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2006年5月28日 (日)

易しいヌルい柔らかい

最近の、というかここ数年のトレンドは間違いなくコレだろうと思う。いわゆる「軽薄短小」がゲーム業界で良いのでは?と言われていることにも似ているが、僕の中ではそれ以上にウェイトが高い。

易しいというのは特にわかりやすい。カービィの作者桜井政博先生が、初代カービィを作る際、「空気を吸い続けていれば落ちて死ぬことはない」という設定を同僚に「それじゃあどうやってゲームオーバーにさせるんだ!?」と大きく否定されたとか。
※もし他のゲームだったらゴメンね。うろ覚えなんで。

「ゲームオーバーにさせること」なんざ必要ないんですよ。要は楽しめればいい。例えばニューマリでさえそこはとっても気を使っていて、

1.マリオは5機でスタート

2.スーマリになり、ファイアマリオになったあとでキノコが出るブロックを叩くと、当然ファイアフラワーが出てくるが、それを一つストックすることが出来る。

3.ストックしたファイアフラワーはタッチパネルを触ることでいつでも上から降らせることが出来る。

4.ファイアマリオは1ダメージでスーマリに、2ダメージで小マリになるが、小マリ時にファイアフラワーを取ると一気にファイアマリオになる。

5.ワンナップも頻繁にある

6.どんどん残機が貯まる。

これはセーブに枷を付けることで緊張感を高める代わりに、チャンスそのものは底上げしていることに他ならない。これはとどのつまり「無限1UP」を肯定しているとも言えるが、本音としてはあれほど安易ではない「1UP」の楽しさを折り込みつつ、チャンスを増やしたいというところだろう。

思えばFF12のセーブクリスタルの多さにも驚かされた。ヘタすると都会のセブンイレブン並にたくさんあったからね。

 「あ、このセーブから次のセーブが見えそうだ」

ってなくらいに。それもまた「易しさ肯定」の結果。探せばどんどん出てくるよ、鬼武者だってバイオだって対戦格闘ですらベースの難度は絶対下がってる。昔は「ライトユーザー向け」とやや否定的な表現でくくられたチューニングも、今ではむしろそれこそが王道であって、マニア向け、不親切、不条理な作りは「完全否定」の流れだもんね。

ヌルいというのは別段ゲームに限らず、ストレートに食べ物にも言える。要するに熱くて敵わんという物は望まれない。まぁ茶の湯の昔から人をもてなす心として語られてきたことでもあるんだけど、要するに「相手の気持ちになる」ってことなんだよね。易しさもヌルさも"優しさ"のくくりの中みたいな。
※堅さに関してもそう。チョコでも飴でもパンでも肉でも「柔らかいもの」が評価される。堅くて良いとされてる物なんて「堅揚げポテト」くらいじゃないの?

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DSが市民権を得て僕が何が嬉しいかって言うと、そういう「優しい」作りが見直されるってことに尽きる。昔から僕は「初心者に対する配慮」を怠ったゲームが大ッキライで、人間としての奢(おご)りや気配りのなさ、至らなさみたいなのを凄く感じてきたんだよね。なんつーか、

 「頭の悪いヤツ」

が作ってるような気がして。

ゲームは作品でもあるけど、同時に商品なわけじゃん?となればプレイヤーのことを考慮するのは当たり前。もちろん中にはレーティングで「何歳以上」みたいなくくりを必要とするものがあるのもわかるけど、単純にプレイヤー不在の作りはどう考えてもNGだと思うんだよね。まぁそれは僕が接客業に携わっているからかも知れないけど。

だからDSで大きく開拓された高年齢層や女性層なんかは、ホントそう言ったところを油断なく綿密に仕上げる必要があるし、出来ないソフトがそういう人を対象にするようなマーチャンダイジングをするのは許せなかったりする。

プレステを作った何とかって人が「任天堂がゲームで遊ぶ子供を育ててくれるという事実は絶対忘れちゃならない」みたいなことを言ったって話は以前に書いたかも知れないけど、結構他の会社では出来ないことなんだよね。初心者や「ゲーム弱者」に対する繊細な配慮ってヤツは。

でもこれって実は別に初心者だけじゃなくてヘビーユーザー、マニア層にもきっちり恩恵があったりする。グローバルな視野で売り上げの底上げになるウンヌンってこともそうだけど、純粋に配慮に配慮を重ねたゲームってのはやっててとっても遊びやすいんだよね。言葉を代えれば「生産性が高くなる」。

ロード時間やコマンド周り、移動や操作に関するレスポンスやヘルプなど、初心者に配慮されたチューニングが上級者にマイナスになるケースってのはほとんどない。むしろ僕が評価するのはこの辺りの部分で、遊んでいて「イラつく」ことの少ないゲームというのがなんと価値が高いことか、って思うもの。

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ゲームってのはいろんな人のスキルと才能とセンスが集まって出来るモノなんだけど、やっぱり重要なのはそれらを取りまとめて「良い物は良い」「悪い物は悪い」と言える人材、ディレクターなり総指揮なりのスキルによると思う。でもって実はそのスキルが傑出して高い人間ってのは世の中にそれほどいないんだよね。それにも理由があって(まぁ僕の想像だけど)、結局そのスキルってのは目に見えにくい。結果として映画ほど監督の個性が出ないのがゲームだから、上層部からディレクターの存在価値がイマイチ低く見られている気がする。特にFFなんかはその傾向が顕著なんだよね。とにかくキャラデザインだとかグラフィッカーだとかサウンドだとか、CGだとかにウェイトが行き過ぎちゃって、「結実させる」スキルが今ひとつ伝わってこない。

その点任天堂の宮本さんや、ドラクエの堀井さんは違うように思う(ゲームフリークの田尻さんもかな)。とにかく作品とってプラスかマイナスかの判断基準に根拠と自信とセンスがあるから、結果にカラーが出るし、クオリティも高くなる。まぁこんな天才先生方にしかゲーム作りが出来ないわけじゃないとは思うんだけどさ。

きっと「わかっている」人自体は相当数いるんだろうと思う。でもその「わかっている人」に権限や資金がしっかり与えられていないと、結果は出ない。結果が出せる作品が少なくなる。

今「つよきす」をやっていて、エロゲー特有の市場で形成された力関係とその正当な評価に、ちょっぴり感心したりする今日この頃なのですヨ(^^)。

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