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2008年11月13日 (木)

NECPC-8801mkIIFR

古い記憶が時々フッと甦るというか、ほんとに風が吹く様に心に流れ込んでくることがある。当時のテイストを模した一枚のイラストであったり、流れてきた音楽の音色だったり、、、。

人によっていくつくらいの頃ゲームにもっとも傾注していたのかは当然違いがある。「もっとも」という表現も「いつでも『もっとも』だぜ!」って人もいると思うし、何度もという人もいるとは思うけど、僕の場合は大きく分けて、中学時代のファミコン、高校時代のPC88、ひとり暮らしをしていた頃のアーケードゲームというのが3大文明だ。

当然それぞれの時期にそれ以外のハード、プラットホームで遊んでいなかった訳ではないが、その頃を思い返すと今でもホントに胸が熱くなる。

正直それ以外の時期、例えば小学生の頃の電子ゲームや、プレステ全盛のFF8、ポケモン、モンハンだって相応に熱くなって数百時間という単位で人生を傾けてはいたのだが、3大文明の時代と比べて決定的に違うのは、

 ゲームにワクワクしていた。

ことだ。このブログでも再三書いてきたことだが、やっぱりゲームの進化、変化の流れが常に衝撃を帯びていて、1作1作未知なる驚きと未体験の楽しさ(時に失望(^^;)を味わわせてくれたことは、その時代を過ごすことができた者として、ゲームを趣味とためらいなく口にできる者として、「幸福」だったとしか言いようがない。
※これはたぶん僕の長男にも言えることかなぁとは思うけど。

PC88は志望校への入学祝いに両親からもらった初めてのパソコンだった。小学1年の頃からその高校に入ったら買ってもらうという約束を取り付け、それが現実のものとなり、我が家に大きな箱が3つやってきた。
※本体、モニターとプリンター。つかプリンターは本気で2回くらいしか使わなかったけど(^^;。

機種はPC8801mk2FR。当時一世を風靡していたゲームパソコンmk2SRの廉価版で、確か価格は138000円くらいしたと思う。
※当然モニター、プリンターは別。
結構な額だが、当時は今と違って「パソコンとファミコン(家庭用ゲーム機)とアーケードゲーム」のそれぞれの間には埋められない溝があり、「ゲームをやる」者としてみたら、全くの異次元空間がそこに広がっていると言ってもなんら誇張ではなかった。

当時はまだ実家がそこそこ裕福だったこともあり、僕は毎日簡単なバイトをさせてもらって月3万円のお小遣いをもらっていた。高校生でその額はとんでもなく破格だが、それにはたぶん税金対策とかも含まれていた気がする。つか思えば「小遣いの額が今と同じ」なんだよな。ホントにもらいすぎだぜ(^^;。

ソフトは当然決め撃ちだったが、僕と同じようにFRやMR(ちょっとだけFRより上位機種。動作速度を1.2倍にできるみたいな機能がついてた。でも実際のゲームはFRで完動するようにチューンされていたので、そのメリットはほぼないも同然だったけど)を買ってもらった友人が何人かいたので、貸し借りしつついろんなゲームをやった。

ファミコンから88というのはホントにいろんなことが違う。軽く列挙してみる。

・画面がRGB出力なのでドットの一つ一つまで明確に見える。全くボヤけてない。

・コントローラーが使えないので全てのゲームはキーボード操作。この当時はマウスすらなかった。
→が、必要もなかったんだよね。マジで。つかマウスを使って「画面内の物を任意で指定する」グラフィカルインターフェイスは当時全然メジャーじゃなくて、解像度も低いからあらかじめ反転してるカーソル箇所を移動するだけでも全然不都合がなかったのだ。

