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2005年9月21日 (水)

FF8の話

みなさんはノムテツキャラ(野村哲也デザインのCGキャラ)はお好きですか?自分は大好きです。特にFF8の先生や魔女みたいな人には一方ならぬ思い入れがありました。常日頃から書いていますように、僕はさほどストーリーやビジュアルでゲームの出来不出来を評価したりしません。自分にあったシステムの箱庭で気持ちよく育てられればそれで概ね満足なタイプなのです。しかしこのFF8とFF10に関してのみ、「ムービーが嬉しかった」ことも書いておきたい。要するに好みの絵面であれば、十分訴求対象になるってことなのです。

アドベントチルドレンはそんな僕にとっては非常に魅力的な作品であったと、今になって振り返ります(と言っても3日前だけど)。とにかくゲームのムービーシーンのカタマリ。ストーリーや脚本に難があろうとも、「オカズ」(※ゲーム内でのご褒美って意味ね(^^;))として十分なアイデンティティを放つクオリティの映像を矢継ぎ早に垂れ流してくれるというのは、ノムテツファンにはタマラナイものだったのです。

FF8はシリーズの中でもかなり売れた方だったと思います。っていうか記憶が確かなら1番だったかもしれない。それは一部で「7が良かったから8も買った」という意見が寄せられますが、僕がそうは思っていません。もしそうならどんな人気作だって続編のが売れることになってしまいます。ゼルダだってポケモンだってバイオだって鬼武者だって。ましてやFFは各シリーズで登場人物やシステム、世界観がほとんど共通しない作品です。「前作のおかげ」でシリーズ1売れるというのは、7をマストとする一部のプレイヤーの思いこみでしかないのではないでしょうか。

 じゃあなぜ売れたのか

それはまさに「宣伝が良かった」からに他なりません。当時僕の店のパートのおばさん(もちろんゲームなんか全くやらない)たちにすら「あのかっこいい男の子が出るゲーム」と認識されたほど、ビジュアル訴求力がありました。GLAYの人気があったことも無関係ではないかもしれませんが、とにかく最大規模のライトユーザーに「かっこいい、キレイ、面白そう」と訴求した結果であったと思います。キャラクターもどう見ても「青年」で、身長の低い7や9の主人公と比べ、対象が大きく変化していましたしね。

 でも酷評された

それはつまり端的に言うなら「羊の皮をかぶったオオカミに食われた」形になった、と言えるのではないでしょうか。かっこよくてキレイな美男美女が出る鳴り物入りのスーパービッグタイトルが、まさか非常にマニア向けでコアなシステムを搭載した「オタクゲー」だとは誰も思わないじゃないですか。7から入ったプレステユーザーにはあまりにハードルの高い「FFが本来持っていた牙」を再び携えたタイトルだったとは予想も付かないじゃないですか。

 でも僕は好きでした

自分の周りのユーザーは僕に感化されていたのか、「普通にプレイ」するだけで、既に標準的なやり込みプレイになるようで、とにかく「死にたくない」。死んでロードして経験値やお金を無駄にすることほど愚かなことはないというプレイスタイルが常です。ましてや「今後いつ買えるかわからない」ものや、「そのショップで手に入る最強の装備」なんかは、中古1000円で買ったものならともかく、楽しみにしまくって待ちに待って買ったソフトであれば、

 当然つぶしながら行く

「次の街でもっといいものがよりコストパフォーマンス良く売っている」などとは考えない。とにかくその街で出来る全てのことをやってから先に進む。結果的には次の街にさっさと行ってしまった方がお金も貯まりやすくて武器もいいものがあるかもしれない。でも別にそこではそこの品をまた買えばいいんです。その方が長く楽しめるわけだから。急ぎの旅じゃないし、いつどこで強敵が出てくるか分からないのですから。

 強敵が唐突に現れる

これもFFにはよくあること。言い換えれば「本来行くべきではないルート」に行ってしまったことで、通常より極端に強い敵と戦うことになって全滅し、「ああ、こちらはまだ僕には早いな」と学習させ、本来の道に戻す。そして十分強くなってからまた戻ってくる。そんなシーケンスがFFには頻出するわけです。

 でも僕はそこを「勝って行きたい」わけです。限界まで強くして進んだ先の障害物は、何としても乗り越えていきたい。だってその障害物、

 美味しいに決まっている!

