恩師
僕は高卒なので学歴をどうこう言うことはあまりないが、自分が頭が悪いと思ったこともほとんどない。まぁ「頭がもっとよかったらこの程度の問題はすぐに解けるんだろうな」と仕事中思うことはあるが、基本的に第三者を頭の良さで尊敬したり羨んだりしたことがほとんどない。
※逆はあるけど。
しかし、そんな僕でも間違いなく尊敬し、感謝している人がいる。僕が小学校6年の、それもわずか1学期半くらいの担任だった先生だ。
小五の頃からヒゲが生え始めたようないろんな意味で大人びた子供だったので、ある意味先生に対してもかなり生意気な生徒であったことは間違いないはずだが、とにかく先生は僕に世の中の仕組みをいろいろと教えてくれた。「本音と建て前」があること。「いわゆる『原則として』という表記の意味」。「ゆずれないものとゆずってもかまわないもの」。
もっとわかりやすいところでは「きをつけ」の姿勢時に「きをつける点」の話もよく覚えている。「手のひらの形」「つま先の角度」「ケツの肉の締め方」・・・普通はレクチャーの経験がないようなディティールまで徹底した「正解」を教えてくれた。卒業式の日にいすに座っているときの腕の形、親指の位置、握り拳の力の込め方、マーチングバンドを何年も全国大会に連れて行った先生の言葉はとても重く、そして納得できるものばかりだった。
っていうか別に先生はまだご尊命中ですので、念のため。
小学校卒業後に一度だけご自宅におじゃましたときに見せてもらった「小学校中学校の成績表9年間ALL5」というのも衝撃的だったけど、なんだか誇らしかったし、心理戦が絡むトランプでなんと「一度も勝てなかった」というのも思い出深い。数十数百という回数ポーカーやブラックジャックをしたように思うが「しっぺ」を賭けた勝負で先生の手を叩いた記憶がない。
つい先日たまたま先生のいる学校に他の方に用事で電話したところ、たまたまその先生が授業中で、僕の店からの電話、ということで先生が出てくれた。
「こんにちは」
声を聞いただけですぐにわかる。
「あ、○○先生 △△(僕の名前)です。お久しぶりです」
「わかるよそりゃだから出たんだもの」
「今○△先生(僕が用があった先生)は授業中なんですよ」
他愛のないやりとりの中、ふとその先生が職員室に戻ってきた○△先生を「下の名前」で呼び捨てにしたのが聞こえた。まぁ立場上教頭なのでそれなりにエライということもあるのだが、僕はなんだかとても嬉しくなって、
「先生まだ呼び捨てにしてるんですね」
と言うと、
「まぁこの歳になってもそういった飾らない関係でいられる人間が、自分の周りにいるということは幸せなことだし、それを話すことが出来る人(僕)がいるというのもありがたいことだね」
先生はやっぱりやるなぁと思った。僕が考える一歩上をスマートにしゃべる。自分の辞書にない真実は当然たくさんあるのだけれど、実際それを目にする機会は少ない。僕の今の生き方のベースは間違いなくこの先生にあるし、ちょっとした邂逅すらも僕に何かを教えてくれる。「師」とはこういう人のことを言うのだろうな。
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