« コミュニケーション | トップページ | 「あ」のつくゲーム »

2007年1月10日 (水)

演出の話

かなり常連さん向けの話。つよきすの時にも書いたかもしれないし、相変わらずのだめ絡みの話でもあるのだけど、基本はゲームの話という話。

今でもまだのだめカンタービレにはまっていて、とうとう動画から音声をキャプチャしてPSPで聞くところまで来ている。「俳優のセリフが入っているBGM」というのは、ラジオで言えばDJの紹介がかぶって「しまった」音源であり、ある意味テレビ放送用にショートアレンジされたものであり、音源としての品質も決して良くはない。しかし何度も見たり聞いたり、マンガを読んだりしていると、今まで見えなかったモノが見えてきたりする。

以前も書いたけどマンガは音が鳴らない。キャラクターはしゃべらないし、効果音も聞こえるはずがない。しかし僕らがマンガを読む時、そのマンガは決して「静か」ではないはずだ。心の中にいる悟空やクリリンは間違いなく饒舌にしゃべっているし、「ドギャーーン」とか「ちゅど~ん」とか「サーーー(青ざめる音)いう「見える音」は演出として明らかに機能し、「目から聞こえてくる」。

それは同ベクトルで小説、文章にも言える。「昼間でも暗いうっそうと繁るジャングル」というだけで僕らはダークグリーンでジメジメした熱帯雨林と、遠くで聞こえる鳥や動物の鳴き声、流れる川の音、足下に忍び寄る大蛇の気配を感じることができる。脳内で多くの情報が補完され、自動的に演出される形が、マンガであり小説であると言えると思う。

しかしのだめカンタービレを読み、ドラマを見、音楽を聴くにつけ感じるのは、それら脳内補完の限界だ。マンガを読んでいてのだめが千秋にぶっとばされるシーン。確かにのだめの悲鳴や吹っ飛ぶモーションはまるで動画を見るかのごとく飛び込んでくる。しかし、いくら真剣に読もうとも演奏シーンでクラシックが聞こえてくることはない。のだめが「超絶技巧の難曲」をあっさり弾いてしまうシーンでも正直その「特異性」は伝わってこない。

ドラゴンボールは世界に誇る日本の傑作マンガだが、あの作品に関してアニメがマンガより優れていると感じたことは一度もなかった。同様にゲームがマンガを越えていると感じたこともない。要は「何を見せるのか」ということなのだ。

つよきすの話をひっぱってくる。昨夜友人に借りた「みにきす」を少しだけプレイしてみた。以前やったつよきすは、キャラがしっかりと立っていて、その一言一言の「演技」とプレイヤーのペースで自在に物語を進めていける心地よさで、「介在しないのに楽しいゲーム」として成立していた。しかし、今回加えられた素奈緒ちゃんのエロシーンは、正直前後の物語をほとんど改ざんすることなくある意味強引に押し込まれており、印象の異なるカットと、時をおいてややキャラのつかみが不安定になっている声優から、プレイしていて大きな違和感を禁じ得なかった。僕の琴線をかきならしたつよきすの魅力は、いろんなキャラクターとの掛け合い、セリフであったり脚本であったり、統一感のあるカットであったり、テンポの良い展開であったりした。PS版のように土台からかなり手を入れるならともかく、ただ単にエロシーケンスを挿すだけでは、正直バランスがおかしくなるのも無理からぬことなのだ。

 きっとこういうものには「正解」があるんだと思う。

いろんなジャンル、いろんな世界観、いろんなメディアを通じて一番上手くアピールできるやり方がきっとあるんだろうと思う。映画には映画の良さと弱さがあるし、スポ根にはスポ根の、実写には実写の得手不得手がある。しかし、、、

のだめの中で指揮者や教師と言った教える立場の人間が何度となく口にする「楽譜は絶対」というセリフがある。作者の思い描いた形通りに寸分違わぬ演奏をすることが「正解」だと主張するわけだ。しかしそれがどの尺度で測ったときの正解なのかが問われる。コンテストで優勝するための正解が、心を震わせる音楽、感動を呼ぶ音楽であるとは言い切れない。しかし一方でそれが全ての人に等しく評価されるわけではない。経験と出会いとDNAの波長がシンクロして初めて引き出されるものなのだ。いくらドラマが優れていてもクラシックを全く聞かない人間、逆に自らがどっぷり浸かりきった人間が見聞きして僕と同じように心が震えるとは限らない。

