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2006年5月29日 (月)

デジタルコミックとアドベンチャーと「つよきす」

最近いわゆるエロゲーであらせられるところの「つよきす」なんぞをプレイしていると、その昔「これはもうゲームとは呼べない」みたいな、謳い文句ともタダの文句とも取れないようなふれこみで売りに出された「デジタルコミック(以下デジコミ)」というジャンルを思い出す。

デジコミを有り体に言えばコンピュータゲームのフォーマットに載せた漫画である。多分その草分けはPCエンジンのコブラ辺りになると思うが、テキストを読みつつ時折ちょっとした選択肢やミニゲームなんぞを折り込み、さしたるフラグ立てやゲームオーバーもなくエンディングに到達する、よく言えば画期的にライトな、悪く言えば非常にコストパフォーマンスの悪いゲームであった。

一方アドベンチャーゲームはと言えば、その昔、と言っても僕ですらほとんど知らないような昔は画面に「絵」すら表示されず、文字だけでイメージを膨らませて物語を進めていくスタイルのものが起源となる。その後名詞や動詞の組み合わせで「謎を解く」スタイルのものとなり、ポートピア連続殺人事件に代表される「コマンドを選択肢から選んで進める」ものに進化(人によっては『進化』ではなく『変化』と称する人もいるかも知れないが)していった。

RPGがそうであったようにアドベンチャーゲームも、当初の「クリアする喜び」「達成感」に主眼をおいたチューニングから、物語を楽しむ、謎解きや推理そのもの、世界観を楽しむものへと変わっていく。そしてその系譜の一極こそがデジコミであるとも言えるのだ。

デジコミの元々のウリというのは現実問題キャラクター商品の意味合いが強かった。既存の人気コミックを題材にし、肉声でキャラクターがしゃべり、自分が主人公になって物語に介在する。時には原作にはないオリジナルなストーリーを楽しんだり、馴染みのある効果音やBGMにニヤリとしながら、(短いながらも)充実した時間を過ごすためのファンアイテムだった。

それはある意味「役割を演じる=ロールプレイング」ゲームであるとも言えるが、その物語に対する思い入れや愛情が強ければ強いほど、もしくはその主人公に対する変身、成り代わり願望が強ければ強いほど、楽しさが増幅されるのは考えるまでもない。いわゆるRPGと比べて、アドベンチャーやデジコミはその物語への依存度がより高いのだ。

これに対してエロゲー、ギャルゲーの歴史はちと趣がことなる。要するに「オカズ(Hな絵)」があくまで重要でありシステムや物語は二の次になっていたケースがほとんどだったのだ。それはたとえ大手と呼ばれるソフトハウスの作品であっても変わるモノではなく、あくまで「絵ありき」だった。そう、あるソフトが登場するまでは。

  「ときめきメモリアル」

僕自身はそのヤケドの傷口に火のついたトウガラシを練り込むような熱すぎるブームをすり抜けてしまったが、「エロくなくてもゲームの中の女の子に気持ちを傾けることが出来る」システムと、言葉としてはなくとも、感覚としての「萌え」が文字通り萌芽した瞬間だったろうと思う。
※似たシステムを持つゲームに「プリンセスメーカー」もあるが、あれはスタンスとして女の子との距離が遠い。「仲良くなるために自分を磨く」のと「理想の娘を育てる」のとではやはりモチベーターが異なる。

以後ギャルゲーはニーズの細分化によってさまざまな方向に進化していく。市場として明確に一般ゲーム機用「アンダー18」を意識したものや、半ば犯罪を助長しかねないと思えるもの、物語性を前面に押し出し涙腺を思いっきり刺激するものなどそのベクトルはどれも深く濃くなっていった。

僕がいま楽しんでいる「つよきす」はそんな進化(深化とも言える)がかなり進んだ形だと思う。なぜならこのソフトは様々な技術革新と時代背景、市場形成があって初めて成し得た「結晶」と言えるからだ。

DVDが市民権を得、大量のボイスデータをグラフィックと共に扱うことが可能になること。グラフィックの精緻さより凄まじいテキストを気持ちよく読ませるためのレスポンス。

