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2006年1月16日 (月)

作品性~アニメ・ゲームほか~

●今回のは久々に長いよ~(^^)。

ゲームでもアニメでも音楽で映画でもマンガでも、もちろん絵画や書画、骨董でもなんでも「商品」と「作品」が存在する。実際は多くのものが「商品」として世に送り出されるが、その中で特有の価値を見いだされたものが「作品」と呼ばれる様になるのだと思う。きっかけとしてのそれは、時としてニーズであったり、時として時代背景であったりすると思われるが、本当に「作品」と呼ばれるに相応しいものは、どの時代、どの世代にもそれなりの訴求力を持つ。
※この場合の「世代」はあくまで対象として成立する程度の範疇ね
今日はそんな話をだらだらとしていきたいと思う。

以前伊集院がラジオで「俺の好きなアニメベスト5」の話をしていた。うろ覚えながら1位は「まんが日本昔話」2位以下に「あしたのジョー」「はじめ人間ギャートルズ」「ガンバの冒険」「元祖天才バカボン」が並び、さすがは芸能界一の「対オレシンクロ率」を誇る男だと感心したものである。いや実際の僕のベスト5とは異なるのだが、重要なのはその着地点だ。

「まんが日本昔話」と言えばつい昨年から再放送がゴールデンタイムに始まったほどの広域訴求タイトル。全ての話が最高というわけではないが、二人の語り口と素朴ながらコミカルな描写に記憶がないという人は少なかろう。枠内に収めるために多少の脚色や変更があるのも、エンターテインメントとして必要最低限のマナーであると思うし、とても素晴らしい作品だと思う。

しかし今日話題に挙げたいのは残りの4作だ。その監督は計らずも全て「出崎統」氏。ラジオでも言っていたが、無作為に記憶から掘り下げたお気に入りの80%が同じ人の手によるものだというのは、いったいどうしたことだろう。他にも「宝島」「ベルサイユのバラ」「家なき子」なども挙げていたが、当然それら全てが同時に作られたわけもなく、アニメ全盛期であったことを差し引いても、かなり長期的に、多くの視聴者の心に訴えかけたことは間違いない。

特に驚かされるのは、今でもその作品の持つ面白さが十分に通じるということだ。子供がガンバを食い入るように見る。同じようにハム太郎も楽しむ。取引先のタメのバイヤーが「大人になって見るとバカボンはオモロイなぁ~」と力説する。昔録ったコブラのビデオは今見ても十分原作の良さを引き出しつつ展開によどみがない。

そう。氏の作品はテンポがいい。事実上のダイジェストとなる劇場版ガンダムのようないびつなハイテンポではなく、たかだか十数ページの1話を強引に30分番組として成立させたドラゴンボールのようないら立ちもない。要所要所で入る劇画調の一枚絵、適材適所な声優陣、納得の作画と彩色。何より見る者の視点を見失わないエンターテインメント性。

昨日ふらふらとそれに関するワードで検索をしていたら、結城信輝さんの対談があった。そこには「作画によって質が激変する」話が大きく取り上げられていて、僕的には大きくカブリを振って納得。監督はもちろん重要だが、脇を固めるスタッフもしかり。最終的にはテレビアニメとはいえ、人間の手が作り出しているわけだから、「クオリティ」を管理する立場の人間に能力がなければ、それはそのまま画面に出る。言い換えれば奇跡的にも素晴らしい人間達が集った1話には、映画にも負けない作品性が生まれるのだ。

思えば「作品と才能」は切っても切れないものだったのかも知れない。あるアニメに感銘を受け毎週楽しみにしている自分と、途中で「なんだか面白くなくなった」と感じる自分。絶大な支持を受けた作品の裏にはすべからく「天才」と呼ばれる絵描きがいたのだ。※言い換えればそんな天才が最初から最後までめとった作品は少なく、個々の話単位で優劣が明確に発生するのも当然のこととも言えたみたい。

余談だが僕がハートを打ち抜かれた話をいくつか書いてみたい。覚えている人はいるかな。
※うろ覚えなので多くがキーワードだけッス(^^;。
※先ほどのサイトで見かけて引き出されたものも

・うる星やつら「大金庫」「女湯」「立ち食い」「とろろ」
・マクロス「愛は流れる」
・ニルス「歩く銅像」
・ダンバイン「ハイパージェリル」「東京上空」
・ゴーグ「出会い」
・ガンバ「1話」「最終話」ほか多数
・コブラ「ラグボール」
・二十四時間テレビのアニメ「バンダーブック」ほか
・エヴァ「アスカ来日」ほか
・ナディア「1話」「最終話」ほか
・トップをねらえ「最終話」
・ジャイアントロボ ほとんど全部
・イデオンやゴッドマーズやダイターンも絶対あったはず
・エースをねらえ!「劇場版」

