入学式
最後の最後まで行くかどうか迷っていたのだけど、ふと外を見たらあまりに良い天気。それもかなりあったかくて、「こりゃ満開かな」と思ったらいても立ってもいられなくなって男親は本来出席しないであろう長男の入学式に行ってきた。
とにかく良いお天気で桜も最高に綺麗。つかこんなに綺麗な桜が咲いた入学式ってのも僕の記憶にないっていうか、そもそも入学式自体2、3回しか経験がないのだけど、「高校んときは桜咲いてたよ」とか言われると自分の記憶力のいい加減さに驚いたりする。
体育館に入ると在校生が校歌の練習をしていた。妙に気合いの入った先生が生徒に声を出すように促しているが、生徒達はかなり上の空。つか最近の中学ってのはこんななのかなぁとちょっと寂しくなる。僕らの時はもっとしっかりというか、こういうイベント一つ一つに真剣だった気もするんだけど・・・。
つか厳しくしない厳しく出来ない社会の風潮が結局のところ精神的に未発達な生徒たちを増長させているというか、まぁ僕は体罰OKだと思ってきた反面、体罰をする側がそれに見合う精神を持ってないことがそもそも問題なわけで、なんつか、
こいつら腐ってやがる
と思ったり思わなかったり。
ただ、先生も言ってたけど、たぶん合唱コンクールや卒業式の時はもっとずっと声が出ていたんだろうなぁとか思う。要するに「声を出す価値が入学式にはない」のかなぁとか。「校歌がダセえ」のかなぁとか。
入学説明会の時、正直部外者として聞いてる自分すらも悲しくなるほど情けなく切なくなってしまった生徒会長の話は、今回それなりの校正が入ったのかいくぶんマシになってはいた。が、それに応える新中1代表の誓いの言葉の方がはるかに安定してしっかりしまくっていたのはどうなんだろ。このまま順調に腐っていってしまうんだろうか。
式が終わって教室に入り、先生の紹介や配布物のチェックをする。今年転任してきた担任の先生はなかなかの熱血漢で僕的にはかなり好みだが、時間の限り生徒達をガン見しまくった僕としては、正直「プラスのメンツ」と「マイナスのメンツ」が拮抗してる感じがした。要するに「良くしようと前向きになれる可能性が瞳の中に見える子」とそうでない子。
式の最中に校長先生がおっしゃっていたが、中学の3年間は一生の間で最も心も体も成長する時期だ。朱に交われば赤くなる。ともすれば簡単に自分を見失うし、良い友、良い師に巡り会うことが出来れば、しっかりと自分を見つけることが出来る。薄っぺらな言葉だが紛れもない事実だと思う。
ウチの子供は正直ガキだ。背も低いし精神的にも甘く、弱い。だが、直情的な性格は(集団生活において損かも知れないが)嫌いじゃない。何にでもドライでクールなヤツより熱くなれる方が人生は楽しいはずなのだ。37歳の僕の1秒と12歳の長男の1秒は同じじゃない。無駄使いは絶対しちゃダメな3年間なのだ。
DO YOUR BEST!
「最善を尽くそう」
この校訓は僕らの時、
「最善を尽くせ」
であった。一見すればお互いを高め合う前者の方が志が高いようにも見える。が、僕にはどうも甘さの方が引っかかる。自分で自分を叱咤し、鼓舞する「最善を尽くせ」という表現と、第三者にも責任をなすりつける「尽くそう」という表現の差に見える。
隣人との関係は重要だが、何よりも自分自身がしっかりと自分を持ち、ブレないハートで最善を尽くさなければ道は開けていかないと思う。ダメだと思えばそれで終わる。諦めるかどうかではなく、美学を貫いて欲しい。
楽しく過ごせるかどうかは同じ1年の価値を大きく左右する。その為の努力は決して人任せであってはならない。おまえがおまえの為に最善を尽くせ。その結果ボッキリ折れてしまっても、その先は別の輝きを持つはずだ。父ちゃんはそう生きてきた。あとご飯はたくさん食べた方がいいよ。牛乳ももっと飲んだ方がいい。いや、これはホントの話。
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コメント
○○の水にかかりてなもゆかし○○○○○
学び舎は
その名をおいて希望の光希望の光
学びてたてり
中学、高校の校歌は忘れてしまったが^^;
実際書いてみると短いけど雄大で歴史が感じられる
ような曲調で・・・。
こういったキッカケで口ずさむことがあります。
学生時代は特別な価値がありますね、お互い
投稿: ランチェス | 2008年4月 6日 (日) 21時49分
歌詞は忘れちゃいますね。思い出すきっかけなく何年も過ぎちゃうとメロディすら怪しくなっていく感じ。
自分は高校の校歌が一番好きだったのですが、それとて第三者に訴求出来るとは到底思っておりません。ただ、もし歌うこと、歌う機会が得られるなら、気持ちよく大きな声で歌いたいとは思いますね(^^。
投稿: クリス | 2008年4月 7日 (月) 23時36分