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2006年9月14日 (木)

モチベーター

ブログで触れたことがあったかどうか既に覚えていないが、僕はディアブロ2を死ぬほど評価している。初代ディアブロはMORPGの先駆けにして非常に完成されたフォルムを有していたいし、その続編の2に関しては、今なおMODという改造パッチが当てられ、世界中でプレイされ続けている。

「ディアブロを知らない人」が存在するとは思いたくないほど大好きなタイトルだが、冷静になれば2でさえ既に5年以上前のタイトルだ。今日は僕の知るわずかなネットゲーの話と絡めて、ディアブロの何が素晴らしいかという話をしたいと思う。

まず、ディアブロやRPGに限らず、「ゲームがなぜ面白いのか」というものすごく根元的な命題を考えてみたい。ゲームをやっていて楽しいと感じる瞬間とはいつか。ゲームに胸を打たれる感覚、映画や小説、マンガと違ってゲームならではの「喜び」とは何なのか。

それは基本インタラクティビティに他なるまい。正しい和訳なんざ知ったこっちゃないが、僕の中でのインタラクティブとは、「干渉性」。ゲームの中の異世界の自分に、現実の自分が影響を及ぼす「繋がりの濃さ」こそがゲームとその他の受動メディアとの差だろう。自分で動かしているからこそ倒したり倒されたりに喜怒哀楽がより強く乗る。いくら劇中の主人公になりきっていても、純粋な達成感や消失感、爽快感は映画やマンガでは劣ると思う。

だが、昨今のゲームの多くがそうであるように「映画的演出」を下地にして「見せる面白さ」「物語としての魅力」がゲーム中に大きなウェイトをしめることも珍しくはなくなった。プレイヤーの分身が遭遇するドラマに受動的に感動を覚える面白さ。そう言った感覚は確かにある。ただ、僕が思うにこれは「ならでは」の面白さとは違うと思うのだ。

それから多人数参加型のネットゲームにみられる「コミュニケーション」という側面。ゲーム内での戦いを通じてよりつよい連帯感や信頼感を構築して仲間意識が高まっていった果ての会話というのも、ある意味ゲームならではかも知れない。しかしこれもまた僕の中では現実のコミュニケーションの楽しさ、特に同じ趣味を持つ者同士の会話の突き抜けた面白さをゲームに持ってきているに過ぎないという気もする。確かにそういった環境がゲームによってしか提供され得ないという現実はあるかもしれないが、ベースは出会い系や友達や恋人とのメールのやりとりと変わらないんじゃないかと思うのだ。

僕が「ゲームならでは」と思うのは、

「ゲームの中の自分と現実の自分に基本的な接点がないところで創造される喜び」

なんじゃないかと思う。仮想現実は仮想であるからこそインタラクティビティが活きる。MMORPGで現実のお金を稼いだり、結婚したりという「境目が曖昧になる」娯楽性は、正直言って「ゲーム」というよりは「ツール」という感じがしてしまうのだ。

本当のゲームで得られる喜びというのは、ある意味現実の自分とは全く関係がない。レベルが上がったからと言って学校の先生に褒められることはないし、魅力が上がったからと言ってすぐに好きなあの娘に告られるということもない。純粋に「嬉しいのはゲームの中の自分」なはずだ。

もちろん動かしているのは現実の自分であるから、「共有する楽しさ」は間違いなくある。それはつまり「綺麗な背景、新しい世界に踏み込む時のワクワク感」や「シンクロする分身が強くなることへの実感」だったりする。

要するに何が言いたいかというと、

「映画やマンガと同様に、コミュニケーションを基盤とするネットゲームの面白さは、『ゲーム本来のおもしろさ』とは別物だ」

ということだ。別にそれがいい悪いという話では毛頭ない。ここで僕が言いたいのは「じゃあゲーム本来の面白さ」が磨き上げられるというのはどういうことなのか、ということなのだ。コミュニケーションをより特化する方向で進化するタイトルがあってもなんら悪い事じゃない、というかむしろ流れは明らかにそっちに向かっている。だが、スタートは「ひとり遊び」だったはずなのだ。友達とワイワイ遊べば楽しいに決まっているのだ。ファミコンが凄かったのは「ひとりでも楽しかった」からなのだ。