ホントはもっと他に書くべき作品があったはずなのだが、忘れっぽい自分が憎いぜ。

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ゲームでも作品と呼べるものはあると思う。が、実はそれほど思い当たる節は多くない。それはやはりハードウェアによる「殻」の部分にも面白さ、楽しさの要因が多く含まれていて、そしてその部分は作家性をとやかく言う前に「劣化」しやすいからだ。

PS版リッジレーサーなどはその最たるものだと思われる。ポリゴンレーシングの事実上の始祖である「バーチャレーシング」であれば、そのプリミティブなビジュアルとゲーム性に今でも十分楽しめる「隙」があるし、現状最高レベルのレースゲーもまだ経年劣化していない分だけ素晴らしく目に映る。しかしPSリッジは当初「ハリボテ」だったバーチャレーシングのグラフィックが、急激に写実的になり、レスポンスもスピード感もそして楽しさも、異次元のそれを実現していた。しかし同ベクトルでの「殻」の進化に対して「維持できる」魅力のウェイトが極端に少なかったのか、今プレイすると当時どうしてあれほどまで魅力を感じることが出来たのか、不思議ですらあるのだ。

ということはそんな「殻」にゲームの魅力が依存しないタイトルこそが「作品」と呼べるのではないか、ということになる。相変わらず根拠無く思いつくままに列挙してみたい。キーワードは「むき出し」である。

・スーパーマリオブラザーズ
 2でも3でもワールドでも64でもサンシャインでもなく初代だけが持つ「作品性」があると思う。でなければ今でもミクロの店頭デモに入っていたりはしないし、それを娘が触りたがったりもしない。「殻」の進化に依存しない魅力のカタマリ。発明でありスタンダードとなった奇跡のゲーム。それがスーパーマリオだったと思う。

・ピクミン
 ビジュアルの経年劣化が進もうとも、その内なるゲーム性が色あせるとは(現状)全く思えない。思い通りになる操作性、思い通りにいかないピクミンたち。緩いプレイにもシビアな研鑽にも耐えうる懐の深さはさすがとしか言いようがない。個人的には「ひらがな」モードがある点も非常に大きく評価したい。

・超連射68k
 いろんなSTGを好きでプレイしてきたが、今一本選べと言われたら迷わずこれを選ぶ。わかりやすく気持ちいい操作性と爽快感。昔のゲームだったはずなのに昨今プレイしても全然面白さが目減りしていないのはまさに魔法のよう。フリーウェアという点を除いても、「訴求対象」の最も大きなSTGと呼べるチューニングは、特筆以外の何物でもない。これをパッドなりスティックなりでプレイして「全く面白くない」という人は他の全てのSTGが楽しめないとさえ思う。

・ウィザードリィ
 「遊べる」か「遊べない」かのハードルは確かにある。がそのゲーム性はとても刺激的で時代を感じさせない魅力のカタマリだ。ルールを覚えるという大きなハードルさえ越えられれば、何度も何度もレベル13になる嬉しさは訪れるし、ムラマサを手にした感動も色あせたりしない。「終わりのないゲーム」狂王の訓練場は、完全に初期化してもまだなお始められる、人間の根本的な欲求を満たす魅力が、このシステムにはある。

・テトリス
 例えば喫茶店やゲームショップの片隅で「タダで遊べる」ゲームが置いてあったとしたら、最も「触りたくなる」人が多いのではないか、という歴史上訴求対象の最も広いタイトル。ルールのわかりやすさ、簡単に得られる達成感と爽快感。確かに派手さはないがスーパーマリオ同様、発明でありスタンダードとなった奇跡のタイトルの一つ。個人的には全てのハードに内蔵してもいいんじゃないかと思うのだが。
※携帯電話とかカーナビとかも含めてさ。

・アルカノイド
 実は面白い&誰でも遊べる凄いゲーム。でもテトリス同様その面白さの頂点が低いため、商品として成立しづらい位置にいるとても残念なゲーム。何度も気軽に簡単に遊べる耐久力の高さも明言したい。実は難度がやや低い「リベンジオブドー」の方が一般向けだったりするが、まぁそれは大きな問題じゃないな。

