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2005年11月10日 (木)

経験と学習と理解と

高尚なタイトルですが実際書く内容はそう大したことではありません。まぁ要するに人間は自分のたどった道で形作られるということ。「三つ子の魂百まで」ではありませんが、音感やセンス、筋肉もそうでしょうか、自分のベースはかなり小さな子供の時に概ね形作られますよね。それから他の人よりより長くその道を歩めば、当然それ相応の結果が現れ備わっていく。

女子プロゴルファーの横峯さくらなんかを見ていても凄く感じます。これ以上ないくらいスパルタのオヤジの上で形作られたゴルファーとしてのスキルとともに、人一倍頑な、っていうかまぁ頑固な性格もまた長~い時間を掛けて育成されてきている。だから「親の顔がみたい」なんて言葉が非常によく似合うキャラクターになってるんですよね。

ピカソの絵とかも「芸能人格付け」で美大生の描いたモノと比較されたりするじゃないですか。あれが僕はなんか理解できて、自分でもわからないのですが確信をもって正解をチョイスできました。今まで何度か美術館でピカソの絵を見ていたことや、そこから何かをくみ取ろうとしたこと、くみ取りたいと願ったことで、自分の中にそういう経験が積まれていて、結果がチョロっと顔を出したのかも。なにげに嬉しかったです(^^;。

最近だとエロに関してもそういったことを思いましたね。「フェチとか理解できない」って思っていたのに、ある日唐突に「そういうことか!」と膝を叩くような(※全部のフェチじゃないけど。「足の小指フェチ」とか言われてもさすがにねぇ)。なんかのエロ本に「俺はオナニーをするのに本はいらねぇ。マニキュア一つで十分だ」なんて話が載っていました。イメージの増幅で自分を偽り、昂ぶらせる。その昔糸井重里が「思い通りの夢精が出来たらいいですよねぇ」なんて話がありました。今ならなんとなく理解できます。

映画やゲームや漫画もみんなそう。ハードルの低い、キャパの広い作品は大多数から支持を受けられる。宣伝や流行や、友達とかの環境、他のタイトルとのバッティングなど様々な要因が絡み合って「売上」は生まれるのだけど、その内容に、どれだけ訴求されるような経験と学習を積んできた人たちの理解が得られるのかが最大の引き金だと思う。ファミコンミニなんかはモロその数字ですよね。逆に僕は「ワンダと巨像」はそんなに伸びないと思いました。作品がどうこういうレベルじゃなくて「ICO」の経験はワンダにそれほどフィードバックされないんじゃないかなぁって思ったから。

いろんな経験と知識を蓄えていけばそれだけいろんな状況に対応出来るようになるのは当たり前。食べたことがないような高級食材を「美味い!」と言えるような生き方もあればカップ麺やファーストフードに「うるさい人」になる道もある。これはどちらが優れているとか素晴らしいという問題じゃなくて、「経験が育てた結果」に過ぎない。でもそうした価値、他の人が見いだしにくい「尺度」を拾い上げることが出来る人生というのは、(あくまで僕の中でしかないけど)正直ちょっと羨ましいと思う。だってその方が人生が楽しそうじゃないですか?

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