グレンラガン第9話
期待通りの出来でした(^^;。っていうかストーリー的にもちょうど狭間というかテンション↓の内容ですからこういうところを絵のイマイチな人に処理してもらうというのはありかもしれません。もっと言うと天才じゃない人はこういうところでしか(たとえ叩かれようと)がんばれないんだろうと思いましたね。
今のアニメブームは深夜枠とは言え一時期の日照り状況とはうって変わって売り手市場とも思えます。声優が普通のバラエティ番組に顔を出したり、CDやアルバムがオリコンチャートの上位に食い込んでくるなんて
※作品のバリューではなく声優本人もしくは楽曲として。
以前は考えられませんでしたからね。だからどうしても「天才以外」が仕事しないと枠が埋まらない状況が発生してしまうんじゃないかと思う。
作品は基本最初と最後が良ければ総じて良いと評価されると思う。もっと言うとラストさえ良ければその作品全体を否定されることはまずない。ナディアでもエヴァでもガンダムでも、最初から最後まで素晴らしかったと言える作品の方がむしろ少ないと思う。先日たまたま見たニルスのふしぎな旅でも脚本と作監次第で面白くもつまらなくもなったりする。グレンラガンは久々に毎週見ているアニメだから、「つまらない話を飛ばす」とか「とりあえず一気に見る」みたいなことが出来ない。本来当たり前だった視聴環境が今では居心地の悪さすら感じてしまうのが現状なのだ。だからあえて書いておきたいと思う。
ダメなときもあるさ
と。こんなことを書かれてスタッフの中には憤りを覚える方もいるかも知れないし、仕方ないとため息をつく人もいるかも知れない。でも天才はそんなたくさんはいないんだから、がんばれるレベルでがんばるしかないじゃない?どんな道でも誰もが大金持ちのカリスマになれるわけじゃないんだもの。
9話を見ていてシミジミ思った。
余談だけど、天才ってのはどうやって培養されるんだろうね。子供の頃からその道を極めるように歩き続けていればいいってもんでもないでしょう?ある日突然その道が開ける人だっている。お笑い芸人だってアニメーターだってゲームクリエイターだってアイドルだって政治家だって宮大工だって誰でも最初はへたくそだし、いつかは誰かがトップになる。
運だけじゃないと思うんだよね。友達とか家族とか環境も大事だと思うけど、きっとそれだけでもない。よくわかんないけど、やっぱり「上を目指そう」という気持ちは大事なんだろうなと思う。
未来創造堂を見てるから言うわけじゃないけど、その昔日本にまだ肉屋や魚屋といった業種を扱う店ばかりだったころ、いろんなものを一緒に扱って便利で安くより多くの人に提供するためのチェーンストアという概念が海外から入ってきて、ジャスコやダイエー、マイカルなんかの創始者たちがそれこそ寸暇を惜しんで働いて日本中に広めていったって話がある。その教えは「お客様は神様」的な精神論的なことから、在庫管理だとか資金調達なんかの技術面、知識面いろんな面でえらい先生によって為されたりしたわけなんだけど、結局のところ、
働け。
ということだって僕は結論づけた。のだめでミルフィーが千秋に「音楽に真剣に向き合え」と言ったことも同じ。集中して集中してそのことだけを磨き上げていく。誰がじゃない。自分がそうする。自分でそうする。
でもそういう心ってのは今の日本にはどんどん無くなってきてるとも思うんだよね。僕も含めて「楽しいこと」に傾いてる。自分に「志」がないのに、他の人のそれを責められるはずはないんだよ。ホントの話。でもだからこそ「志」がある人の作品は琴線をかき鳴らすと思うんだ。
まじめにちゃんと生きなきゃな。
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