んですから。そこで稼ぐこと=メタルスライムを倒すことと何ら変わりありません。オーパーツは常に魅力的であり、なかなか手が届かないものなのです。そしてFFは過去、たぶん未来の作品においても、「絶対届かないハードルは置かない」。テストプレイヤーの感性に依存しているのだと思いますが、最善の選択と最大の努力を払っていれば、どんな局面でも「越えられるように作られた」ハードルは越えられる。絶対死ぬ、という作りのものはともかく、「ここまでに登場した○○という敵から△△という装備品を手に入れて、レベルを上げて××というスキルを覚えた状態であれば」などという非常に高いハードルであっても、「越えられるように作られているものは越えられる」のです。
 じゃあ僕はそれ、越える方向で。

ってなるじゃないですか。普通に。FF8はまさにそうしたシステムのカタマリのようなゲームだったのです。

 やったヤツは楽出来る

とにかく話を追っかけてしまったり、ろくに強くせずに(例えば逃げまくって)先に進めた人には、決して優しくない作り。途中で「異常に」時間のかかる召還魔法を繰り返すことで先に進めてはいけるが、そんな「優しくない」救済はライトユーザーにだって不評でしょう。みんなの感想で、「召還魔法を使わないと雑魚すら倒せない」みたいなコメントを読むたびに、「僕は一回ずつしか見てないけど、普通に倒せるよ」と思ったもんです。要するに、

 それほどプレイスタイルに楽しさが依存する

バランスチューンなのです。もちろんこれは褒められたものではないでしょう。ここまで分母が大きく、対象もしっかりマーケティングをしていれば「よりライトな」ユーザーになっていることは、制作者サイドもわかっていたはずです。シリーズ中随一の「ヌルくてタルい」戦闘バランスの9のような作りであったなら、8の評価は大きく変わったのかも知れません。

 でも僕は8が大好きなのです。

モチベーションを刺激するのは、「クリア」という最終目標に向かう上でよりベクトルの似通った「稼ぎ」です。以前も書きましたが、ただコレクションするだけで自分の強さに全く関与しないアイテムなんざ「ゴミ」なのです。ドラクエのコインだって実際の戦闘で使える武具が手に入るからこそ、スロットの777が嬉しいのです。FF8の「カードゲーム」だって「ドローシステム」だって、やったらやっただけ結果として残る。だからがんばる。そして

 がんばったことが報われる

当たり前の話ですが、それが「面白くない人がいる」のは、「がんばらない人でもそこそこ報われる」のが世の正義だからです。FF8は「がんばらない人は報われない」作りなのです。僕は最初の街を出て次の街へ向かう時、レベルは既に99。手に入るカードは全てカンストさせ、カードを変換して作る武器によってほとんど最強に近い装備になりました。このタイトルは自分のレベルによって敵も強くなりますから、雑魚と戦ってもサクサクというわけにはいきません。しかし変わりに得るものもより良くなりますし、戦闘そのものがとてもタクティカルになって、ゲームとして楽しめるものになりました。

FF8は確かにバランスの取れた優等生ゲームではありません。しかし誰がどうプレイしても面白くないゲームでもありません。作り手の期待に添えるプレイスタイル(まぁ僕のは極端だけど)と価値観で対峙した時、初めて見えてくる楽しさがある、そんなタイトルなんですよ。
※まぁ今やると見た目がしょぼくてとてもキツいけどね(^^;)

ちなみにFF10も8に似た風体を持っていました。青年を主役にしてラブストーリーを全面に押し出した展開。システムやバランスチューンも「やり込めるけどやり込まなくても進める」作りになってどちらにもいい顔出来るような大人になりました。本数もかなり売れたようで、FFでは初めて本当の意味での続編まで発売されるに至りました。でも僕は思うわけです、

 8だって紙一重の出来だったんだぜ

と。ちなみにちなみにFF10の僕の思い出は、「ラスボスを初対面で倒した」ことです。ラスボスと言ってもオヤジの方じゃないですよ、某訓練所だかにいる方です(^^)。

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