« 麺類の話 | トップページ | バックアップ »

2007年10月 8日 (月)

ドット絵にウルる

Yuushanokuseni まずはこの写真を見てもらおう。っていうかみなさんはこの写真から何かを感じるだろうか。つかそもそも「コレ何?」という方の方が多いに違いない。これは来る12月6日発売が予定されているPSP用ソフト「勇者のくせになまいきだ。」のファミ通紹介ページに載っていた勇者達のドット絵なのだが、なんだろ、

 なぜこんなに胸が切なくなってるのか。

というほど心が打たれてしまった。ドット数で言えばたぶん16×16かせいぜい32×32程度。色数で言えばたぶん8色か16色。剣はジグザグだし、顔は目しかない。そもそもこの状態だと何が映ってるのかもよくわからないような造形なのに、たぶんゲーム中で見るときちんとした鎧や斧に見えるに違いない。つか

 ドッツ以外で久々にドットが確認出来る絵を見た

ことがこんなに嬉しいもんだとは思わなかった。思えばオールアバウトナムコの巻末に載っていたドット絵に胸を熱くした若かりし日もあった。ゼビウスのグラデに魔法のテクを感じた夜もあった。一つ一つの点に魂が感じられる職人技。ツールが発達し、解像度がどんどん細密化し、容量も莫大に増えて、こんな小さなキャラに足踏みしていては終わるものも終わらないよ、ってプロジェクトもきっとたくさんあると思う。

 でもあえてドット絵。

たぶん携帯電話やDSのコンテンツなどでは、今でも十分需要がある技術だとは思うんだけど、それでも時代は流れを止めないから、きっとほどなくして過去の物になってしまう可能性は捨てきれない。そう、ドット絵は「足踏み」しないと現存しない、もはやワシントン条約で保護されるに値する「枯れきった技術」という気がする。

 だからこそグッと来たんだと思う。

昔のことを話すと若い方は、「ジジイはこれだからウゼえよ・・」と思われるかも知れないが、昔はホントにこんな小さな荒いキャラに胸が躍った。たかが2枚のパターンで描かれるアニメーションに「命」を感じたし、世界やドラマを想像出来た。

 別に今が悪いとかそゆんじゃない。

大体こんなこと言っちゃなんだけど、だから「勇者のくせになまいきだ。」を買うとは言わない。ただただ、昔のゲーム音楽やアニメ音楽に「懐かしい」とトリハダが立つように、些細なドット絵を見て昔の自分を振り返っただけの話。でもってそれがヘタするともう二度とないことかも知れないと思ったからブログで取り上げただけの話。っていうかさっきもちょっと触れたけど、「ドッツ」っていう小さなプラスチックのブロックでドット絵を組み上げるトイを別にしたら、ファミ通にこれほど明確なドット絵が載ったのは、本当に久しぶりなはず。それこそプレステ(2じゃない方。つかもちろん3でもない方)がリリースされてからは一度もない気がする。スーファミ時代か、ヘタしたらファミコン時代か。

何度も書くけど、「懐かしさ」というのはインターバルがモノを言う。間にいろんなものが挟まって初めてその感性が引き出される。一旦途切れてこそ懐かしさは呼び覚まされる。これほどゲームに親しみ、ことあるごとに昔のゲームもやり直し、音楽だってしょっちゅう聞いて、ゲームセンターCXだって見てる自分でも、

 ゲームに関して懐かしさを感じることがあるんだな、

という思いと、

 ドット絵ってのはこれほど昔のことに(僕の中ですら)なっちゃってたんだな、

って思いが両方去来した。だからきっと「切なくなった」んだと思う。わかる人にだけわかればいい。これはそういうたぐいの話だ。

|

« 麺類の話 | トップページ | バックアップ »

コメント

ドット絵ですか~。

自分がドット絵を語ろうとすると、RPGのキャラや黄金期のシューティングではなく、

STG作成ツール「デザエモン」(ファミコン&セガサターン)

の話になってしまいます。
ファミコン版では、STG版魔界塔士SaGaを作るためにゲームボーイの画面を虫眼鏡で覗きながら、TVにドットを打ち込み、スライムやら玄武やらを作ったっけ。
ファミコン版はあいにく最大3色しか1キャラにパレットを使えなかったのでグラデーションなどあり得ませんでしたが、セガサターンの「デザエモン2」ではオリジナルSFシューティングを構想、自機・ザコ・ボス・背景を自分でデザインして、たった1面だけですがドット絵で一つの世界を作ることが出来ました。ザコとボスは金属の光沢を出すために、徹底したグラデーションを心がけて当時は我ながら・・・と思ったものですが、多分今同じものを見たらかなりショボショボなんだろーなー(^^;。

というわけで、ほんの少しだけですが、ドット職人の世界に触れた身としては、この技術が廃れていくのはやるせない。でも、ドット絵という作品を書く「画家」がいた、その事実は何時までも忘れられませんね。

投稿: トムニャット  | 2007年10月 8日 (月) 01時12分

そう言えばトムニャットさんはデザエモンにハマってらっしゃったなぁと遠い日の花火を思い返すクリスですども(^^)。
※アテナでしたっけ?僕もソフトとマウスは買いました>サターン版

つかたぶん今見ても「しょぼしょぼ」じゃないと僕は思いますよ。つか技術とか時代とかはさすがに古びていくのを避けられませんが、情熱は色あせずに宿るものです。昔作ったプラモがそうであるように、当時の思いは絶対偽りじゃないし、満足もまたしかりです。つかむしろ歳を経て接触した最近のコンテンツの方が、より色あせるのが早いのではないかとすら思います。若いときの情熱はそれだけ価値が高いんです(断言。

「ドット絵を描く画家」とは上手い表現ですね。マーブルVSカプコンだかストリートファイターだかに木梨憲武が登場する企画がテレビで取り上げられていた時、そのマウスさばきに「神の手」を見た気がしました。横から見てるとマウスをただ左右に振ってるだけなのに、みるみる絵が出来ていく。僕らからしてみれば「ドットは置いていくもの」という感じなのですが、明らかにソレは「描いていた」んですよね。
※念のために申しますが、今で言う「タッチペンで描く」のとは全く別の感覚です。
今でもメタスラなどでかすかにその鼓動を感じることが出来ますが、漠然と昔のような「1点のドットにも千年の魂」という感じはしません。いろんなことが出来るようになった分相対的な温度は下がってしまったのかも知れません。

投稿: クリス | 2007年10月 8日 (月) 22時25分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/119981/16692948

この記事へのトラックバック一覧です: ドット絵にウルる:

« 麺類の話 | トップページ | バックアップ »