CPU
人間の欲求や感覚には優先順位があります。よく言われるのは、「かゆみ」が最も耐えられないとか、「歯痛」が最も痛いとか(女性の場合は出産の方が上かも知れませんが)。これは体が脳に対してより頻繁により強力に指令を送っていることに他なりません。
常連さんのブログで「暑さに弱い」という話があり、僕はおもわず「それを忘れたらいいんじゃないの?」的なコメントを寄せました。僕はここ数年いろんな場面で「脳を思い通りに出来ないか」ということを考えています。暑さ寒さだけでなく、空腹、尿意、便意、かゆみや歯痛と言った生理的なモノから、涙、怒り、欲情(!)などの感情、より早くノンレム睡眠に入れないかとか、仕事絡みでも周りの雑音を一切シャットアウトして集中すること、同じネタで何度も笑うには、歌やアニメをより楽しむにはどうするか等々。
人間の脳にもコンピュータのメモリのようにリソースやスロットがあって、その中でも生理的欲求や感情的欲求、判断を司るそれぞれのセクションがきっとあると思うんです。いくら空腹だからと言って1秒の間断なくそれを意識し続けることはないと思うんですよ。仕事にしても遊びにしても、その時その時でシフトを切り替えているはず。
これを言い換えれば、これまでそこに「空腹」がはまっていたところに、同カテゴリーで優先順位の高いものを上書きすることが出来れば、一時的にでもそれを押さえ込むことが出来るはずだと思うわけです。人によってはそれがゲームかもしれないし、エロかもしれないし、音楽かもしれないし、睡眠かもしれない。とにかく全ての処理を同時に出来るわけはないはずだから、ちょっとしたきっかけでいくらでも「脳をいじる」ことは可能だと思うのです。
あとそれほどコアじゃない、フィジカルな話では、単純な体の動きや体勢でそれらの欲求、感覚をごまかすというのも十分アリだと思います。尿意を我慢するときに足を内股にしてモジモジしてしまったり、寒くて手に息を吹きかけたり。
以前書いたかも知れませんが、人間の体の表面には体温と近しい空気の層が出来ています。ですから、息を吹きかけるとその空気の層が破壊されて、外気温が体に直接触れ、涼しさを感じる。そう頻繁にはないかもしれませんが、扇風機の風が熱いと感じたことはありませんか?これは体温よりもその外気温が高く、体の表面にある外気温の熱をある程度緩和している空気の層が破壊され、熱風となって体に当たるために起こる現象なのです。だからもし自分の部屋の階下でガンガンエアコンを掛けられるなどして熱気が全てこちらに回ってきて、室内の温度があり得ない43度とかになってしまって、アゴから滴(したた)る汗が毎分20回を超えようか、いやむしろ人間はどのくらいまで暑さに耐えられるのか自分で試してみようか、などと愚か極まりない妄想を抱きつつ「あぁ~汗で池が出来た!(はぁと)」などと人間としてそれはどうよ?と自問自答したくなる課程をあえて楽しむ余裕を見せつつ暑さと向き合ったりした高校時代を過ごしてきた僕としては、むしろ熱風しか発しない扇風機より濡れタオルなどで気化熱を利用したクールダウンをしたり、大きめの桶に水を溜めて足だけでも涼しくしたりといった原始的だけどかなり有効な手段を講じたりもしました。
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そんな脳のメカニズムですが、正直まだまだ謎が多いです。っていうか何を当たり前な!とも思いますが、例えば(例えとして最低ではありますが)「不意に勃起してしまった息子をなだめる子守歌」というのも絶対ある(もしくは作れる)と思うのです。まぁ昔は渡辺美里の「MyRevolution」だった時代もありましたが、最近ではいい曲に恵まれず・・・。あと女性なら「泣きたいときに泣く引き金ネタ」の便利さを感じたことがある人もいるかもしれませんし、アルコールの力を借りて平常時では引き出せない潜在能力を発揮する術を持っている人もいるでしょう。
全てに言える(と思う)のは、それらは意識してやれるはず、ということ。
火事場の馬鹿力や怪我をしたときに出血を止めるアドレナリン分泌、怖い話を聞いて背筋がゾッとしたり、寒いとちんちんが小ちゃくなったりする感覚。いろんな機能が人間にはデフォルトで備わっているのですが、その多くはやっぱり脳が管理しているはずなのです。「北斗神拳は残り70%を・・・」は極論としても、100%が常に使われているとは思えない。
漠然と「今何%くらい使ってるかな」と体に問いかけてみましょう。仮に空腹感に10%、タイピングに15%、内容を考えるのに20%、尿意に20%のリソースが割かれているとしましょう、あくまで仮に、です。さぁここで電話が掛かってきました。会話しています。この時の自分のリソース、あっさりと「空腹10%」が無くなっています。当然「タイピングとその内容を考える」も休止しますし、尿意20%も15%くらいに落ち込んだ感じです。
つかそれっぽく書いてますがこんなことは誰でもが普通にやっていることなのです。何にも偉くありません。ただこれをちょっと変えて「意図的に」リソースを変更しようとするとなると少々趣は変わってきます。
例えば「ふと昔のアニメの主題歌の歌詞を思い出そうとしてみる」「ドラクエ3で最初のパーティを武闘家武闘家僧侶魔法使いにしたときと戦士戦士僧侶魔法使いにしたときの差について考えてみる」逆にもっと空腹を加速するように「脇腹の贅肉が毎秒1ミクロンずつ減っている気がする」と考えてみる。尿意が爆発してもしここで漏らしてしまったら、、、という怖い想像をしてみる。
リソースはいろんな変化をするはずです。
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僕ら小売店が品物を売る際、「○○を忘れさせる安さ」という表現を使うことがあります。例えばそれはエアコンが壊れていて非常に蒸し暑い店内であったり、わざわざガソリン代を使って移動してくる時間的金銭的コストであったり、時として自分が着用出来ないサイズの商品であったりするのですが、これも一種の脳の操作、麻痺みたいなものと言えるでしょう。そしてこれはとても幸せな感覚でもあるのです。言うなれば安さに「酔っている」のですから。
ゲームにのめり込んでいくと、キャラクターとシンクロしたり、単純なルーチンワークに大きなカタルシスを感じる瞬間というのが時々あります。他のことが全く入り込む余地がない没入感、現実の時間を跳躍するかのような加速度的な時の流れ、集中と緊張が脳のリソースを大きく占有するとき、人はいろんなことを忘れ、見えなくなる。ソフトのポテンシャルと自分の嗜好、精神と肉体の状態、意図的に操作できるようになれば、それは人生を楽しく過ごす大きな糧となる。そんなことをまたも考えているクリスなのでした。っていうか世界的にはそういうの本気で考えている人って絶対いると思う。つかつか軍事利用とかだと既に実用化してたりしそうな気もするけど、、、マンガの見過ぎかな!?
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