 教科書通りにやれば正解にたどり着くとは限らないのだ。

ゲームでもそうだ。インベーダーが出て、パックマンが出て、ゼビウス、ドンキーコングという下地の上でこそファミコンは受け入れられ爆発的な評価を得ることが出来た。しかし現在のように反射神経を限界まですり減らすようなアーケードのコアゲームを好んでやる人間、数独やピクロスのように思考型パズルを嗜む人間、「ゲームはストーリーだ!」という人間と「ゲームはシステムだ!」という人間など、既にスタートラインから違う土壌で培養されて今に至っているのだ。だからそれぞれの人にそれぞれの正解があるのが当たり前で、

 いいゲームが売れなくなった

などと言うことは作り手のエゴでしかない。だってそりゃそうだ。アンタにとっていいゲームが他の人にとっていいゲームである保証なんてあるわけないんだから。のだめに関しても音楽を嗜まないドラマも見ない人間にはマンガののだめが最高、正解であることだって十分考えられるのだ。

 かなり支離滅裂になってきたがまだ続ける。

しかし一方で人はどん欲に楽しさを求める生き物でもある。ゲームを買うなら少しでも面白いものを選んで買いたいし、せっかく買ったゲームなら少しでも強く長く楽しみたいと思うのは至って当たり前のこと。限りある人生とお財布の中身をいかに有効に使うかというのは、多くの人間が一様に抱く希望だろう。

自分が絶対だなんてことはサラサラ思ってない。いや、思ってはならない。「つまらない」という感想に偽りはないが、「つまらないからやるな」という言葉は安易に使うべきじゃない。本来なら「面白いからやれ!」という言葉も同様の重みをもって語られるべきだ。自分が2時間みっちり楽しめたゲームを50時間のらりくらりと楽しめるゲームが好きな人間に力説出来るわけはない。価値観というのはそんな安易なもんじゃないのだ。

だから僕がブログでゲームのことを書く際、その内容がどれほどあなた自身の価値観とすり合わせられるかはとても重要な命題だ。隣人と共に同じ楽しさを共有しあって過ごすというのは無上の喜びではあるが、それこそ10年前とも違う多様な価値観とゲームスタイルが氾濫している現在では、それはそれほどたやすい事じゃない。しかし、「経験と出会いとDNAの波長」をすり合わせていく、少しずつでも染めていくことで、今まで見えなかった楽しさが見えるようになることもきっとあるはずなのだ。マンガしか読まなかった人がアニメのドラゴンボールやドラマののだめカンタービレを楽しく受け入れられないとは言い切れないのだ。

以前不良債権の話を書いたが、ゲームでも僕がほんの少し歩み寄るだけで世界が大きく広がっていくものがきっと凄くたくさんあるんだろうと思う。あと1時間プレイすれば、あと1面クリアすればどっぷりハマってしまう引き金が引かれるゲームがきっとあると思う。逆に昔のシンプルなゲームでも、今の派手で複雑なゲームばかりを嗜んでいる人間に楽しめないということはないはずだ。プレステ3の映像が最高だと思っている人間が、ファミコンのゲームをすべからく否定する「かっこわるさ」を誰しもが抱くことが出来るはずだ。

ビジュアルがトリガーになることもあるし、数字(例えばメタルスライムの経験値)が強いモチベーターとして機能することもある。対象が広く売り上げの大きなタイトルは、きっと僕がやらないようなものでも、その内側にはかなり強い魅力が潜んでいるに違いない。安易に人に勧めるのは躊躇われる。しかし誰かが勧めてくれなければいつまでも気づけないまま一生を終えてしまうかも知れない楽しさや面白さが世の中にはいくつもある。絶対ある。

自分で書いててスゲェわかりづらくなったのでここで一旦まとめると、

いろんなメディアごと作品ごと才能ごとに最もその作品を上手くアピールするスタイルがあるはず。でもそれを享受する人の経験や環境次第でそれすらも否定されることがある。しかし、それが本当に正解に近い形で昇華されているものであれば、少しでも歩み寄って楽しさを見つけてみてはどうだろうか、チャンスはいろんなところに転がっている。自ら棒に振るのはもったいないぜ!ってホントか!?(^^;



話は唐突に変わって、みなさんはこのゲームやったことある?またもしやったことがあるとしたらどうだった?という話を独り言のようにつぶやいてみたい。僕的に「演出」を意識したゲームたちだったりする。今やって楽しいかどうかは別にして、当時の印象はどれもすこぶる良かった。

・風のリグレット

 画面のないゲーム。かなり中古で安くなってから買ったんだけど、なんつかよかった。イノケンこと飯野賢治は実は僕と同い年で、過ごしてきた環境は違えど世の中の流行り廃りはシンクロする。だから「どういうアプローチが受けると考えている」かの接点があり、ある意味最もこのソフトを楽しめる可能性をはらんだ世代だったことは否定しないが、それでもこのゲームは面白かった。

