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2006年5月30日 (火)

男の書く女の子のセリフ

「女に化けた」男が書いたスパムメールや、客引きメールというのがある。少し前なら実際の女の子がサクラとなってダイヤルQ2に掛けさせるみたいなこともあったけど、エロゲーをやっていても、ネットゲーの中の「ネカマ」にしても、

 男の望む女の子の言葉

は商売として確実に成立する。

ともすればそれを「キモイ」とか「痛い」とかで中傷したりする場面も見受けられるが、今自分が「つよきす」をしながら冷静に考察してみると、どうやら少々違う感性が働いていることに気付かされる。

以前「涙を流すトリガー」の話を書いたことがあったが、人間の感情とはなにもリアルだけがきっかけとなって振れるわけではない。テレビに映る後進国のめぐまれない子供達の映像に涙するのも、ドラマの中で不治の病に冒され死んでしまう子供に涙するのも、「泣く」という行動そのものに違いはない。

映画を見て感動するのも、小説を読んで感動するのも、結局は脳が指令を送ったという見地から言えば何の違いもない。経験の蓄積がモノを言うだけで、どちらが優れているとか劣ってるというのはさほど意味がない。まぁコストパフォーマンスの大小はあるだろうが。

だから別にその発信者の性別はこと娯楽においてほとんど意味がない。女性が書いているから「ソソられる」行為が正常だと思うのなら、少女漫画で魅力的な男の子はすべからく男性漫画家が描くべきだということになってしまうし、トレンディドラマのセリフはほとんどがアドリブなのか、ってことになってしまう。

 要はそれがどう聞こえるか

 ってことなのだ。

ここでもあえて釘を刺すとするなら、これは「リアルに」ではない。映画も小説、漫画、ゲーム、まぁ言ってしまえば風俗も、娯楽というくくりの中で消費者に望まれているかどうか。ネカマであってもそこにニーズがあればそれは誰に否定されるいわれはないと思うのだ。

 本当の女かどうかは、当事者にとってそれほど重要じゃない。

この点が妙にゲーム関係は取りざたされやすい傾向があると思う。繰り返しになるが、ドラマだって漫画だって同じなのだ。脚本家が女だからカッコイイ男の子のセリフが書けないわけはないし、監督が綺麗と思うのは別に異性だけじゃない。例えばその人がホモやレズであってもそんなことは問題じゃないのだ。

だからエロゲーをやっていて、「このセリフは男が書いてるんだよな」とか「こんなことを現実に言ってくれる女の子がいたらなぁ」とかの感想を抱くのは正解じゃない。言い換えればそう思ってしまうようでは「楽しむ技術」が足りない。

以前にも書いたかもしれないが趣味や娯楽というのは実は勉強やスポーツと同様に「楽しむ為にはコツが必要」。ピカソの絵の良さを理解するにも夕陽の美しさを感じるにも、経験ときっかけによるハードルを越える必要があると思う。

 話を少しそらすが、

人生は楽しい方がいいに決まっている。例えば子供だましと称されるアニメやオモチャであっても、楽しめる人間と「くだらない」と吐き捨てる人間がいたとしたら、絶対前者の方が幸せだと思うし、
 「誰かに非難されるかもしれない」

という強迫観念を取り除くことさえ出来れば、どんな趣味だろうが嗜好だろうが楽しんだ方が当人にとっては幸せなはずだ。家族や恋人は兄弟や友人、取り巻く全ての人間が、肯定するかもしくは知らないままでいてくれたら、、、。

言い換えれば人間本来、自分本来の欲望というのはそういうところで初めて具現化するものじゃないかとも思う。もちろん良き理解者に囲まれて、自分を抑えることなく趣味嗜好に走ることを許されるケースもあるだろうし、自分一人でも自給自足で精神的満足を得ていることもあるだろう。が、やっぱり自分の中の良心や羞恥心が無意識のうちに抑制してしまう部分こそが本来求めているものなのだろうと思うのだ。

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ステロタイプのエロ漫画やトレンディドラマ、時代劇やハーレクインとか、戦隊ヒーローだろうとボーイズラブだろうと根底に流れている価値観は何もそう大差があるもんじゃない。

 楽しく面白く(時によっては気持ちよく)自分を染め上げるための道具

なのだ。それがある人によっては無価値となり、ある人によってはかけがえのない大切なものになるだけのことなのだ。

>どうやら少々違う感性が働いている

先ほど書いたこと。自分が内側に入ることが出来れば、いろんなものが違って見えてくる。これを第三者がどう思おうとそんなことはどうでもいいことなのだ。理解とは努力や経験だけで何とかならないこともある。きっかけ一つで価値観が変わり、何気ない一言が大きな意味を持つようになる。

女子高生が「キモイ」「ウザイ」を連発するのは、ある意味理解力のなさからくる逃避とも言える。
ある時伊集院が「サインをねだってくるヤツは秋葉原の連中が一番礼儀正しい」みたいなことをラジオで言っていた。見た目や嗜好にクセがあるため、社会的な地位は低く見られがちなオタクやマニアだが、それは裏を返せばより広いキャパを持って嗜好を肯定しているとも取れる。だからこそクセのある芸能人にもきっちり筋を通せるし、必要以上に他人に干渉したりしない。

アキバがあれほどの熱量を維持できるのは、実はメンタル面でかなり高度な思考回路に裏付けされているからなのかもしれないよ(笑)。

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