絶叫マシーンの想い出
昨日のアドマチック天国で富士急ハイランドの「ええじゃないか」が取り上げられていて思わず録画してまで見てしまった。つかみなさんは「絶叫マシーン」って乗ります?もしくは乗ったことがあります?もしくは平気です?好きです?
自分は子供の頃凄く怖い思いをしたのか、小学生中学生の頃まで、どんなユルいジェットコースターにも乗れませんでした。とにかく「怖いもの」という印象がトラウマとしてしっかり根付いていて、友達に誘われてもガンとして答えはNO!。
しかし高校に入ってからかな、男女混成の友達6、7人で行った長島スパーランドであることに開眼したのです。
「怖いのは落ちるかも知れないと思っているからで、「落ちるかも知れない」と思っているのは飛行機や車の事故を心配するよりも杞憂である」
そう。絶叫マシーンってのは安全な乗り物だということに気付いたわけです。確かに事故がないわけではありませんが、それとて普通に車を運転していて遭遇するよりも遙かに低い確率なわけです。要するに「怖い理由が事実無根の恐怖」だったのです。
それがふと分かったのがジャンボバイキングに乗っている時でした。リーダー格の友達が「絶対怖くないから乗ろう」と半ば強引に僕らを列に並ばせました。一緒にいた女の子の中にも僕と同じように「怖い」と及び腰になってる子もいて、僕らは最も揺れの少ないセンターの席に座ってその時を待ちました。
ゆるやかに振り子運動を始めるバイキング。
徐々に高さが上がっていき、体が地球の重力とは別の力に翻弄されていく。
バイキングは「高く上がる」ことが言うなれば「怖さの演出」なわけですが、当然その場所では高く上がるわけもなく、感覚として頂点での「無重力感」こそがバイキングのキモであることに気付き、同時にそこには恐怖がないことを悟りました。
ちなみに先ほどの女の子もどうやら僕と同じ感想だったらしく、「どうもこれは怖くない」「むしろ気持ちいいかもしれない・・・」。
結局そのあと5回連続で一番エッジに2人で乗りました。
とにかく「絶叫マシーン」と呼ばれるものの「怖い理由」から解き放たれた僕は、その日長島にあるありとあらゆるジェットコースターに乗りました。まぁその当時ですからスチールドラゴンはおろかホワイトサイクロンもない時代でしたが、
シャトルループの「押さえつけられる遠心力」で得られる安心感とグルリと回る景色を楽しむ娯楽性やコークスクリューのスパイラルな視界の変化、マッドマウスのクイックでインパクトのある動きなどどれも「楽しさがある」ことを知りました。
しかし、ぶっちゃけそれほどしょっちゅう遊園地に行くようなもんじゃない。高校三年の時に友達と一回長島に行ったくらいで、せっかく絶叫マシーンに耐性が付いたと思った頃には一緒にいくような「濃いめの親しさ」を内包する異性との交流はほとんどなかったのだ。
が、何かのタイミングで僕は今のかみさんと富士急ハイランドに行くこととなった。というかホントにその間の課程はミッシングリンクの如く空白なのだが、別段つきあってもなかった片思いの女の子と、とにかく久々に遊園地に行くと言うことで僕の胸はかなり高まっていたのを覚えている。逆算すると確か14年くらい前のことだろうか。
その日はあいにくというか梅雨まっさかりの小雨の日で、お客さんの入りも少なく、正直遊園地で遊ぶには不向きとも思える天候だったが、開園しばらくして雨は止み、僕らは何よりもまずコレに乗ろう!と一つの絶叫マシーンを目指した。
「ムーンサルトスクランブル」
まだフジヤマのフの字もドドンパのパの字もない頃の富士急にそびえる一種異様なそのコースターは当時「最もGが強い」ことを売りにしていた。まだ日本にはフリーフォールすら珍しかった時代だからどれだけ前か推して知るべしという感じなのだが、とにかくその頃の僕は
「どうせ安全だから」
が絶叫マシーンに対する印象の全てであったから、その時も全く尻込みせず一番最初の運行に乗り合わせた。
カタンカタンカタン・・・
徐々に高みを目指すコースターのゴンドラ。地上何メートルだか知らないが景色がどんどん開けてゆき、空がどんどん近づいてくる。
カタンカタン・・・。
僕らの席は一番前ではなかったが、レールが唐突に終わっていることはすぐわかった。だってその先には空しかなかったんだもの。
ゴンドラが静かに停止したかと思うと、どこかでロックが外れるような音がして僕らは後ろ向きのままスゲェ速度で突き落とされた。
「え?え?え?うそ?うしろなの?」
最下層で八の字を描くように回るコースター。何がどうなってるかわからない状況で一つだけ確実に覚えているのは、
「顔が歪む」
あまりのGの強さにほっぺのお肉が流される感覚。「宇宙飛行士の重力訓練」そんなことを思い起こしたのは当然降りてからだが、乗ってる時は「むしろ痛い」って感じ。楽しかったかと問われれば正直「良くわかんない」という答えになってしまうかもしれないが、あの正面に空しか見えなかったとき、そして後ろ向きで落ち始めた瞬間、顔にかかるGなど強く刷り込まれた記憶は、「絶叫マシーンならではの想い出」なんだろうって思った。
ちなみにそれ以来そう呼べるようなのは長島のホワイトサイクロンしか乗ったことがなくて、未だフジヤマもドドンパも乗ったことがないままに子供が出来て余計に絶叫マシーンから足が遠のいてしまいました。でも「ええじゃないか」みたいな凶悪な映像を見ると、さすがにウズウズしてくる自分が今でもいたりしますね(笑)。
※音無しです。画質の割にはサイズがデカいです>20メガくらい
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コメント
絶叫マシーンなんて怖くない、のBlueTasuです、こんばんわ。
懐かしいです。
私も同じように、「アレに比べたらなんて安全なんだ」 という思いと共に怖いものなしでした。
ですが...一度だけ大変な目にあいましたね....