要は声と音だけで情景を浮かべ、感情を揺さぶろうという狙いだ。声優は確か河合我聞、菅野美穂、篠原涼子。途中取って付けたような選択肢はあるが、普通に遊んでいれば普通に終わる。

2、3時間のラブストーリーに5、6千円も払うかと問えばその答えは正直NOかも知れないし、見た目?以上にコストが掛かる「創作物」であることも否定しないから、実際これのフォロワーは何一つ作られなかった。でもだからと言ってこのゲームが作品として否定されるかどうかは別問題だ。

一切のビジュアルがないということは、見た目の印象で作品が古くさくなっていくことはない。小説やマンガが脳内で補完して物語やシーンをブーストするのと同様に、音だけでも非常に多くのイメージが喚起される。それぞれの声優はプロとは言えないかも知れないがそれぞれに「雰囲気」を感じさせたし、ほんの少しだけサスペンスを感じさせる話と気持ちのいいラストは、聞き終えたあとにとてもさわやかな風を心に吹かせてくれる。

広告媒体がテレビか誌面であった時代には、正直採算を合わせるのが厳しいタイトルだったとは思うけど、今ならネットでの配信など「音の体験版」を配るのもたやすくなった。声優人気の追い風を上手く利用できれば、きっともっと素晴らしい作品が同じベクトルの上に出来るんじゃないかと思う。
ちなみに風のリグレットのエンディングは矢野顕子の「ひとつだけ」。はっきり言って上手すぎるタイミングで掛かるので、この歌が好きな人なら間違いなくいい印象が残るはず。★★★★。

・スターブレード

アーケードに登場したボックス型の筐体。別にアフターバーナーのようにシートが動くわけでも昨今のタイトルのように超高解像度のテクスチャが貼られまくっているわけでもない、ごくごくシンプルなソリッドの生ポリゴンが時に宇宙空間に時に惑星表面に現れては砕かれていく。

このゲームほど「臨場感」を感じさせたタイトルは後にも先にもない。体を包み込むシートと、湾曲したモニター、カタパルトから射出され、放り出される宇宙、その音。

よく「映画館ならでは」と称される演出があるが、スターブレードのそれはまさにゲームセンターならではのもので、英語のナレーションがなにやら耳元を賑わせながら、僕はまさに一人の戦闘機乗りとなって敵を倒していく。艦隊戦を抜け、惑星表面から内部に進入、敵基地のコアを破壊する流れはスターウォーズのそれと酷似しつつも、そこには「ゲームだから」「自分で動かしてるから」こその一体感と緊張感、爽快感がある。

特に素晴らしいのはクライマックスでの敵コマンダーとの一騎打ちだ。それまではまるで深海の中のような自分の吐息を拾う音、射撃音、爆発音だけが包む「静かな宇宙」だったのが、そこで唐突に鳴り響くBGM。「あとはあいつを倒すだけだ・・・」。激しすぎる猛攻を抜けついに倒したあとの達成感と疲労。時間にしてわずか10分ほどの宇宙戦争。僕はヘタだからクリアするのにいつも1000円くらい使っちゃうんだけど、結構何度もやってた。それくらいこの空間は心地よく「別世界」に誘ってくれたんだよね。★★★★★(当時は満点。ちなみにメガCD版もPS版もアーケード版のビデオまで買いました(^^;)。鉄拳は買ってません)。

・リンダキューブ

ゲームが物語を語るようになったのはいつの頃からだろう。今でこそキャラクターが死んでしまうことに慣れてしまっているけど、初めてそれを体験したFF2は結構当時衝撃的だったし、テキストアドベンチャーで「話を売り」にするのはきっとコンピュータゲーム黎明期、アップルで動いていた(らしい)ゾークというゲームにもあったはずだ。

しかし僕個人が普通にいくつものゲームを遊んで生きてきてガツンとぶつかったのは間違いなくコレ。PCエンジンCDROMのタイトルで、アニメ調で少々クセのあるグラフィックと、デザイナー枡田省治がこだわった(自分の好みを貫いたとも言う)声優、気合いの脚本とシナリオ。

サスペンスタッチの物語は、こだわっただけあって最高に魅力のあるヒロインに仕上げられたリンダとの絡みで進む。ぶっちゃけ一章と二章のボリュームはさほどではないが、とにかく感情に訴える演出が多い。怖い、嬉しい、かわいい、気持ち悪い・・・。作り手のいいようにあしらわれる楽しさ。気付くと結構リンダのことが好きになってたりして。

