ふと思った
週刊アスキーのコラムに、「撮りためたビデオ」の話があった。大量に溜まったビデオテープたちをどうするか。いつか見る日が来るかどうかも分からない。しかし、「撮った時間」を無駄にしないためにDVDに変換して保存する。DVDがメディアの寿命を迎える前夜には、きっとそれもまた他のメディアに焼き直す。見るかどうかもわからないビデオを、撮った時間、焼き直した時間を無駄にしないために再度記録し直す。
確かに僕も自宅にはVHSで録画したビデオがかなりの本数眠っているはずだ。既に見られなくなっているモノもあるだろうし、実際ラベルに何も書かれていないようなものをチェックするのはなかなかに骨が折れる。
現状DVDに焼かれたコンテンツもかなりの数あるし、そんなことを言い出したら漫画だってゲームだってプラモだってレゴだって、ということになっていくが、ぶっちゃけにぶっちゃけちゃうと、自分は比較的昔のものを掘り返すタイプだと思う。唐突に昔のエロビデオが見たくなったりするし、アニメに関しても、思い入れのあったものなんかは、録画したビデオが見つからなくて、あまりにも見たいがゆえにヤフオクで落札してしまったことすらあるくらいだ。ゲーム関係の本とかも、どうしても読み返したくなることは少なくない。
でもだから全部必要か、と言えばそうでもない気がする。
実家の屋根裏にあるだろうドラえもんやウメ星デンカ、フータくんやキテレツ、21エモンなんかのコミックスはたぶん一生に近いレベルで見ることがないと思うし、実機のROMでそれなりに保存してあるファミコン、スーファミ、PCエンジン、メガドライブなんかのタイトルも、エミュで動くことでほぼ満足している。伊集院も「売れない捨てられない人」ということでアパートを借りて数千冊の書籍を保存しているが、
燃えちゃえばいいのに。
なんてことを言っていた。僕はビデオカメラを持っていないが、実際かみさんの親父さんが撮った長男の赤ちゃんの頃のビデオですら1回しか見た覚えがない。写真はスクリーンセーバーでかなり見る機会を得ているが、ぶっちゃけ動画なんざ面倒で探す気にすらならないんじゃないかと未だに思う。
他の親にビデオを自慢したくて撮ってるんじゃねえの?
って思うことすらある。古くてかっこわるいカメラを持って子供の運動会に参列したくないというかっこわるい見栄が、家電店のCMに踊らされて一般生活で最もコストパフォーマンスの悪い機器を買い、その産物を味わうこともない。
マメにヤフオクで私物を売り払える人は凄いなぁとも思う。
実際こないだ買ってきた「天然果汁さやか」でも、1巻はまぁまぁ面白く、2巻も惰性で買ってはみたが、読んでる途中で寝てしまった。こんなものはたぶん2冊同時にオク掛けすれば、ちったぁ返ってくるはずだし、かなり有効利用というか地球にも優しい気がする。ゲームだって一時プレミアが付いたMDの「バンパイアキラー」や「ガントレット」、SSの「心霊呪殺師太郎丸」だってたぶんやることはないんだから売ってしまえばいいかなぁとも思う。
でもレゴはどうか。
組むこともなく箱が寝室の頭の上にある棚に並んでいるだけだが、その並んでいる様を見て悦に入ることもあるじゃないか。いや、ゲームだってそうだ。エミュでやるからには自分も持っていたいと思う気持ちが、心の片隅に出もあるんじゃ無かろうか。いつか(っていつだよ?)実機との差を再度感じたるなる日が訪れるんじゃ、無かろうか。
高校卒業の際、今でももっとも仲の良いオフの友人が、「ちょっと徒歩で日本縦断してくる」と自身の持っていた漫画関係の多くをくれた。エリア88やナウシカだったと思うけど、随分読み返した。でも(ぶっちゃけちゃうと今その友人はその漫画を買い直しているのではないかと思うが)「僕にくれた時」その漫画は実は一旦死にかけていたものが再度命を吹き込まれるような状態になったような気が今はする。眠らせ続ける意味なんてホントは全くない、そんな気がする。
机上の空論になってしまうけど、例えば僕の家に頻繁に遊びに来てくれる信頼出来る友達であるなら、例えば漫画、例えばゲーム、プラモ、レゴでもいい、何でもあげてもいいかなって思う。遊んでくれるなら、作ってくれるなら、飾ってくれるなら、、、楽しさをそのアイテムから生み出してくれるなら、それはどう考えてもそのアイテムにとって幸せだと思うし、そこで感想や共有が出来ることで、僕にとっての幸せにもなりうる。ブログでもそうだけど、誰かが一旦終わりを迎えたモノに再度価値を見いだしてくれるというのは、とてもありがたく幸せなことなのだと思うのだ。
トムニャットさんと昔ゲームを貸したり借りたりした。ネオジオのパルスターを無理矢理クリアさせたり、PCエンジンのスプリガンMKIIやキアイダン00を借りて感想を言いあったりした。Blue_Tasuさんから小説を借り、その続きを自分で買ったこともあるし、今現在もバブシカさんとちょっぴり変則的なトレードが進行中だったりする。
そこに損得勘定はない(断言)。
誰かが僕の持っている漫画をデジタル化してくれるというのなら、喜んで僕はその人に漫画をあげちゃう。ビデオだってそう。昔録画した取るに足らない番組でも、Youtubeやニコニコにないものはいくらでもある。一緒に見よう!というのであれば、家捜ししてでも見つけたいと思う。
きっと子供を撮ったビデオでも、結婚式の時とかに掘り出されて日の目を見ることもあるんだろうと思う。ただ、あまりにもその線は細く不確定だから、僕はビデオカメラを信頼出来ないんだよな。
余談だけど、ゲームの攻略本は大概買って良かったと思ってる。自分でも意外なほど10年単位で過ぎてから再度楽しんだりしてるのだ。こういうものが案外自分にとって本当に価値のあるものなのかも知れないな。
子供の頃買ったプラモがあまりに溜まるもんだからお袋から「老後の楽しみが増えてよかったじゃない」と言われたことがある。でも実際はプラモ以外にもどんどん老後の楽しみが増殖し、このままだと老後が200年くらい必要かなぁなんて思ったりもする。つかたぶんホントに老後と呼べる日を迎えてもなお「あの世に持って行くもの」が増殖していたりするんだろうなぁとも思うんだよな。
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