マイナスを使う
仕入れの間に聞いていた伊集院のラジオで面白い表現があった。
「あのマイナスはもう使っちゃったの?」
禍福はあざなえる縄のごとし、楽あれば苦あり、人間万事塞翁が馬、世界の涙の量は一定ってのはちと違うかな。とにかく人生というのはいいことがあればまた悪いこともあり、悪いことの後にはいいことがあるという話。それを
あまりにも悪いこと(マイナス)があったあと、また悪いことが起き、
「あの時のマイナスはオレ、もう使っちゃったの?」
と。なるほど嫌なことばかりが続いていたら、当然それに呼応するいいことだってなくちゃ割に合わない。っていうか神様はきっと見ててくれるはず・・・。
嫌なことばかり起きているようでいて、実はポジティブな着眼
だったりする。実は途中「一切(意図して)使ってない」にも関わらず、連続して悪いことが起こってしまった場合、逆に、
自分のあずかり知らぬところでラッキーを享受しているかも知れない。
伊集院はそんな意図を持って語っていたわけではないと思うが、もしかしたら自分のすぐあとに歩いていた人は設置したばかりの茶色いブービートラップにおニューのスニーカーを絡め取られていたかも知れないし、たまたまコンビニで食べたいと思って買った鳥モモが、直後に来た人に買い占められたり、もっと言えば目に見えない風邪の菌や花粉がほんの些細なタイミングで自分を避けてくれたかも知れない。
基本的に確率なわけだから、例えば1万人に1人、交通事故に遭っているとしたら、その中の1万人に1人は3日連続で遭ってるかも知れないし、小指の先が車にひかれただけで済んだ人もいれば、家族が僕ひとり残して全員事故で亡くなってしまった人もいるかも知れない。
どっかでちょっとだけプラスを使ってるんだって思うと、割と気持ちがいい。
例えばみんなも「首の筋が違える」ってのは経験があるんじゃないかと思うんだけど、あれって超痛いじゃん?でもさ、気付くと直ってたりすることない?
それだって十分なプラス
だと思うわけさ。たまたま昼飯を食べに行った店が閉まっていて、他の店を探す間イライラして腹も減って、、、って状況でも、ダイエット的にはプラスだったりするかも知れない。
物事には大抵の場合2面性がある。
という考え方。要するに悪いことが起こっても、どこかでそれが埋め合わされている。バタフライエフェクトという言葉もあるように、どこで何が自分に影響を及ぼしているのかわからないんだよ。ギリギリ乗り損ねた電車、次に来た電車ではスゲェかわいい女の子と隣の席になるかも知れないし、気持ちよく座れるかも知れないし、もしかしたら事故を回避出来てたかも知れない。
ただ、本気で生ウンコを踏んでしまうようなベリーエクスペンシブなマイナスの場合は、そんじょそこらのプラスじゃ割に合わないよなぁって思った。つか大阪で仕入れ中、いろんなところに、
踏まれたウンコの残骸が・・・。
彼らは今幸せなんだろうか。つかそんなのデッケェお世話だっての!つか、
踏んじゃった直後の顔をおもむろにシミュレーションしてみると、、、
本気で死にたくなった・・(T-T。
みなさんもウンコには気を付けようという話でした。
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コメント
クリスさんこんばんわ。
マイナスの後には、プラスがあるって考え方、わたしも好きだな。というかむしろそうであって欲しいと願ってしまいますね。
七転び八起きだと良いことの方が多い感じがしてなんだかホットしちゃいます。そういえば、以前欽ちゃんがある番組でいっていたことですけど、それぞれ人は、同じだけ幸せも不幸の数もあって、不幸の数を減らすには、家に金魚を飼うと良いといってました。まぁ、ようするに、その良くないことを背負って金魚さんが天国へいってくれるそうです。 う-んなんだか可哀想な気もするけど・・・・。
逆に、良いことの無駄遣いもしないそうですよ。具体的に言うと、道で小銭が落ちていても拾わないそうです.ラッキ-をそこで使うのは、もったいないんですって。情けは人のためならず。っていうことわざに、すこしだけ,似てるような気もしますね。ワラ。。。
そうは言っても、幸せいっぱいの人生を送りたいものですよね-----。切なる願い。ア-メン。
投稿: 優華 | 2008年5月19日 (月) 00時38分
ちす優華さん、クリスです。つか優華さんいつもと違う人?いや失礼を承知で書いてしまいますが、なんだか今までより文面が大人びているように感じたモノですから・・・。
つかこういうことを書くと引く人は思いっきり引いてしまうし、常連さんでもあっさりウチのブログから離れていってしまったりもするのですが(^^;、
「へ~金魚の話とか全然知りませんでした。でも確かにかわいそうっていうか、あんまし根拠とか見えないですよね。」
とか、
「小銭を拾わないってのはなんかもったいない気もしてしまいますが、それによって大きな幸せをスルーしていると考えれば頷けなくもないですね」
とかいうコメントは、「誰だって出来る」んですよね。だからぶっちゃけ上のコメントは「ウソ」です。こんなのは頭の悪いヤツが言うセリフ。だから僕的クリス的なお返事。
ぶっちゃけテレビに出てる人の言うことはほとんどが信用出来ないっていうか、欽ちゃんに特別な感情があるわけではありませんが、その人の情報ソースだって結局行き着くところは似たようなモンだと思うんですよね。小銭の話もそう。
あと僕は「姓名判断」ってのもかなり信用してません。字画だとか字面だとかでその人の人生が決まってたまるかって思います。もっと言うと第三者に子供の名前をゆだねたりする神経も理解できません。自分の子供なのにって思います。要するに、
自分が信じた答えが正解だと思うわけです。
幸せに生きるためには、ある程度「他人の話に耳をふさぐ」のも必要かと思ったりしますし、もちろん自分のプラスになると判断出来る話には真剣に耳を傾ける必要もあります。ただ、
自分の許容出来る正解は出来る限り広くたくさんある方がいい
とも思います。最後のは若いウチは理解出来ないかも知れませんが、38歳の僕が現時点でたどり着いている真実の一つなんですよ。つか我ながらウザいな(^^;。
投稿: クリス | 2008年5月21日 (水) 02時26分