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2006年1月10日 (火)

カワイイ女の子とカッコイイ男の子

誰かに共感して欲しいという類の話ではないのだが、ふと今日「開眼しそうになった」ことがある。それは「綺麗な子」「かわいい子」「色男」などはやはり存在そのものに価値があるのだなぁという事。

いわゆる「恋人にしたい」とか「結婚したい」とか「友達になりたい」とか、異性に対する特別な感情というのは誰しも抱くものであるが、例えば自分が50歳過ぎたからと言って18歳の女の子に「かわいい」という気持ちを抱いてはいけないわけじゃないし、小学1年生の女の子や男の子を「愛しく」思う感情が全てロリコンやショタではない。もっと言えば、とても素敵な異性がいたとしても、必ずしもその子をどうこうしたいとかどうこうなりたいということではない。むしろ冷静に突き詰めていったとき、果たして本当に結婚したりおつきあいしたりして自分が「幸せ」か「楽しい」かは甚だ疑問である。
※とりあえず今回は「気持ちいい」という感覚は除いて話を進めてみる

自分が第三者といてどういうときに楽しさを感じるのか、と問えばそれは根底に「共感」という感覚があるように思う。趣味や価値観の近さを実感することこそ「愉快」のベースになる。楽しいゲーム、マンガ、映画なども、友人のみならずその送り主である作り手との「楽しさの共有」がなければ成立しない。例外はあるかもしれないが、少なくとも大筋において外れていることはないと思う。

さて、そこで「かっこいい男の子」を例に挙げてみる。僕の仕入れ先に非常にソレに該当すると思われる人がいる。身長が190近く、いわゆるイケメンなのだが、僕は彼を見るのがとても好きだ。だってかっこいいんだもの。でも彼に最も求めているのは、「彼の写真」を友人や同僚に「この男の子はかっこいいよね?」と見せ、「ですねぇ!」と共感を得ることだったりする。別に友達になりたいわけでもホモなわけでもない。純粋に「かっこよさを楽しみたい」のだ。

それが異性であっても実はさほど大きな違いはない。年齢的なモノもあるのかも知れないが、本当に「自分のモノにしたい」と信じることが出来るのは、対象との距離がかなり近く、必要十分に情報が集まってきて、初めて可能になることだと思う。要するにそこに「見た目だけ」という入り口はあまり大きな意味を成さない。より多くの楽しさを共有出来る可能性として、その異性の価値が大きくなるのだ。

しかしよくよく考えてみるとそれは同姓であってもさほど大きな違いはないように思う。先ほど「気持ちいい」を除外したが、SEXを抜いた関係においては、男友達も女友達もほぼ並列なのではないだろうか。まぁ時として「異性だから得られる情報」や「同姓でこそ分かち合える共感」はあるだろうが。

テレビのアイドルや映画俳優を見て抱く「カワイイ、カッコイイ」という感情は、必ずしも性的な魅力と直結しているわけではないと思う。ここで自分がロリコンかどうかを議論するつもりはないが、「小さきものはみなかわゆし」という古文や、「同姓に人気があるモデル」、純粋な美的感覚に訴えかけてくるビジュアルは絶対存在する。

成人式で振り袖を着る女性より、紋付き袴にピアスとグラサンの兄ちゃんに「魅力」を感じた感性は、もっともっと分解していくときっとかなりピュアなものなような気がする。今の世の中だと勝手に写真を撮ったら犯罪になってしまうけど、もし許されるなら凄く手元に置いておきたい「見た目」というのがたくさんある。それは時に次世代ホビーフェアで前に並んでいた小さな男の子であったりするし、時に最高にオシャレなカウガールのような格好をした女の子であったりする。もちろん街ですれ違ったメイクを完璧にした女子高生の場合もあるし、テレビに映った男優のちょっとした仕草であることもある。

 ビジュアルと内面は切り離して考えてもいいと思った。

誰も共感できないかもしれないけどさ。

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