最後の第三章はかなりシステム寄りに作られている。世界中から「つがい」で動物たちを捕獲し、ノアの箱船よろしく制限時間までにその星から脱出するというそれは、モンスターのデザインこそ一般性を欠くものの、ポケモンより(たぶん)前に「集める楽しさ」を実現していて、まさに僕の為に作られたかのような楽しさを提供してくれた。

今でプレイすると古くさい印象は否めないけど、当時は本当に衝撃的で魅力的なゲームだったんだぜ。★★★★。

----------

他に演出を意識したタイトルをいくつか書いてみる。つか同じような話を以前もしたかもしれないけどまぁ気にするな。

・弟切草
 超怖い目と笑い声。でも自分だけ体験してるのは損だと思わず友人に勧める自分。んでもって「ありゃぁ怖い」と言われてニヤリとする自分。ピンクのシナリオも最高。っていうか本音はピンクのシナリオだけやりたい。続編もピンクのシナリオだけやりたい。

・ジーザス
 まんまエイリアンの世界観でありながらすぎやま節が冴えるBGMとテンポのいい展開。音楽をシステムに取り込んだ最初のゲームかもしれない?あ、オトッキーのが先か?

・メトロイド
 ラストいきなり制限時間が表示されたときの衝撃はかなりのもの。思わず手に汗握る自分。今ならもうそういう演出に慣れているから結構落ち着いて対応できるけど、当時はホント何度も落ちまくって泣きそうになりながらギリギリ脱出した。正体を明かすサムスの演出もニクイ!

・ヒットラーの復活
 ある意味メトロイド的。ラストでワンチャンスしかない狙撃のタイミング。そこまでのプレイを台無しにするか晴れてクリアに向かうのかがあまりにもあっさりと決まってしまうという心意気がスゲェ。つかSFCのウルトラマンもゼットン倒すときに似たような演出が入るよね。

・ブルードラゴン
 全然やってないけど、タイトルの出し方は上手いと思った。

・地球防衛軍3
 「巨大な敵」とはつまり巨大さを感じさせる敵のことであり、別に「罪と罰」の最終面で相手にする地球のようなのを指すわけじゃない。EDF3に登場する「四つ足」ロボットはその巨大さ故に思わず笑いがこぼれるほど。例えて言うなら、「四つ足を人間の大きさにした場合、自キャラは靴底のゴムの厚さくらいの身長」というところか。ただ実際は高難度でない限りその大きさ以外の特徴が薄いのが残念だ。

・風のタクト
 再三書いてきてるけどボスの導入演出はやっぱ良かったと思う。でもそれってトワイライトプリンセスにも言えるんだよね。っていうかゼルダは初代ディスク版で「画面外からも鳴き声が聞こえる」という演出が入ってた。良くできたシリーズだよなぁやっぱし。

・罪と罰
 全編演出の塊のようなゲームだけど、デザインセンスに好みは分かれるところ。遙か昔エドワードランディというアーケードゲームがあり、飛行機の上で戦う場面がかなり衝撃的だったが、それをポリゴンで見せたところが上手かった。でもやっぱデザインは微妙。

・ストライダー飛竜
 今見ると露骨過ぎる感もあるけど、当時はその全てに驚いた。デカい自キャラのなめらかでド派手な動き、雪山を駆け下りての大ジャンプ、無重力地帯での戦闘から果ては宇宙まで。「演出=ストライダー飛竜」という時代があったくらい。

・悪魔城ドラキュラ
 初代のゴシックホラーな雰囲気はファミコンで初めてのものだったし、ようやっと倒したボスが変身する瞬間のショックは今ではもう味わえないレベル。血のロンドでは「狼男には満月、ドラキュラには三日月が似合う」ということで、ゲーム中こっそり月を欠けさせていく演出が入ったりしてスゲェ驚かされた。

・ガンフロンティア
 まぁあまりにも有名だけど、タイトーシューティングはどれも演出が凝ってたね。メタルブラック、レイフォース、ダライアス外伝などなど。まぁアーケードゲームはあんまし演出過多になりすぎるとウザイので、そのさじ加減も大切だったってことはあるけど。

・女神転生II
 中盤の選択にラスボスを真逆に変えるほどの影響力を持たせるというとんでもない離れ業をやったゲーム。神と悪魔を題材にしたメガテンならではの凄まじい演出だけど、海外では絶対NGなんだろうなぁとも思った。

・ドラクエV
 まぁ僕はフローラと結婚しちゃった人ですからね。みんなにはそれだけ自慢して今回のだらりとした長文を終えたいと思います(^^)。ではでは!

|

« コミュニケーション | トップページ | 「あ」のつくゲーム »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/119981/13414626

この記事へのトラックバック一覧です: 演出の話:

« コミュニケーション | トップページ | 「あ」のつくゲーム »