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2005年12月13日 (火)

35歳という年齢

他の歳の方もみんなそうかも知れませんが、自分はこの「1970年生まれ」というのを

 とてもラッキーだった

と思っています。幾多のブームや、革命的な電化製品や、海外からの文化が流れ込んでくる時の流れ。軽くその記憶を掘り下げてみたいと思います。

●物心つく頃

3歳、4歳の頃と言えば仮面ライダーV3やウルトラマンタロウあたりでしょうか。自分には6歳上のいとこがいて、よく一緒に遊んだりしたのですが、彼らにとっては僕以上にライダーは大きなヒーローであり、逆にそれが最後のヒーローだったような印象があります。僕らの年代では特撮ヒーローは(引きずった層であっても)サンバルカンがギリギリというところでしょうか。

ちなみに同世代の人間に名前を挙げても瞬間的にリアクションが得られるヒーローはそれほど多くはありません。そんな中で件のライダーやウルトラマン以外では意外と「プロレスの星アステカイザー」や「大鉄人17」なんかが記憶に残っているようです。これも世代がズレれば、「超人バロム1」「仮面の忍者赤影」になったり、「○○レンジャー」とかになったりするのでしょうか。あ、でも「シャイダー」は別の意味で心を奪われましたね(笑)。

●小学校低学年

まだコンピュータゲームにそれほどお金を掛けられない年齢ですが、インベーダー直撃世代という表現を使うとすれば、きっと僕らより数年上の世代になると思われます。この頃はちょうど仮面ライダーカードやメンコなどのブームが終わり、スーパーカーブームの末期あたり。ゴジラもやや失速気味で強いて言えばスターウォーズやスーパーマンが入ってきた頃です。

しかしそれも3年の頃でしょうか、大きな波が押し寄せてくることになります。そう、「機動戦士ガンダム」です。僅か2、3年の僅差では「ヤマト」「999」の大きな波があったのですが、僕らの世代ではそれらにかすりはしても直撃せず、やはりジャストミートはガンダムです。ただふと冷静に考えると僕らよりいっこ上の連中よりはいっこ下の奴らの方がガンダム熱を感じたりもしました。学校でプラモの話題に盛り上がったりしたのも急激なカーブを描いて僕らがピークになり、そこから緩やかに人気が収まっていった感じでしょうか。

僕はこの「ガンダムブーム」をして1970年生まれであることの一つのターニングポイントだったのかなぁとも思います。言うまでもなくガンダムは今でもトップレベルのコンテンツとして君臨するスーパーアニメですが、もしこれが「映画館でやっていた頃は知らなかった」となれば、その情熱もまた違ったものになっていたでしょう。今でもファーストガンプラを作る世代の多くは僕らくらいからなのではないかと思ったりする次第です。

●小学校高学年

ザブングルやボトムズ、ダンバインという流れはガンプラからそのままアニメを引きずった世代でもあります。ビデオレンタルが現れちょっとずつアニメの対象年齢も上がっていった頃でもあり、これがほんの2年早く生まれていただけでかなり明確にラインが引かれていたのではないかという印象すらあります。

もっとも自分が当時から特に「そういう位置」にいたことは否定の余地がなく、2コ上の先輩にも「ヤマト」→「999」→「ガンダム」をきっちり抑えていた人がいただろうことは想像に難くありませんけどね。でもそんな人でも「エルガイム」や「Z」まで引きずってる人は少なかったですね。

●中学生の頃

ファミコンブームが押し寄せてきた頃です。ちょうど親が子供に向ける視線がプライベートで軽くなり、学業面できつくなる時期。自分はたまたまその頃ファミコンを買って貰って著しくハマりました。とにかくロードランナーを初めて友達の家で遊ばせて貰ったときの衝撃は今でも鮮明に覚えていますが、

 「カセットビジョンとは違う!」(当たり前)

 「テレビベーダーとも違う!」(言うまでもない)

 「まるでゲーセンじゃん!」(ちょっと言い過ぎ)

ってな感じ。実際ファミコンを持っている子供の数はまだクラスの1割から2割程度でしたが、3割に届こうかという頃には正直僕らの中で、

 「これしかないっ!」

というレベルにまで興味が集まっていましたね。でもそういう話を年上の人とした記憶は実はなくて(受験とかの関係もあったのかも)、案外「ゲームの屋台骨が作られた世代」は僕らの頃だったのかも知れないなぁと思いました。まぁ自分ら以降の世代はおしなべて普及率が上がっていき、僕ら以上に「普通にあるもの」として認知されていったのかもしれません。

●高校時代

実はこの頃だったと思いますが、小学生の間で強烈に訪れた波がありました。「ミニ四駆」です。僕はこれが全然触れることがなかったのですが、正直

 かなり羨ましかった!