・イースI
 これは人によって意見のわかれるところかもしれないが、アクションRPGの中で最も多くのハードに移植され、最も多数の移植回数をほこるのがこの作品である。それはつまり「ニーズが恒久的」に存在したからこそであり、裏を返せば普遍性をはらんだ強い魅力がべースにあったということに他ならない。例えプレイする層が歳と共に年齢を重ねていったという事実があったとしても。

以下番外

要するに「久しぶりのプレイ」でも何度も楽しめるというのが作品なんじゃないか、という着眼である。非常に強い「楽しかった」「面白かった」という記憶が、いざ掘り出してみたらそれほどでもなかった、というケースは決して少なくない。もちろん中には「思った通り面白かった」ということもあるだろう。それこそがその人にとっての「名作」、「作品」なのだろうと思う。ちなみに今回挙げたものは自分の嗜好を比較的抑えてチョイスしたものばかりだが、いざ「嗜好丸出し」でチョイスし直そうとしてもなかなか出てこないのが現状だったりするのだ。
※「鋼」「エストII」「ソロモンの鍵」「月下の夜想曲」など。「ピクロス」はちと反則気味かな。

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音楽は他のジャンルと違って簡単に接することが出来る分だけ、経験による嗜好の差が出やすい。現代の消費されるランキング曲は耐久力やメロディそのものの持つ力が少なく、例えば歌い手、例えばタイアップなど付随する要因が原動力という本末転倒な事態が起こっている。別にそれを悪く言うつもりはないが、やはり

 知っている人なら誰しも「好き」だと口にする
※変に意地っ張りな人は除きますよ(^^;

そんな曲こそスタンダードナンバーと呼ぶにふさわしい。僕の経験上一番その「私も好き」を聞いたのはこの曲。

 椎名恵 「LOVE IS ALL」

透明感のある歌声は色あせず、穏やかでポピュラーなメロディライン、わかりやすく説得力のある歌詞。あんましヒットした記憶がないけど、二十代後半から五十代前半までの人ならそうそう毛嫌いしないと思う。

ちなみにこういう話は「蚊帳の外」な方にはとんとピンと来ないと思うのだけど、そういう人にもどの曲が「広い」のか、ちょっぴり考えて欲しいと思ったりした。僕はそういう「多くの人に支持される感覚」を結構重視するんだよね、何かにつけて。っていうかそれって孤独ってことか?

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映画は先日書いた「ローマの休日」や「バックトゥザフューチャー」に行き着いてしまう。ゲーム同様テンポよく心地よく楽しませてくれる作品。何も常に泣きたくて映画館に足を運ぶ人ばかりじゃあるまい。友達と行くのでも恋人、家族、一人で行く場合でも、その作品に求めるものは、多くの場合「娯楽」だろう。

時には冒険者となり、色男となり、マフィアとなり、戦士となり、スクリーンの中の登場人物に心を重ねて僅かな時間、浮き世を抜ける。時には単なる傍観者に過ぎないこともあるだろうし、傍観者であることに感謝することもあろう。わずか2時間ほどの異世界。そのエッジには先ほど挙げた二つのようなタイトルがあるが、ゲームやアニメと違ってその多くが「作品」と称されるのは、やはりそれだけ「一人の人間の個性」が強く反映される娯楽だからなんだろうな。

大衆に受ける作品だけがスタンダードであるというつもりは全くないが、現状テレビで再放送される作品はその範疇を脱しない。要はハリウッドでありジブリであり007なのだが、以前は機会がなければそれ以外の素晴らしい作品に触れるのは難しかった。しかし今はネットというとっても便利な秘書がいる。自分と好みが近いライターを見つけることもそれほど難しくはなくなった。だが実際本当に「好みの合うライター」が魅力を力説する作品となるとそれほど多くはないことに気付かされるはずだ。そう「作品」自体は星の数ほどあれど、「名作」と呼べるものはやはりそれほど多くはないのだ。

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他には造形物として例えばフィギュアの原型などはもちろん「作品性」があるし、視点を変えれば「建物」や「車」「ヘアスタイル」にも作品性は存在するだろう。全部が全部じゃないが、ちょっぴり興味の弦を弾き、その素晴らしさがいったい誰の手によるモノなのか、誰の感性が自分の波長とシンクロするのかを調べてみると、きっとその娯楽はもっと楽しくなると思う。「作品性」→「その品を作る人の性格」が出る。好きな人との出会いは、何も身近な異性だけが素晴らしいわけじゃない。

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