一つだと思うが、今でもなぜかその映像だけは鮮明に呼び起こすことが出来る。赤いカーペット、緑の半天を着る両親、たぶん生まれていたんだろう妹の記憶はない。ブロック崩しもインベーダーも生まれていない頃の遠い記憶。

次に思い出されるのは、パックマン。これは確か小学生低学年の頃、(当時は我が家が裕福だったこともあって)沖縄旅行中のホテルにあったゲームコーナー。まだまだゲームセンターが遠い存在で、そんな時しかゲームに触れられなかった頃。そこで初めて見たパックマンのメッチャ楽しそうな画面。軽快な音楽、ドット一つ食べる音すら楽しくて仕方なかった。そのゲームコーナーには、アタリのミサイルコマンドや、任天堂のスペースファイアバード、ナムコのギャラクシアンがあったように思う。前述の偽ポンよりずっといろんなゲームが思い出されるのは、それだけゲームというものに心が深く奪われていた為だろうな。

多少前後するかもしれないが、次の記憶は愛知県豊橋市にあった西武百貨店(当時は確かマルブツと言われていた)の屋上。どんな動きをするのかわからないけど、ボディだけは巨大なロボットが何台もあって、ちょっとしたゴーカートに似た乗り物や、コインを入れてガコンガコン動く単純な乗り物。上手かったのかどうなのかも怪しいが、長く遊べるラリーXや、遠くにいる戦艦に魚雷を撃つようなメカ系、クレー射撃、メダルルーレットもたぶん全盛期。小売りをやっていた実家は定休の水曜日、たま~にお袋が連れてってくれた。もう完全になくなってしまったけど、写真とか撮っておけば良かったな。

地元にも怪しげな駄菓子屋兼ゲームセンターみたいなところがあった。時間軸が多少前後するかもしれないが、スクランブルとかアステロイドをやった記憶。30円のみかん水をよく飲んでた。ピンボールと2、3台のテーブル筐体。薄暗い店内。入り口はのれん。いつも小中学生がいっぱいだったよ。

お祭りの日、禁止されていた近所のスーパーにあるゲームコーナーで「ルパン三世」をプレイしていて「グワッ」と肩を掴まれた思い出も忘れられない。小学生だから生活指導とまではいかなかっただろうけど、当時恐れられていた先生が、「何をやっとるだ!」ニヤリと笑う先生。何がなんだかわからないまま逃げる僕。その2年後に担任になったんだよ、その先生が。実はスゲェいい先生で今の僕はその先生なくしては語れなかったり・・・。

断片的な昔の記憶は、断片的なまま今日まで持ってきてしまってる。細部は何十年も前からわからないままなのに、エッジだけがキラリと光ったまま心の、わりと真ん中へんに漂ってる。きっとそういう記憶は死ぬまで失われないんだろうと思う。

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コメント

自分の最初は何だったかなぁ。思い当たるのは同じく親に旅行に連れて行ってもらった先の、食堂?かなんかにあった戦艦を操作(といっても爆雷を落とすしかできない。)して、潜水艦を沈めるゲーム。ゲーム名は分かりません。確か潜水艦は攻撃してこないので、一定時間内に敵を一定数倒さないとゲームオーバーかな?当時は全く分からずに、ボタン連打していただけですけど。


ゲームウォッチとかも入れるなら、そっちの方が早かったかな。やっぱり最初はマンホールだったような。親戚の家で大分年上の従兄弟が持ち込んでいたような気がします。
あまりはっきりとは覚えていないのですが、とにかく食い付きは非常によかったです。なんで見た瞬間からそんなに興味を持つものなのか・・・やっぱり素質があったのでしょうか(^^;
自分の姪達は、ゲーム見せても本当に食い付きは悪かったですから。女の子の方がやっぱり食い付きは悪いものでしょうかね。


