コストパフォーマンスの話
メンテでアップが遅れましたが、昨夜の分だったりします。
こないだの旅行の中でガイドブックに載るような海鮮食堂に寄ろうという話になった。入り口には順番整理のメモとベンチ、数人がたむろしている。よくよく見るとどの料理も値段が高い。
※「高い」ってのは個人差がある感覚だけど、一番安いどんぶり物で1575円。メニューには3000円を超える品も少なくない。
おいしいかも知れないけど・・・。
僕は今までに一度しか焼き肉を外食したことがない。例年正月にはオヤジがどこからかツテで非常にデリィシャスな霜降りを調達してきたりしたことや、別にさほど意識しなかったってこともあるけど、最大の理由は一度だけ入った焼肉店で家族四人が普通に満腹にならない程度しか食べてないのに支払いが1万超えたからだ。そしてその感想が、
1万の価値は全くない。
というものだったからだ。オヤジの霜降りがどの程度のコストで仕入れてきているかはわからないが、価格満足比という着眼からすればまさしく雲泥の差があるだろう。焼肉店では別に料理してくれるわけでもなく、タレが死ぬほど秘伝のスーパーでスペシャルなものでもなく、肉自体普通のそこらへんで売ってるような肉だ。米だって別に吉野家と比べて美味いかってぇとそんなことはない。露骨なことを言えば、
2000円分くらいしか払う価値がない
食事だった。ぶっちゃけ吉野家やサイゼリアで食べるとそのくらいだが、むしろ子供達にしてみればそちらの方が美味いという。口に合う合わない、生活水準の差はあるだろうが、「おいしい」と笑顔で食べられる2000円と、「残してもいい?」と母親の顔色をうかがいながら食べる1万円には、金額では計りきれないほどの差がある。先日のペンションの食事も子供達にはクセがある香草系の味付けやトマトソース、セロリ、ナス、パプリカなど「好みが出る野菜」も少なからず使われていた。金額的にはかなり良心的だったが、何か「もったいない」感じが凄くした。
おいしいとか楽しい、面白いという感覚は常に独りよがりで個人的な感想だ。生きてきた過程でいろんな味付け、肉付けをされて育ってきた個々の価値観だ。だからそれを第三者に伝えようとする場合、それがどの程度一般向けなのか、何が善で何が悪なのかを出来る限りニュートラルな視点で鑑みる必要がある。ゲームや映画、マンガやアニメを勧めるのも全くもって同義だ。
僕は今でこそあまり足を運ばないが、映画は結構好きで子供の頃からいくつも見てきた。大人で1800円子供なら1200円くらいが今の相場だろうか。子供の頃なら700円とか900円くらいだった気もするが、今と昔では映画の価値は大きく変わってきている。ビデオやDVDの普及、ネット配信、ケーブルテレビや衛星放送、様々なメディアが映画を安売りしているし、インターフェイスも50インチ以上の液晶の適正距離は映画館で見る実際のスクリーンのイメージと何ら遜色ないレベルまで向上している。音響に関しても言わずもがなだろう。
しかし、そうして「安売りされている」からよりたくさん見るようになったかと言えば決してそうではない。日本映画に関しては一時期の低迷を抜け今でこそ洋画と互角以上の観客を動員するようにはなったが、正直僕のような「B級」好きにしてみればあまり関係もない。もっと言えば映画の質自体それほど悪くなってもいないだろうにも関わらずだ。
以前も書いたかも知れないが、スターウォーズという映画はアメリカで放映されてから日本に来るまで実に1年もの歳月を要した。別に日本語版を作るのに手間取ったというのではない。純粋に「同時公開ではない」だけのことだ。
ネットも普及してないし、ビデオも一般的でない1970年代。スターウォーズの情報は数枚のスクリーンショットと、「凄いらしい」といううわさ話だけ。潜在的なSF好きだけでなく、怪獣映画で育った子供や、話題作に目がないような若者達ほか多くの映画好きが「今か今かと」熱望に熱望を重ね、日本での公開を夢にまで見て1枚の写真から想像を無限に膨らませた。1年もの長きに渡って。
そしてあのオープニングである。
僕は当時なぜかスターウォーズよりスーパーマンに傾注していたので、その渦中にはいなかったのだけれど、この話を読んだときは凄く胸が熱くなった。そして何より「うらやましい」と思った。気持ちを持続し続けることは容易なことじゃない。それも1週間や10日じゃなく1年もの間「見たい」と思わせ続けることは、現在のコンテンツ氾濫の世の中ではもはや不可能だろう。でもだからこそそのクライマックスは爆発的に盛り上がる。その洗礼を受けた者がエピソードI公開時にアメリカに渡って、多くのファンと共にカウントダウンの列に加わるというのは、価格では計れない価値があるのだ。映画一本の為に仕事を休んで飛行機に乗りホテルを取るのだから。
マンガにもそう思う。小学生中学生時代は毎週のマンガ雑誌を全て読んでいてその上で好きな漫画はコミックスも発売日を心待ちにしていた。何度も何度も読んだマンガのフチはだんだん黒ずんできて厚みもちょっとだけ増していく。日の当たるところに置いていたから背表紙が色あせてしまったりしたけど、それもまた僕の歴史の一部分だ。
大好きなマンガ、面白いと思ったマンガであっても、今ならせいぜい3回読み返せば多い方だ。大抵は1回読んでおしまい。ヘタしたらその一度すら読み飛ばしながらってこともなくはない。値段も子供の頃より50円以上上がっている。
別に娯楽の選択肢が増えたからその分マンガのウェイトが下がったと言ってしまえばそれまでだが、これもまた「もっと楽しめていたはず」だと思うともったいなく感じてしまう。毎週の発売日を待ちこがれて読んでいた頃の方がきっとずっとマンガは面白かったし、マンガも幸せだったと思う。「ドラゴンボールが連載している間はジャンプを買い続ける」。実際そうだったし。
ゼビウスの無敵技でゼビウスを止めてしまったことと同じ事が今の自分(もしくは世の中全体?)に起こっている気がする。自分から進んで楽しいことをドブに捨ててはいないか。おいしいとわかってる物を食べる前にはしっかりと「空腹を貯める」べきだろう。映画館で見た方が楽しい映画をあっさりスルーしてDVD待ちにしてしまっていいのか。デイアフタートゥモローを見た後で足どりがふらつくような虚脱感を味合うことが出来た幸せを忘れてはいまいか。Wii体験会電車から降りて会場まで小学生とかけっこした思い出。発売日の深夜、笑顔で並ぶメンツとのくだらないおしゃべり。
きっと「もっと正解」なことが世の中にはたくさんたくさんあるに違いない!
そしてお金はそういう正解のために使うべきだ。今Wiiが全く動いていないが、それは別にどいうということはない。「Wiiを買う」という娯楽は最高に楽しかったし、その為に払ったと思えば良いのだ。何度も書いてきているが「楽しいこと」は金額で換算出来るはずだ。コストパフォーマンスとはリアルな楽しさで計られるべきだ!
高校生の時「お金の使い方を知りたい」って思ってた。割り勘負けするコストとタイムリーな缶ジュースの違いを真剣に考えてた。運不運に寄るものかなぁとも思ったりしたけど、たぶんそうじゃない。重要なのは判断だ。正解を見つける目だ。よく考え何が一番お金を払う価値があるのか、何が一番楽しいことなのかを選び出すことだ。PCはVistaにしようか?モンハンやってていいのか?そう簡単に答えは出ないんだけどさ。
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コメント
Well done!
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投稿: Phyllis | 2007年4月14日 (土) 17時39分