そう考えて僕が帰結するのは、タイトルにもあるように、「どれだけ強いモチベーターがあるか」だ。プレイヤーを惹きつけ、ゲーム中のキャラクターが目標とする着地点がどれほど多彩かつ大量かつ頻繁かつ強力に魅力的なのかだ。スタンドアローンのゲームでありながらドラクエやFFが人気なのもそうした要因が非常に多くの面で満たされているからだし、マリオが受け入れられたのもその奥行き、初心者に優しく上級者に厳しいある意味そう反する命題を全く同じフィールドで両立していたからだ。

もちろんそこには「見た目」というとても大きなファクターが存在する。時にそれはより魅力を増幅するセンスとなるし、時にテンションを下げる文化の違いともなる。が、正直これは二次的なものに過ぎまい。もし仮にスーマリがモノクロでキャラクターが点と線だけだったとしても、「あの動かすことの心地よさ」、「見つけることの驚き」、「クリアすることの達成感」が大きく失速するとは思えない。面白いゲームとはつまりいろんな欲求に応えてくれる、「満たされるゲーム」であると言えると思う。

「満たされる」とは確かに素晴らしいことだが、逆説的に満たされる為にはまず飢えなければならない。良いゲームというのはそこがとても良くできているのだ。「飢えさせること」。その善し悪しが面白さを決めると言っても過言ではない。そしてそれが特筆して優れているのがディアブロ2なのだ。

ストーリー依存度の低い、システム依存度の高いRPGにおいて、プレイヤーの最終的な目標はラスボスを倒すこと以上に「自らが強くなること」に据えられる場合が多い。トルネコであっても現実の自分のスキルが向上することが目的でありカタルシスの中心になるし、ウィザードリィでは転職して魔法が使える上級職を目指したり、FF11でもサポジョブを付けるだの新しく追加されたより強力な敵の出現するフィールドを踏破するなどは全て「鍛錬」が素地にある。だからより「気持ちよく飢える」ためには、常に目の前に「多種多様なエサ」がぶら下がっていることが重要だ。FF11なんかはそこが凄くうまくいっていると思う。常に周囲には「未来の自分に相応しい」物や人があふれているからね。

しかし一方でFF11は多人数プレイのしがらみも同時に享受せざるをえない。稼ぎたいところで稼ぎたい時に稼ぎたいだけ稼ぐことは出来ないのだ。
※逆にだからこそ得られるものに価値が生まれるのだが。

ディアブロはオフでもオン用のキャラが育てられるし、オンのみのキャラを作ることも出来る。オンオフ両用のキャラは手軽にデータを改ざんできる分だけ不特定多数のプレイヤーに対して自らの強さ(レベルであったり装備であったり)を誇示することは出来ないが、純粋にひとりで遊べる分とても気楽だ。逆にオン専用のキャラであればその世界の中に確固とした貨幣価値が存在するし、
※正確には物の売り買いに使われるお金とは別のアイテムでの取引となるようだが。
死ぬことで失われる重みも大きい。

だが重要なのはそういった周囲の状況による世界作りではなく、もっと身近な、目の前の敵、武器、スキルに関することだ。

簡単に倒せる敵の果てに現れる強敵。その強敵を倒す為にレベルを上げる。レベルが上がって見た目にも派手なスキルを覚える。同時にお金も貯まってより強い武器を購入する。強敵を倒すことでランダムではあるが特殊効果のついた武具を発見することもある。当然強い敵であればあるほどその武具も強力なものが出やすくなるし、より強い敵を倒すためにはより強力なスキルと武具に身を固めなければならない。プレイは単調なただ剣で切るだけの状況から、複数の武器を付け替えつつの戦い、たくさんのスキルを臨機応変に使い分けての戦いにシフトしていく。それでもなお常に強力な敵、例えば魔法が一切効かない敵。物理攻撃を一切受け付けない敵なんてのも出る。倒した瞬間に爆発するように魔法を放って絶命する敵なんてのもある。書くことがもどかしくなるが敵の強力な魔法を防ぐ手だてとしての属性防御を少しでも上げるために指輪やネックレスといったアクセサリー、それも個々のアイテムにはステータスに振れ幅があり、少しでも良いものを手に入れたくなる。自分の今のステータスによっては装備出来ないほど強力な鎧ですら、指輪や他の防具の付加効果で装備出来るようになるかもしれないし、スロットと呼ばれる穴の開いた武具であればそこにルーンの石をはめることでより強い効果を生み出すことも可能。敵からMPを吸うルーン、HPを吸うルーン、剣の振りが速くなるルーンを3つも差せばそのモーションは大幅に改善されるし、その効果のあるルーンにすら振れ幅があるし、合成することも可能。

