アカギとカイジ
冒頭からいきなり余談だけど、やっぱ容量が2ギガになったというのはデカい。添付イメージのサイズを気にせずに貼り付けることが出来るというのは、意識しなければならない足かせを一つ取っ払うことであり、一歩確実に快適にPCと向き合えることでもある。ニフティありがと~。
さて、みなさんは福本伸行というマンガ家をご存じだろうか。恥ずかしながら僕はつい最近まで知らなかった。いざ既刊をチェックしてみればかなり前から描いていたことがわかったし、伊集院のラジオでも頻繁に登場することから作品としても十分にメジャーであるらしかったのだが、ぶっちゃけ、
絵が変
と思ってアンタッチャブルだったのだ。しかし何がきっかけで読み始めるかはわからない。ふとコンビニで手に取った一冊からズブズブと沈み込むように、引きずり込まれるようにのめり込んでいった。まぁ実際はアカギではなくカイジだったのだが。
氏のマンガの面白さは、その緊張感の演出に極まっていると言っても過言ではない。不完全燃焼の焦げ臭さのような、鉄くさい血の味のような、ギリギリの精神状態の演出とその解放。決してリアルではなく、マンガならではであるのに、読み手にその緊張感をかなりダイレクトに伝えてくる描写。読んでいて「痛み」が流れ込んでくる、そんな面白さだ。
アカギは既に「後に伝説となる」というプロローグから始まるように、「基本的に強い」男だ。哭きの竜や坊や哲みたいに突出したカリスマ性で読み手に安心感を与え、それに対するにふさわしい強烈な壁を用意してくる展開。言うなれば「A級ヘビーメタル同士」の戦いとも言える。一方カイジは違う。もっと人間的で泥臭く、弱い。しかし相手はA級ヘビーメタルなのである。普通ではまかり通るはずもない。バルブドは普通にがんばっただけでは絶対にアトールファイブには勝てないのである。っていうかむしろウデ一本も落とせまい。
しかし、カイジの流す汗は、アカギの流す血とは違うヒリヒリを演出する。アカギはあくまでもクールでありカイジはとにかく暑苦しいヤツなのだ。それは戦う姿だけでなく、心情にもとてもよく現れる。カイジにあってアカギにないもの、「不安」。ドロドロとしたどす黒い重たい気持ちが幾重にも交錯する中での光は、アカギでは得ることが出来ない質のモノだと思う。あり得ない光明にマンガの面白さがあるのだ。
アニメになったアカギもたまに見る。っていうか最近はキチッとキャプっているほどだが、これまた作画が素晴らしい。原作の持つ「特異なデッサン」を非常に巧くアニメーションさせているし、主題歌、エンディングとも時代背景にマッチしたものをチョイスしてきている。制作スタッフが原作をしっかりとリスペクトしていなければこれだけの「構築」は出来まい。もちろん声優も盤石だ。
しかしアニメは枠が定まっている以上、こちらが思慮を巡らせる時間がほとんどない。雀パイが表示されるのは一瞬で、ある意味麻雀を理解しない人でも楽しめるように作られている一方、本当の意味での「勝負」にたどり着くことが出来ないんじゃないかという作りでもある。でもそれはやっぱり正解だと思う。大切なのは「面白いかどうか」であり、再現すべきは牌の並びではない。いかにその熱量と冷たさをモニターを超えて伝えられるかなのだ。
今でも福本キャラの絵に心酔することはない。でも一度は目を通す価値があるマンガだとは思う。マンガ喫茶で読むもよし、古本屋で買うもよし、気付いたら止めどなくページをめくる自分と出会えるはずだ。★★★★。
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コメント
アカギ。これの3巻だけが何故か手元に転がってます。貰ったのだったか、廃品回収の本の山から拾ったのだったか忘れてしまいましたが、今読み返してみても、とにかく面白い。
所々に書かれているナレーション?みたいなのが良いです。
「地獄の淵の砂は魔法の砂。それに触れてくると強運と破滅がひっくり返る・・・。」
「アカギの本質。それはまぎれもなく悪・・・!」「それも最上級、最高峰の資質悪漢・・・!」試合の展開も含め、麻雀をそこそこ知っているものならば、かなりしびれるものがあります。真似したくなります。・・・絶対真似できませんが。
しかしアカギがアニメ化されるとは夢にも思いませんでした。麻雀の漫画は一般受けしないためアニメ化は難しいだろうと思いこんでいるからなのですが、スーパーヅガンや哲也以外にも結構アニメ化されていたりして。
火曜日の深夜ですか。全然気が付かなかった。今度録画しておこうかな。
投稿: 竜駆 | 2005年12月22日 (木) 22時13分
毎度です。昨日は映画観た後かなり体調を崩し、晩飯時には吐き気と頭痛のワンツー。休日だったこともあり思いっきり寝たおしてしまいました。
アカギのセリフやナレーションは確かに鋭いですね。そしてタダでさえキツいのにそれを何度も繰り返し繰り返しアピールしてくるので、最初マンガの中だけだった空気感が、こちら側にまで漏れてくるようです。こういう感覚はギャンブルマンガならではなのかもしれません。
スーパーヅガンは片山まさゆきでしたっけ?氏のマンガも面白いですねぇ。っていうか自分はファミ通で昔連載していたやつが一番好きだったのですが、早々と姿を消したっきり。コミックも持っていましたが、今ではどこにあるのやら。
麻雀やギャンブルのマンガはともすれば「ご都合主義」の塊となって白けかねない部分をはらんでいると思います(100万ドルキッドとか)。でも空気や間さえ演出しきれば、そこには他のジャンルでは成し得ない緊張と解放が待っていると思います。成功したマンガはみんなそうだったのではないでしょうかね。
※100万ドル・・も結構続いたけど。ファミコンにもなったし(^^;
投稿: クリス | 2005年12月23日 (金) 15時37分