「萌え」から生まれたいろんな「女の子」の性格&ビジュアル設定とニーズ。声優の地位向上と商売が成立するに足る市場規模の拡大。「ツンデレ」ブーム。

重くつらい話やサスペンス、ホラーと言ったシリアス中心だった市場に、世の「お笑いブーム」の流れからか「笑うこと」の価値向上と、大きな市場開拓。

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楽しく軽妙にして技術も経験も豊富なキャストをふんだんに使ったフルボイスのデジタルコミックを仕上げる。マンガでは見えなかった色、聞こえなかった声、RPGでは扱いにくい学園モノという舞台とその感情移入しやすい、でも現実にはありえない世界。お笑いでも「スベる」のが一番痛いように、ゲームの中のテキストもそのセンスが非常に大きく問われる。

もちろん「慣れ」は不可欠で、その世界に嫌悪感を抱いてしまう人には不向きだ。しかし、「負けることのない」システムの上で、大いに笑い、ちょっぴり切なくなったりしながら、学校からの帰り道にしたようなくだらないおしゃべりに興じられる世界。

別に女の子とHな関係にならなくても全然平気だったりするところも凄い。自分が中高生の頃、文化祭や体育祭の準備で、友達数人と一緒笑った放課後の教室、帰り道の風のにおい。懐かしい、羨ましい思いを画面の中に感じながら口元には笑みがこぼれる。

 別にエロがなくてもいいから、ずっとこの時間が続けばいいのに。

ヤバイ!軽く現実逃避してる自分に気付く(^^;。つか僕らぐらいの世代で、あの絵柄に抵抗がない人なら、ホントジャストミートする作品だと思う。7時間くらいプレイして「なごみ」ルートも佳境に。
※つかむしろエロは蛇足とさえ思えたりして・・・。つかむしろ100%「デレ」に入ってからは正直疎外感すら感じたりして。相手の気持ちが見えないからこそちょっとした好意や笑顔に嬉しくなるんじゃねえの?みたいなさ。PS2版がもしより抑えが効いてるのなら、むしろ「買おうか」ってくらいの勢いだ。

この作品を最後に脚本家が抜けてしまったと聞いたが、この才能は絶対埋もれさせるには惜しいし、また埋もれないだろうと思う。次回作に心から期待したい。

余談だが、このゲームの面白さ楽しさはボイスあってのもの。家族と同居していたり、兄弟と相部屋だったりしたら、正直プレイするハードルは激上がりだ。それでも(絵柄やギャルゲーそのものに抵抗がなければ)オススメしたいと思うのは、それだけエロ以外の部分が素晴らしいからに他ならない。

「劇場版うる星やつら2ビューティフルドリーマー」で、永遠に続くかと思われた「文化祭前日」の喧噪と友人との他愛ないおしゃべり。漫画「生徒諸君!」での言葉にすると陳腐だが実際「内側」にいると凄く楽しくて幸せな「なかよしグループ」。「ビバリーヒルズ高校白書」もそうかな。

 「そうか!」

なにげに今気付いたけど、「つよきす」は「友達と遊ぶゲーム」なんだ。だからエロもいらないし、懐かしい感じが凄くする。リアルな人間とのコミュニケーションで楽しさを構築するネットゲーと違って、その世界は完全に架空のもの。でも自分も相手も交わす言葉は素人のソレじゃない。

僕は以前から「出来の良いノンプレイヤーキャラクターは、現実のネット友達を凌駕する可能性がある。」と考えていた。オフや、チャット、同好の志としてもつきあいのあるような友人とのネットゲーならともかく、昨日今日会ったばかりのぎこちない関係、殺伐としたPKが跋扈する世界でのやりとりにおいては、むしろ不快感を催すケースも否めまい。

もちろんデジコミというスタイルでは、自分の口にする言葉すらも縛られ、物語への介入度、インタラクティビティはほとんどなくなってしまう。しかし、他の全ての登場人物に声優が当てられているのに対し、主人公=自分だけは文字表記のみというスタンスで臨まされることで「演じる楽しさ」を演出しているとも取れないだろうか。

そんな着眼から考えると、このソフトが「エロを起点」にしてしか市場に産み落とされなかったことが、なんだか口惜しく感じてしまう。もっと自由に学園生活を楽しむ、別に色恋沙汰だけが楽しいことじゃなかったはず。ネットゲーでもいいしそうじゃなくてもいいけど、なんつか「楽しさの芽」がまだきっと隠れているような気がするなぁ。

未だ評価は崩れず★★★★★。

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