CMの話
書くことがないわけではないんだけど、正直それほど大きな内容でもないというか、まぁ生産性の低い一日を過ごしてしまったというところでしょうか。
ゲームは昨日今日と全くプレイしておりませんで、だらだらとビデオを見たりマンガを読んだりテレビを見たりウンコをしたり。最近なんだか欲求不満気味なのか、些細なパーツにエロを感じることが多く、そんなネタばっか書いてもなぁと思ったり。
※未来創造堂はやっぱ面白いんだけど、どうもそのターゲットが「この微妙さはエロくね?」的な?
で、テレビとかだと割とCMは見るんだけど、録画したキャプチャは結構マメにCM飛ばして見ちゃうんだよね。以前買った「仮想報道」の本でも、HDDレコーダーを買った人の内かなりの割合でCMは飛ばして見る、ってデータも出てるそうで、ネットワークでの動画配信と相まって今後どんどんテレビCMのコストは効果と共に削減低下の一途をたどるだろうと言われてたりするわけさ。
実際テレビのCMって信じられないくらいお金がかかってたりするらしい。詳しくないけど、数百万~数千万なんてのもザラにあるらしく、ぶっちゃけ「どこにそんな金が掛けてあるんだよ!?」って気もしないでもないんだけど、まぁそのくらい費用対効果を期待されているのがテレビCMというわけなんだろうと思う。最近だとロナウジーニョが日本のイチ学生になってサッカー好きで続けてる、みたいなのとかあったけど、あんなのもスゲェ銭掛かってるんだろうなぁとか思う。
CM、実際のところ「とばせる環境」だと飛ばしがちなんだけど、飛ばせない普通のテレビ視聴の際は、結構見ていたりする。特に家族の中で僕が一番見てるんじゃないかっていうくらい見ていたりする。まぁ理由の一つとして、
ご飯食いながらでもその時間を少しでも有効に使う為に
テレビに集中しなくちゃ損ってのがあったりもするんだけど、ディティールとかクオリティとかメッセージ性やCMの商品とのシナジーなんかも考えつつ出てる女の子のカメラ映りとかメイクとかセリフとかも見たりする。
正直今ここで面白いCMや好きなCMを発表出来るだけのストックはほとんどないんだけど、
※最近は特に録り貯めてないし。
なんつかやっぱ、
商品を買いたくなってこそのCM
なんだろうなぁって思う。実際このままテレビCMのアイデンティティが低下していったら、どんどんシンプルにローコストのものが増えてくるはずで、そうなったとき、ギャラの高い俳優やCGがどれほど使われるか、そして使われた結果がどれだけのものなのかって追っかけてくと、
企業のイメージCMとしての価値
ってそんな大きくないような気がする。未来創造堂で言うアシモのCMなんかは特に顕著にそう思う。アシモが売れるわけじゃないんだし、これを見てホンダの車が欲しくなるのかなぁとか思うもの。
でもそういうCMの方が好きな自分がいる事実。
面白いCMというのはとかくその商品とのつながりを感じづらいものが多い。FREEDOMのカップヌードルなんかはむしろ意外なくらいカップヌードルの扱いが大きいから、コストもバカ掛かってる一方で「アリ」だと思えるんだけど、正直車とか金融関係のものとかってって思う。
※金融関係のCMは一時期思うと極端に減ったけど。
昨日だかおとといだかの食わず嫌い王で、伊藤英明が以前紹介したお土産のお店が、路面店をたたんで、その時紹介した商品の通販のみの店になってしまったという話が出た。お土産ランキング1位になったという「箔」は、それほどまでに大きな影響力を持つ。ゴールデンタイムに毎日何回もウン千万円も掛けてCMしたとしても、正直それだけの効果は得られないだろうというほどの強烈なハク。たぶんAMAZONのお土産やお中元ランキングでも上位の店はランク前と後では大違いなんだろうなぁって思う。
とにかくテレビCMってのは結果が見えにくいんだけど、一方で「口コミ」は凄く結果が見えやすい。誰かがいい、美味しいと言ったモノは垂れ流されるCMの何倍も威力がある。当たり前と言えば当たり前なんだけど、ネットが今以上に普及していったら、
アクセス数の高いサイトやブログ、発言力のある人間の一言の重み