駄菓子屋兼ゲームセンターというのも、いくつかは見かけましたが近所には存在せず。記憶に残るのはファミコンに「3分10円」とかの時間制限付けて遊べるようにしている店があって、そこでみんなで「マリオブラザーズ」をやっていたこと。まだ誰もFCを所持しておらず、「とにかく面白いゲームがある。」ということで店に押しかけプレイしてみる。
・・・なんというか、今までプレイしたゲームとは別格の面白さを感じられたものです。二人同時プレイで遊んでいたことも大きかったのですが。
しかし今考えるとFCで金取って商売していいのかなぁ・・・というか、3分10円で終わるように誰が改造したんだろう?と不思議に思えます。


今じゃあまず無いと思うけど、昔は先生のゲーセン見回りってありましたね。小学校の時は「行くな。」とは言われていたけど、何回かは行ってました。幸い自分は一度も捕まったことはないのですが、中学校の時は「捕まったら五厘(坊主よりも短い。ほとんどツルツル頭。)」という恐怖の罰ゲームがあり、あまりの恐怖から中学1、2年はゲーセンに行けませんでした。
しかし中学3年の時、悪友にほとんど無理矢理連れて行かれたゲーセンで見て、プレイした「R-TYPE」「1943」「双載龍」その他数々の魅力的なゲーム達。もう見た瞬間からのめり込みました。その日から毎週土日に150円(3プレイ分)を手にして(貧乏だったんだい!)例え一人でも、そのゲーセンに通う自分の姿があったのでした。

投稿: 竜駆 | 2005年8月23日 (火) 00時11分

ばんわです、竜駆さん。潜水艦のやつ、ありましたね。上から落とすだけなんだけど、ユラユラと落ちるから今ひとつターゲットが定まらなくて、一番下のヤツが高得点だったような。
※記憶曖昧モード発動中です(^^;
似たゲームはフリーウェアでもあったような。ごめんなさいこちらも記憶が曖昧です。


>ゲームウォッチ

これはこれで一つの大きな話題ですので、ブログの方に書かせて頂くとして、「ゲームの素質」について少し。


興味があるかないかの根本的なものっていうのは、僕が思うに遺伝がモノを言うんじゃないかと。もう少し具体的に言えば親の嗜好や行動パターンから子供の目に映る風景が決まるじゃないですか、スポーツ観戦に行ったり、オートキャンプに行ったりという生活を幼少期から経験していれば、やっぱりそういう方向の素質が伸びるし、いつも家の中で遊ぶ生活に慣れていたら、そっち方面が伸びていく(例えば僕)。
ゲームはやはりインドアな遊びだと思うのですよ。マンガ、テレビ、麻雀もかな、第三者から見て本人が何を楽しんでいるのかわからないような状況に興味を持って首を突っ込みたくなるのは、周りにそういうことを「楽しみ」としていた人がいたから、みたいな。


女の子は別に興味の矛先を持って行きやすいですから(友達との話題とか、母親とのコミュニケーションとか)、男の子よりゲームに興味が行きづらいのかも知れません。


>3分10円


これの源流は近所のおもちゃ屋にあった「テレビベーダー」ですね。インベーダーが出てファミコンやSG1000が出る前に既にコインを入れて10分遊べる状況がありました。他のおもちゃ屋ではSGでもやっていましたから、結構問屋主導で「ゲームを布教」しつつ小銭も稼げるという商法だったのかな、とも思いますね。僕ももちろんやりましたよ(^^)。


ファミコンのアーケードっていうともう少し規模が大きな向かい合ったVS筐体で10分50円っていうモノの方がこちらの地元ではメジャーだったのかも。結構いろんなところにありました。ただせっかくゲームセンターに行くのだから、という感じで、ファミコンより普通のアーケードゲームの方に食指が動きがちだったのは言うまでもありませんけどね。


インターバルを置いて行ったゲーセンで「R-TYPE」を見てしまうというのは、ネコマンマしか食べたことのない愛猫に中トロ食わせるようなもんですね。ヤバイです。確実にスイッチが入る音が聞こえます(^^)。Rの画面が発するオーラももちろんですが、その時期はアーケードゲームが凄まじい速度で進化していった時期でもありますよね。竜駆さんが毎週通い始めたのは、


 至って健全!


