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2007年3月18日 (日)

年齢的なこと

僕も次の5月で37歳になってしまいます。つか37歳ってなんとも微妙な年齢。自分の父親が37歳の頃ってのはたぶん僕が小4の頃。はっきり言ってその当時の親の記憶なんて全くと言っていいほどないんだよね。毎年旅行に連れて行ってもらった先でトランプをしてくれたこととか、クリスマスや誕生日にプレゼントをくれたこととか。

でも自分の子供に関して言えば、少なくとも「存在の遠い父」ではないと絶対的に言える。返却されたテストの間違いに対してどうしたらいいかを教えたり、毎日のように一緒にゲームをしたり、どこか遊びに行くのでも、まず僕の価値観ありきで決めているきらいがある。息子が高校に上がる頃になればきっとかなりの確率で反抗期に入ると思うけど、今の時点ではかなり絶対指数の高い存在である自信がある。それが一般的な子供にとっての親のあり方とは大きく異なっていたとしても。

年齢相応という表現は実際問題歳を追うごとに変化していって然るべきである。子供の時ガンダムを見た人間とスラムダンクを見た人間ではやはり違う大人になると思うし、食うに困るような生活や、戦争を知ってる人間、高度成長期で馬車馬のように働きまくった人間では、同じ大人になるはずがない。テレビを見ていても、一昔前の40歳という中堅は、今ほとんど50~60のベテランになっているが、やってることはそう変わるもんじゃない。さんまさんは今でも着ぐるみを着ているし、二十歳の時と今のナインティナインの差を明確にはなかなか言えない。

要は「歳は取るけど中身は変わっていない」ような気がするわけさ。二十歳の時にかわいいと思った女の子は今でも普通にかわいいと思うし、昔かっこいいと感じたロボットは今でもかっこよく見える。音楽だって映画だって面白い物素晴らしい物に対して価値観が大きく変わった手ざわりはない。強いて言えば言葉遣いが多少ジジ臭くなったかなぁと思うけど、それは周囲の環境が「育てている」適応能力の一端だろう。

かみさんのオヤジさんなんかは、定年退職してから大好きな畑いじりに精を出している。果物を中心にいろんなものを分けてくれる。でもそれは別に定年になったから好きになったワケじゃない。きっと若いときからそういう何かを育てたり、土を触ったりする感覚に惹かれるような生き方をしてきたベクトル上のことだと思うのだ。端から見れば「年相応」に見える趣味でさえ、その芽はしっかりと若いときに植えられているはずなのである。

そう考えると19の頃「アンタも25になってもまだゲームとかやってちゃダメだよ」なんてパートのおばさんに言われたのが凄く変な感じがする。その当時は「やめないと思うなぁ」なんて言ってたけど、正直まさか36歳の今でも全く遜色なく、ヘタすりゃ当時以上にやってる事実には結構驚愕する。19の自分に「36歳でも普通にやってるぜオマエ」なんて言ったらどう思うだろうか。「やっぱね」と思うだろうか、それとも「まだやってんの?他の趣味はねぇのかよ」って思うかも知れない。

人はそんな簡単に変われるもんじゃない。人生を変えるようなきっかけでもない限り、流されて惰性で生きてしまうものだ。毎日を繰り返すことは心地よく、安心がある。それが例えひとときのものであったとしても、明日自分が天災や人災で命を落とす心配をしながら生きてはいけないのだ。

このままどんどん年を重ねていけば、きっと足腰も弱くなるしシワも増え、出来たことが出来なくなっていく。物理的な老いは容赦がないし、避けられない。その為に多少でも下準備をしておくべきではあろうが、べき論だけではなかなか動けないのが人間というものだ。しかし、精神的内面的なことはそれとは全く別の時間の流れが支配する。小学生の時好きになった女の子に対して僕は、

 「これってロリコンなのだろうか」

と真剣に考えたことがあった。
※悩んだわけではない。
クラスメートの女の子を好きになる理由が、その見た目であったりその言動、挙動であったりはするものの、事実として「小学生の女の子を好きなこと」に違いはない。同じように中学生の時に好きなった子に対しても「今の気持ちを失わずに大人になってしまったら、それは変質的な美的感覚となってしまうのか」とシミジミ考えた。だって気持ちが歳を取らないのなら、当然そういう感性が生き続けてもおかしくないじゃない?

僕は正直今多少ロリコンのケがあるというか、女の子も女の人も同じようにかわいいと思うし好きになる。でもそれは決して特別な感覚じゃなくて「ずっと好きでいただけのこと」なんだよな。っていうかむしろ逆に、今女の子にそうした一種の恋愛感情を全く抱かないような人ってのは、どこでそれを無くしちゃったんだろうって思う。もちろん小学生や中学生の頃人を好きになることが全くなかった、高校に入って初めてそういう気持ちを知ったって人は、「スタートがそこ」だから、そう言った気持ちを理解出来ないのも無理ないと思うけど、幼稚園や保育園で異性を意識した人が大人になっていく課程でその時好きだった子のことを否定する感性って全くわかんないんだよな。つかむしろ小1の時好きだった女の子につい先日久しぶりに会った時、「あの時の方がかわいかった」って感じる美的センスはおかしなことなんだろうか。
※ちなみにその子は決して大人になって「見苦しく」なったわけではありません。普通に普通の主婦になってました。

人を好きになる時ってのは、それまでの経験と環境とタイミングによって算出されるもんだと思う。計算式があるわけじゃないけど、「この人がこの子に会ったら好きになる」というある種不可避な運命ってのはたぶん存在すると思う。自分の見た目や友達関係、学力や趣味、いろんな要因が重なって自分という人間が形作られる。その上で好きになる人間像が定まる。バイトの女の子とかが「人を好きになったことがないかも」という話を聞くと、その考えがより確かなものだと感じる。「人を好きになる必要に迫られなかった」人間は人を愛することを知らずに年を重ね、死んでいくのだろうと思う。

何が幸せなのかは人それぞれだから僕にはわからない。しかし確かなことは、僕が涙が多い人生を歩んできたってことと、そしてそれが僕が望んだことだってことだ。

愛とか恋の話を中高生の女の子とどっぷり6時間半くらいしたいなぁ(^^;。でもって一緒に泣いたりしたい。昴ぶった感情をてっぺんでシンクロさせる感覚はホントにたまらないもんがあるんだよな。彼女いない歴36年の野郎が言うのも何だけど、話をして(自分と相手の)感情を弄ぶのは最高に楽しいんだよな。
※この「楽しい」って表現はたぶん若い頃はしなかっただろうな(^^;。多少は年取ったのかも知れない。

つか僕のオヤジが36の頃はたぶんこんなことは考えてなかっただろうなぁと思ったりするが、もしかしたら僕の子供も僕くらいの年齢になったとき、同じようなことを思うのかも知れないな。

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