ありとあらゆる「強さへの志向性」がまとめられ、常時プレイヤーに提示されつづける。そしてそのプレイヤーは5つの全く異なる職業から選ばれるのだ。
※この「全く異なる」というのは文字通り全く異なる。かぶっているスキルは一切ないし、プレイスタイルも大きく違う。

なんだか支離滅裂になってきたので強引にまとめることにする。

PSOもPSUもベースはディアブロだ。特にPSOはディアブロ1をやったあとにやると驚くほど細部まで似ていて「いいの?」って気になるほどだ。しかし見た目は大違い。敵も小さく操作形態もマウス中心、キャラデザインを含むトータルデザインは明らかに洋ゲーのそれで、ここで抵抗、いや嫌悪感と言ってもいい感覚を覚える人も少なからずいるだろう。萌え系の女性キャラで脇を固められたPSUとは大違いだ。

だが、それはあくまで文字通り飾りに過ぎない。ゲームの面白さをギリギリまで磨いていき、余分なモノをそぎ落としていけば、そこに浮かび上がってくるのはまぎれもないモチベーターの塊なのだ。

 「なんでオマエはオレをそう誘うかなぁ」

人によって魅力的な女性というのは異なるものだが、彼女に関して言えば見た目以上にこちらを気持ちよく、楽しく、幸せにしてくれる素晴らしさに満ちている。女性に勧めるにはあまりに数値的だが、僕の知る限りディアブロ2をプレイしてディアブロ2がつまらないと言った人はいない。★★★★★+(満点+αで事実上過去最高点)。

ちなみに家庭用ゲーム機では初代のみPS1でリリースされている。2と比べたら雲泥の差かも知れないが、PSUと比べるならむしろ丁度いい。世界観に抵抗がない方になら文句なくオススメ出来る。価格も随分安いことだろう。
※以前400円で売ってたの見たし。

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コメント

以前クリスさんがディアブロを褒めていたので、PS版買ってみたんですけど・・  Lv17くらいでやめちゃいました。    弱いザコ倒しても経験値入らなくなっちゃうし、スゲー殺伐としてるし。あと、PSOも、無機質な世界観がちょっと・・・(オフ専だから?)
なんか文句ばっかになっちゃってすいません。

投稿: 右利き | 2006年9月14日 (木) 10時54分

自分もディアブロ、ディアブロ2とも大好きです。2の方が好きですがアフォのように遊んでた日々が懐かしいです(w

投稿: Hoxy | 2006年9月14日 (木) 21時15分

こんにちは右利きさん、Hoxyさん、レスありがとうございます、クリスです。自分的には最強ソフトの一つなんで、隣にいたらなんとしても面白さに気づくまでレクチャーするところなのですが、、、>ディアブロ2。

>右利きさん

レスどもです。そうですかディア1ダメでしたか。申し訳ないという思いとやはり世界観に対する抵抗は僕が思っていた以上に大きなハードルたり得てしまったのだなぁという発見です。経験値の目減りはある程度「先に進ませる」為には仕方ない部分という気もしますが、同時に雑魚でダラリと戦い続けるのを否定されてるってことでもありますから、賛否両論かもしれませんね。

ただ、ディア1(PSOにも)に言えることですが、やっぱり「レアっぽい武具」「強い武具」を見つけていって自キャラのポテンシャルが飛躍的に向上した瞬間がやっぱりミソだと思うんですよね。ワクワクするというか。2はその点でもっとたくさんのモチベーターが仕込まれてるから1以上に続けていけるとは思うのですが、、、やっぱり殺伐としてるってのは否定出来ませんです。

>Hoxyさん

2はヤリ込もうと思うと1キャラで最低2回通りは育成を楽しめますし、全キャラやろうと思ったらホントに1000時間は余裕でクリア出来るポテンシャルを秘めていると思います。和製ではDC「ロードス島戦記邪神降臨」、PS2「シャイニングフォースネオ」が僕の大好きなネバーランドカンパニー謹製でディアッぽい手触りを感じさせてくれますよ(^^)。前者は味気ないけどラスボスが魅力的で、後者はラスボスが弱いけど見た目はかなり派手になってる感じです。まぁディアと比べたら「終わりがあるチューニング」ですけどね(^^;)。

投稿: クリス | 2006年9月14日 (木) 21時34分

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