のを覚えています。きっかけもなく技術もなくパイプもなかったので全くやらずに過ぎてしまったのですが、これはやった人は絶対面白かっただろうなぁと思います。プラモの面白さをよりメカニカルにテクニカルに磨き上げる方向性はレゴのテクニックシリーズに似てとても男の子心をくすぐるものでした。タイムを競い合う、フォルムやカラーリング、遠征先のスピードに驚愕し意気消沈し一念発起して組み上げる。

実を言うと僕が生きてきた中で「触れずに終わってしまったブーム」として悔しいのは、このミニ四駆だけだったりします。ラッセルヨーヨーはヘタでしたがすぐブームも終わってしまったし、キン肉マン消しゴムはそれほど造形的に触れませんでした。チョロQはゲーム性が薄かったし、ダンジョンズ&ドラゴンズは友達と共同購入したけど結局ほとんどやらなかったです。最近ではマジックザギャザリングも日本語が入る前にちょっとかじっただけであまりピンとこなかったりしました(代わりと言っちゃなんだけどポケモンカードにはハマりましたが)。

ミニ四駆はそれほど大きなストリームだったと思うのです。

まぁそれでも結局ブームとは終わりが来るもの。中には本格的にラジコンに移行していった人、ダンガンレーサーで「出戻りミニ四カー」の人なんかもいるかもしれませんが、僕らの世代には少ないでしょうね。

●20歳の頃

ストII。そう言ってはばかりません。でもそれは僕の年齢をスタートとしてそれより若年層に広く大きく訴求したコンテンツであることも認識しているつもりです。たぶん当時高校2年くらいだった連中がストIIの中心世代だったんじゃないでしょうか。実際僕の周りでもそのくらいの友人が一番多かったです。

バーチャになるとまた方向性が変わってきましたね。ストIIより短時間に金を吸い取られること、100円筐体が多かったことなどから割と年齢層が高めで、僕のように「友人が若年層ばかり」の人には結局触れずじまい。でもこの後メキメキと対象を広げていって結局今では「対戦格闘における王者の風格」すら感じさせます。まぁ外側にいる人間がどうこう言うべきではないかもしれませんね。

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その年その年で使えるお金が変わります。子供の頃もそうだし、学生時代、バイトした人、社会人1年生、独身貴族、結婚してから、、、ホント自由になる時間とお金のバランスは大きく様変わりする。でもそのタイミングに一番あった娯楽が常に提供されるわけじゃないから、より大きなうねりに身をゆだねられる事が出来れば、それが実はとてものちの人生を豊かにすることにも繋がる気がする。

僕らの年代はいろんな「大きなうねり」のスタートだったんじゃないかと思う。ガンダムに触れ、ブロック崩しをやり、対戦格闘もSTGもRPGもやって、今でもドラクエだけは買っていたりする。でもそれはあくまで僕が僕だからに過ぎない。「1960年生まれ」の人でも「1980年生まれ」の人でも、きっとその年その年の「大きなうねり」があって、ふと35歳くらいで振り返ったとき、「ラッキーだったかな」なんて思うものなのかも知れないね。

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コメント

こちらではお久しぶりのGTSでございます。
クリスさんと同い年であることから、時代の流れはほぼ同じ体験をしています(^^)

私の印象に残る思い出といえば、うーん沢山ありすぎて書ききれないのですが、ミクロマン、スーパーカーブーム、ガンダム、ラジコン、ファミコン・・・。
それぞれに独特の世界観があって、夢といいますか、宝物といいますか、壮大な世界がありましたね。
もぉ、毎日、目が輝いていました。
今の子供たちはどうなんでしょうかね。
うちの息子は、トミカ・プラレールに一直線です。

あ、ブームと言えば、当時、「学習塾」や「そろばん」、「習字」なんかも流行ってましたね。
私もいやいや通わされました。

投稿: GTS | 2005年12月13日 (火) 23時43分

コメントどもです。GTSさんこんばんは!
年齢が同じというのは住まう場所や環境が全く違っていても何かしら共有できる知識があるわけで、そういうところにふと気付いたりするのは結構愉快ですよね。


ミクロマンやスーパーカーはブームとしては正直(自分が子供だったこともあって)今で言うどれほどの規模だったのかよくわからないのですが、今でもカウンタックを見かけたりすると


 「スッゲェどきどきする!」


ことからも、決して小さなものではなかったのかなって思いますね(笑)。ラジコンは最終的に「操作とスピード」の域まで踏み込んで行けたらよかったんだけど、とは思いますがコレはさすがにコスト面でキツイ部分がありました。ゲームと違って「貸し借り」出来るソースでもありませんしね。でもホント毎日輝いていましたね。当然8801も含めて!


トミカ・プラレールは接点がなかったですねぇ。子供も息子娘ともにゲームばっかなので、別段欲しがったこともありませんし、2歳か3歳の頃に一度だけクリスマスに買い与えたきりです。僕からするとどうもゲーム性が薄く感じてしまうんですよ。でそういうオヤジの価値観を子供も自ずと受け継いでしまうみたいなところがあるのかもしれません。


習い事はブームだったんですかねぇ。僕もそろばんや習字はやらされていましたが、まぁ何も残った気はしません(^^;)。強いて言えばスイミングスクールは通ってよかったと思っていましたので、子供にはそこだけやらせています。本音を言うと自分がやりたくてやりそびれてしまった「公文」とかもやらせたいとは思うのですが、近所になくてね。


ちなみに「そろばん」はイデオンが見たくて止めました(^^;)。かなりアニメに傾倒していた頃のお話です。

投稿: クリス | 2005年12月14日 (水) 05時10分

GTSさんも同い年だったのですね。

皆で華の45年組でも作りましょうか?

投稿: バブシカ | 2005年12月14日 (水) 05時25分

かなり狭い半径の僕のブログに二人のタメがいるとは。こういうのを「縁(えにし)」というのかも知れませんね(^^)。
余談ですが、3人とも比較的、あくまで比較的「濃い」気がするのは僕の気のせいでしょうかねぇ(笑)。

投稿: クリス | 2005年12月14日 (水) 23時46分

私とGTSさんはともかくクリスさんが濃い~のは間違いないでしょう(笑)

投稿: バブシカ | 2005年12月15日 (木) 03時55分

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