・解像度がファミコンより細かく、同時表示可能な色数が極端に少なくても印象自体は美麗に見えた。
Sor1 →ファミコンは1キャラクターあたり3色。1画面あたり54色中54色くらいだったと思うが、88はスプライトというキャラに指定する色数がなく、1画面あたり256色中なんと8色しか表示できなかった(※写真はGTSさんところから勝手に拝借したソーサリアンの画面。GTSさんごめんなさい)。つかその「256色」というのも、アナログ出力というちょっぴりイレギュラーな設定でのみ可能な感じで、多くのソフトはそのまま「8色中8色」しか表示されなかった。
→ちなみにそれでも当時4096色同時!26万色同時!1600万色同時!を謳った富士通のFM7陣営に全く押されることなくソフトはリリースされ続けた。まずは88そして他機種という流れだ。
※詳しくはリンク先であるGTSさんのページを見てもらえばその「8色の魔術」に関してはよくわかると思う。
http://emugts.ddo.jp/

・音がいい
→「FM音源」というのが具体的になんなのかは未だによく分かってない。矩形波とかPSGというのもよくわかってない。ただPCMってのはたぶんサンプリングで実音生をほぼそのまま鳴らすことができる技術だった気がする。スーファミはPCMだ。

FM音源がどう素晴らしいかというより、当時はその「違い」こそがインパクトだった。「煌びやか」というのが一番しっくりくる。

ファミコンは当時「ピコピコ」とゲームに理解の薄い大人から揶揄されたりしたほど、軽薄で単純な音が中心だった。
※僕の中でそれが崩れたのは特殊なチップを詰んだコナミの月風魔伝、、、ではなく、ギャラクシアンにあった隠しミュージック。
↓以前ここでやったイントロクイズの時に使ったもの。

「IGS10.mp3」をダウンロード

つかギャラクシアンはナムコのファミコン第一作であり、要するに「めちゃめちゃ黎明期から」僕の中ではファミコンの音は「ピコピコ」ではなかったのだが、まぁ大人からしてみたらどれも同じに聞こえただろうと思う。

しかし88は違った。大体FRの元となったSRのテレビCMでは武田鉄矢が指揮棒を振り、「音色が違う」ことをアピールするほどだったのだ。
↓当時のCM
http://jp.youtube.com/watch?v=d2k12LXAoaQ

ちなみにこのFM音源、今聴こうと思ったらたぶんDSの「世界樹の迷宮」が一番新しいところだと思うけど、所詮は「音色だけの再現」であって、当時の勢いや空気みたいなものまでは感じられなかったね。

・ボリュームが大きい
→今では全く理解されづらいことだと思うけど、当時の5インチフロッピーは1枚720kb(キロバイト)。ファミコンのボンバーマンやロードランナーは僕の記憶が確かなら16kb(128kbit)くらいで、単純に「面数」を比較してもパソコンの方が遙かにたくさんの面が収録できた。まぁこの当時は「1面作るのに掛かるコスト」みたいなことには全く頭が回らなかったので、単純に「パソコンってスゲー」くらいにしか思ってなかったんだけどさ。
→ちなみにPC88で僕が持っていたソフトの中でもっともサイズが大きかったのはBURAI上巻というRPGで6枚組(4.3mb。それでも1層式DVD1枚の1000分の1)。PC98の頃には20枚近い組数のものも出てた気がする。

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具体的に頭に浮かぶのが何なのかということになると、それはいつも曖昧で、正直コレが!というものがあまりない。「マカカーラ」だったり「英雄伝説」だったりウィザードリィだったりウルティマIVだったりするが、それもさほど大した話じゃない。ただ、エミュレーターで今改めてプレイしても、割と「懐かしくなかったりする」。モニターもキーボードも部屋も、そして僕の年齢も全てが違う。

コンピューターゲームはデジタルだから、画面に映るそれに大きな違いはないはずなのだが、取り囲む環境と自らの内なる変化が、当時の「風」を完全に呼び寄せるのを妨げる。
でも悔しいとかもったいないとかそういうのはない。ただただ「そういう思い出を持つことができてよかったな」と、ぼんやり振り返るだけだ。

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