 だったのではないでしょうか(^^)。

投稿: クリス | 2005年8月23日 (火) 01時06分

ゴッドの一員のくせに、「地獄の独裁者」を名乗る「ヒトデヒットラー」に異議あり!な、ぴちょんくんです。
自分は、気が付いた頃には自宅でポンのようなTVに写すタイプのゲームを遊んでいましたね。
その後、同じタイプで、何種類かのピンボールが遊べるゲーム機で遊んでいました。
そのせいか、インベーダーも自然とプレイしていて、仲間内で攻略法を研究していました。
一番印象に残っているレトロゲームは、「ギャラクシーウォーズ」です。
当時、「ゲームセンターあらし」という月1連載の漫画があり、その中で次々とゲーセンの最新ゲームがネタにされていました。
漫画と現実がリンクしていたわけですよ。
「ギャラクシーウォーズ」では「炎のコマ」なんて必殺技が登場したり、33面クリアで「GIVE UP」の文字が出るなどという情報が紹介されたりと、ますますのめり込んでいきました。
でも、20面過ぎたあたりから、敵のUFOが落としてくる弾が尾を引いてくるわけですよ。(残像が残るぐらい速いんです)
24面ぐらいまでは行きましたが、その後にゲームが入れ換えられてしまい、クリアまでには至りませんでした。
あと、大人数が揃うときには、ボードゲームが大活躍でしたね。
なぜか自分は「人生ゲーム」は未経験でしたが、「億万長者ゲーム」ですでに乗っ取りの怖さというものを学んでいました。
あとは、「モノポリー」でしょうか。
ゲーム後半に「ボードウォークを散歩」というカードを引く事、ウィザードリィにおける「いしのなかにいる」というメッセージを見るが如しでしたね。(分かりづらくてすみません)
カシオから発売されていた「ゲーム電卓」にもハマりました。
っていうか、そんな物に興じていたのは自分ぐらいでしたね。

投稿: ぴちょんくん | 2005年8月23日 (火) 19時26分

アステカイザーの角は凶器として持ち込み禁止にならないのか!とレフリーを問いただしたいクリスです。ぴちょんくん毎度です。


「あらし」に関しては僕も頭の先から足の先、鬼太郎で言うところのアンテナの先から下駄の裏まで浸かっていましたね。基本ですが「ムーンサルトり~」が一番記憶に残っています。炎のコマはコスリのハシリなのかなとも思いましたが、「燃えないとわかっていても」熱くなりました。個人的には別冊コロコロの第一号でフルカラーで描かれた金色のインベーダー型ゲーム筐体がスゲェ印象的かつ欲しかった記憶です。
後に「ふぶき」であらしが出てきて胸が熱くなったのは、最近のお話。


「億万長者ゲーム」は面白かったですねぇ。僕も人生ゲームよりずっとゲーム性が優れていてギャンブル性も高く、あのゲーム経験の後で、自らB紙いっぱいにオリジナルスゴロクを作ったりしましたよ。お金も作ってイベント盛りだくさんで。友達とそこそこ盛り上がりましたが、ベースには「億万長者ゲーム」がありましたね。


ゲーム電卓は足し算やるやつと、8にするやつが記憶にありますが、自宅には後者「エイトアタック」があって、結構燃えましたね。実は腕時計に電卓がついている「カリキュレーター」シリーズにもゲーム内蔵のものがあって、当時凄く欲しかったんだけど、買ってもらえる状況になったときにはゲーム内蔵のがなくなっていて、普通の電卓付を買って貰い、結構凹んだ記憶も懐かしい思い出ですね。