高2くらいのときでした。
アレのせいで目の上を3針縫う怪我を負ったんですが、それが完治していない状態で、学校の遠足で行った遊園地のジェットコースターに乗ってしまったんですよね。
あまりのGに傷口が開いて大流血するわ、私の後ろの人に血が飛び散るわ、違った意味で大絶叫でした。
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つか、最後にある映像。見てるだけで酔えますね……。
投稿: BlueTasu | 2006年7月17日 (月) 01時40分
読んでるだけでこちらが痛くなるオハナシ・・・感謝というかご愁傷さまというか(^^;。でもその場にもし居合わせていたら、一生モノの「絶叫シーン」となっただろうことは想像に難くないですね(笑。
ジェットコースターはホント、ほとんどのものが安全なわけですが、後楽園ゆうえんちだかにあった「サーカストレイン」だったかな、ただの丸いレールをぐるぐる回るだけのやつがあったのですが、ソレ、一番高いところで止まるんですよね。で、一度マジで
「落っこちちゃった」
人がいたって聞いたときはさすがに怖くなりました。とりあえず「遠心力で体がシートに押さえつけられない」タイプのものは乗りたくないって思いましたね。
投稿: クリス | 2006年7月17日 (月) 22時12分
こんばんは♪2回目の投稿となるfurakutaruです。
僕は現在ピチピチ?の学生なんですが、最近は遊園地と無縁の生活をしてますね~
もっと若いころは、いろいろ絶叫マシーンやらジェットコースターやらに乗ったりしてました。
その頃は僕も全然恐怖を感じていなかったのですが、1度だけ、もう2度乗りたくねぇ と思ったことがあります。その時のジェットコースターの最後は、ずっと左回りに円を描きながらゴールといったもので、僕の体勢が悪かったらしく、回っている間中ずっとジェットコースターの右の手すりみたいなところに、頭をぶつけ続けられました。そのせいで現在バカなのかも・・・
それ以来ジェットコースターには乗っていないのですが、クリスさんのブログを見て、また行ってみようかなとか思ったり、思わなかったり^^
BlueTasuさんのコメントを見たときは鳥肌がたちましたね。後ろに乗っていた人なんかは、マジで怖そうです(^_^)
なんか変な文章になったかもしれませんが、ブログの更新がんばってくださいね~★
投稿: furakutaru | 2006年7月18日 (火) 00時09分
コメントサンクスですfurakutaruさん、クリスです。
ジェットコースターの記憶ってのは割と一瞬で終わってしまう故に鮮明に脳裏に刻まれにくいのかなぁとも思います。ですから「乗った」とか「怖かった」もしくは「楽しかった」という曖昧な心象は思い出せても、具体的にどんな景色だったとか何が怖かったとかが浮かびにくいのかなぁとも思いますね。そんな中でもさすがに「ケガ」は刻まれ度合いが違うようで(^^;)。さすがにBlueTasuさんほどのレベルはないにしてもガツンガツンと痛い思いしたってのは、記憶からは消えないんでしょうね(笑。
自分が小学校に上がる前に乗ったのではないかと思われる非常に穏やかな幼児向けのコースター、高校時代にもう一度乗る機会があり、おそるおそる席に着いたのですが、、、。
眠くなりました(^^;)
感覚とは磨かれると同時に鈍感にもなるのかも。相反するようで同居する絶叫マシーンに対する感性。ではでは!
投稿: クリス | 2006年7月18日 (火) 21時51分