がCMとリンクしてかなり違ったルートでのCM展開というものが出てくるんじゃないかとも思う。ぶっちゃけ僕のようにどっちつかずで信頼もないような人間はともかく、毎日数千人数万人から支持されているような人が一言「かわいい」と言えばそのグッズは翌日から当然のように品切れになるのだ。
だから、そういう素人なんだけど力のある人材
に企業はこれからどんどん着目していくようになるんじゃないかと思う。平衡感覚の優れた味覚の確かさを大多数が認める人間に「ンマイ!」と言わせられるかどうか、みたいな。
ただ一方でそれはちょっとした変わり種やカルトな面白さを生み出す土壌にはなりにくいかなぁとも思う。どうしても効果が重視されるから、毎日5人しか行かないサイトにいくら才能のあるクリエイターがいたとしても、それが企業の目にはとまらないし、目にとまるサイト=偉大な平凡、という可能性も捨てきれないからだ。僕のようなミーハーな人には訴求するが、それだけが正解というのは、やはり面白みには欠けてしまう。
ふと話を大きく振ってみるんだけど、昔のアイドルとかスター、野球選手なんかは、たぶんそんなに自分の趣味とか嗜好を明るみには出さなかったと思う。自分の出ている番組とかCMとかのしがらみもそうだけど、それ以上に「そんなヒマ」もなかったような世の中だった気がする。でも今は結構そんなことはない。多くの芸能人やスポーツ選手もやっぱ人の子で、ジャンクスポーツとか見てるとホントに普通に小市民な一面を見せてくれたりもする。マンガやゲームのファンだとか、声優を目指していたりとかする。
でもそれは視点を変えると先ほどの話とリンクするのかなぁとも思う。要するに自分が好きなモノを他の人にも好きと言ってもらえるというのは、やはりどんなコトであっても嬉しいものなのだ。それをみんながみんな気付いて、その上で「そこに市場がある」事実を察知する人が出てくると、その声はどんどん大きくなっていく。しょこたんがブレイクする背景にはそんな要因もあるんじゃないかとも思うんだよね。
ニッチとか個性とかって言葉は、コミュニティが限られた狭いところでは「悪」だけど、広く世界に向けた時には十分過ぎる武器になりえるし、もっと言えば金脈にもなりうる。かしこい人はそういう市場をどんどん開拓してガンガンお金を儲けられる世の中なんだろうって思うんだけど、今はまだそれほどアンテナの利く、それでいて行動力と資本がある人間が動いてないから目立たない。案外ホリエモンとかが普通に仕事してたら、こういうところが大きくうねっていったのかなぁとか思ったりもするんだよね。
余談だけど、伊集院がビリーズブートキャンプに対して、「著しく疲れている時に優しい声を掛けられると、その人のコトを好きになっちゃう。だからオレはビリーが信用出来ない」旨の話をしてた。スピードでの危機的状況で結ばれた恋人に関する考察と似ている気もするけど、こと商売となればそんなものはいくら別れてくれても構わないのだ。買ってさえくれればそれでまずOKなんだから。で、伊集院は続けて、「ジャニーズとかがそれを上手く利用してきそう」なんてことも言ってた。ビリーと同じような役回りをタッキーにやらせたとしたら、、、的な発想だが、確かにとひどく頷いてしまう。マッチョな黒人中年であれだけ話題になったのだから、
同じように声を掛け励まし続けてくれるのが若くてかっこいい男の子だったら、
そりゃそのDVDは死ぬほど売れるでしょうし、その人のCDとか写真集とかテレビ番組の視聴率とか、もっと言えばその人が好きと言った服のブランド、食べ物、マンガやスポーツまで想像を絶する速度で普及する可能性をはらむ。
※その辺りにさすが伊集院だなぁと思ったりもする。
僕はまだ発言力がない。今後もずっと無いかも知れない。でも中高生の頃は結構ゲームの善し悪しについて友達や親戚から信頼を得ていたりもした。「クリスの言うことなら」というヤツだ。全てにそれを為しえるのは無理だろうけど、何か一つくらい武器を手に入れられたら、それはそれで楽しくなるんだろうなぁと思う次第です。っていうか今日の話は30行くらいで終わるつもりだったけど、書き始めたらダラダラと支離滅裂に書き倒してしまったな(^^;。
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