投稿: クリス | 2005年8月23日 (火) 22時07分

二人の最初の挨拶?がよく分からないのですが・・・な竜駆です。


>興味があるかないかの根本的なものっていうのは、僕が思うに遺伝が


人間の性格は、教育による影響がかなり大きいと思うけど、生まれ持った性質というのもかなりのウエイトを占めているのではないか・・・と最近思い始めてます。
ゲームのこととなると・・・どうなんでしょう。自分達の年代だと、親がゲームを趣味としていることはまず無いだろうし、周りにもそんな人はまずいない。自分達でこれから開拓していくような時代でしたから。
でもやっぱり、なんか生まれ持ったものがあったのでしょうね。そうでなければ、ニュータイプとして生まれたとしか思えません(^^;


>ネコマンマ


例えは悪いけど、ネコマンマ=ファミコンですね。
決してネコマンマも悪くはなかったのですが、相手が悪すぎでした。当時、家では絶対に出来ないクオリティの宝庫でしたから。ゲーセンは。

「あらし」を読んでいた頃はゲーセンには行けなかったのですが、熱中したものです。鉛筆を手に持ってレバーと見なし、炎のコマの練習をよくやっていたもんです。
一番印象に残っているのは甦ったブラックホール大帝(だったかな?)と再戦するストーリー。特別編だったのかな?なんかゲームの勝負で地球を破滅させてしまうような技を使うのですよ。それをあらしが「超新星スーパーノヴァ」(これって確か3回使うとあらしが死んでしまう、と解説されていたような。)でもって命がけの勝利!それでもって地球は救われたという、とんでもない話ですが、当時は大迫力でした。そういえばテレビ放送もやってましたね。最終回みれなかったのが痛かったですが。


億万長者ゲーム、まだ持ってます(^^;
今考えるとあれって、子供にはかなり難しいゲームだったのでは。当時自分達は正規のルールが分からず、内周で用意されているお金が全部無くなるまでグルグル回り、無くなったら外に出て、ピンクのマスにビル3階建てたら終わり。という風にしか遊んでませんでした。
あとで説明書をよく読んで理解できたときは、あまりに正規と違う遊び方をしていて驚きました。株を買い占めて乗っ取るとかなんて、難しすぎたっす。

投稿: 竜駆 | 2005年8月24日 (水) 00時07分

ドラクエに翻訳するとするなら、、、
「メーダやドロルが『なかったこと』になってる点がどうしても納得いかない」クリスです。ってところでしょうか(^^;。竜駆さん毎度です。


僕の父はこの町にこの人有り、というくらい賭け事に長けた人で、脳卒中で隠居するまでは「家族四人を小学校6年間の夏休みに5泊6日で沖縄旅行に連れてってくれる」くらい賭け事に強い人でした。今でこそただのジジイですが、子供の頃とかでもなんていうか「能ある鷹が爪を隠してる感」のする人で、普通に尊敬していました。免許取って始めに買った車がキャッシュでスカイライン(もちろんお金はギャンブルで)というのもかっこいいと思いましたしね。


だからどこかで僕は父の血を受け継いでいるんだろうとおもうところがありますね。それは「秀でている」というばかりではなく、「こだわる」ところであったり「神経質な」ところであったり。やはり遺伝は存在すると思いますよね。まぁもちろん「隔世」とか「突然変異」とかもあるんでしょうけど(^^;。


>あらし


スーパーノヴァありましたありました(^^)。3回使うと死ぬとかなんかスパロボのゴッドボイスを思い起こしますね。っていうかライディーンのが古いのかな、あらしがマネたのかも知れませんね。テレビは主題歌を水木の兄ィが歌っていてちょっぴり微妙だったかも。でも今読んだり見たりするとアーケードの歴史が手に取るようにわかるようで、それはそれで趣がありますね。


「正規とは違うルールで遊ぶ」はたぶん僕らもそうやっていたのだと思います。でもそれでも面白かった。人生ゲームってどうもモチベーションが得づらかったんですが、億万長者はかなりやる気になるイベントがたくさんあって、でもその分とんがってたってことなんですかね。あ、でも今でもあったとしたら、結構ルールとか変わってるのかも知れませんね。

投稿: クリス | 2005年8月24日 (水) 00時23分

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