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2008年12月 1日 (月)

自分を信じるな!

つか最近自分の周りの連中(年上年下問わず)が、自分を過信し過ぎる。っていうか僕が忘れっぽいのを自覚してるから余計にそう感じる
→それはそれで問題なのだが。いやこれはこれでマジで。
のかも知れないが、とにかく「自分を疑わない」。

自分に自信を持って答えを出すことが悪いことだとは思わないが、もし相手を否定してまで自分を貫くのなら、その自信は絶対の物でなくてはならないと思う。自分を貫く権利は誰にでもあるが、それが他人を傷つけてイイわけではないから、そのリスクがあるのならば、

 まず一歩引いて考える

べきだと思うんだよね。

ブログでゲームの感想を言うのに、「僕はこう思う」というのは正直どんなことを書いてもいいと僕は思っている。だって「僕はこう思う」なんだもの。でも「みんなもこう思っているはずだ」となると話は違ってくる。オマエと一緒にするなよ、となってくる。

たとえこれまで僕の価値観を理解していた人でも、一つの言葉で僕に対する信頼を無くすことになったとしても、あくまでそれが「僕はこう思う」を貫いた果てであれば仕方ないと思うし、そこで袂を分かつことになったとしても、それは受け手側が幾分かの「クリスもこう思っているべきだ」という気持ちがあったからではないかと思う。

 価値観や判断基準は人それぞれで、人間は常にミスを犯し、物を忘れ、人を責める

そういう生き物だと思う。だが、人を責める前にまず自分を省みるのは、自分で自分を信じて生きる為には絶対不可欠なことだと思う。まず自分に問うてみてYESなのかNOなのか。口から出した言葉はいくらがんばっても元には戻らない。ならばまず自分の口から出る前に今一度噛みしめるべきだろう。ましてやその一言が相手を傷つける可能性をはらんだものだったとしたならば。

生まれついての接客業だから余計に他の人よりそういう意識が高いのかも知れないが、常に相手を見て、自分がどう動くかを考える。正解がどこにあるのかをがんばって探し出す。見つからなかったら逃げ道を用意しつつ無難な答えでアタリを計る。これは大人だからとか子供だからとかじゃない。自分で自分を信じるため、自分が自分にとってどの程度どの側面で信用に足る人間なのかわかっているからこそであり、わかっていない部分はそれを見つけるため、形作るためでもある。
※たぶん僕は小学校5年くらいからずっとそうしてきた気がする。

パートさんに「言いたいことを言えない人もいます」と言われた。僕が「言いたいことを言えばいい」と言ったことに対してのリアクションなのだが、その言葉は正直表面しか見てない気がした。

僕の言う「言いたいこと」というのは、自分で言うべきかどうかを推敲した上で、あくまで自分が信じる自分ならどうすべきかを自問自答した上で「言いたい」と決断したことであり、単なるわがままで自己中心的で利己的な自分が「言いたい」と勝手にほざいていることを指すわけじゃない。

 要は考えろ、ということなのだ。

 みんなもっともっと考えろ、ということなのだ。

つかこれは正直「大人的」な思考回路ではない。大人はもっと打算的で利己的じゃなくてはならない気がする。むしろ自分が自分の子供や、子供の友人、パートさんに対して思うことであって、立場的に店を預かる身としては、

 そんな甘っちょろいことを言っていてはダメだ。

という気も多分にする。もっと「正解に近い答え」がある気がする。っていうか僕はそれがあることを知っているんだ。38歳で責任を伴う自分が取るべき選択と答えが別にあることを僕は知っている。でもその答えを出さないのは、僕が未だにガキでかつ、ガキでいたいと思ってるからに他ならない。

 とりあえずブログなんて書いていてはダメなのだ。

でもそれが出来ない。弱いなオレ。でもそんな自分が好きだったりするんだよな。

 「オマエもオマエを信じるなよ」

鏡に向かって言ってみたりするが、答えはNOだ。つか今日も今日とて支離滅裂だ。

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コメント

クリスさんの書かれたことを100%理解できた自信はないのですが、我が身を振り返れば、過去に何と多くの人々を言葉で傷つけてきたことか。以前、私の日記にも書いたことですけどね。

今現在は、徹底的に自分の言葉をセーブしており、端から見ると何を考えているか分からない人間になってしまっています。心の中では相変わらず毒舌ですから、まだそう思われる方がマシのような気も(^^;。

でも黙っているのはある意味無責任なのだなぁとも思うようになりました。自分の発する言葉に「責任」を持てないと言っているようなものですから。それは大人の態度じゃないよなぁと。
人を励ますときも、叱るときも、自分の言葉に自信を持ちたいものです。まあ、それは自分のことなのでなんとでもなるのですが・・・問題は他人が発する言葉。

自分が言葉に気を付けるだけに、他人が発する言葉にナーバスになってしまう。

まーバランスなのでしょうが~。この歳になっても、苦労させられます(^^;。

投稿: トムニャット | 2008年12月 2日 (火) 21時18分

ニフティの頃のメールのやりとりをちと読み返して、当時はトムニャットさんも僕も若く、熱かったなぁ(^^;などという思いに浸ってみたりしたりしたクリスですまいど。つか最近一つのゲームについて語り合うというか、語り尽くすというかってあんまなくなりましたね。それだけ愛が薄れたというか、それに値するだけのタイトルそのものがなくなったのか・・・。これが歳取ったってことなのかも知れませんが(^^;。

自分の言葉が人を傷つけるというのは、正直しょっちゅうですよ。何つかちょっとした勘違いから完全に相手を責めている時、気軽なジョークのつもりが実はアンタッチャブルウィークポイントにジャストミートしてしまったってこともありますし。でももうそれはそれで仕方ないですよ。考えて口にした方がいいと思っていても、それが出来るときと出来ない時がありますし(感情に流されていなくても)、そもそも外面をよくすることだけが自分で自分を愛するために正解になるとは到底思えないですし。
※むしろマイナスに作用することのが多そう。

ただおっしゃる通り「他人の言葉」はそうはいかないというか、「寛容になりきれない」自分がいたりしますね(^^;。っていうか、

 だからこんなブログを書いたわけですけど!!!

っていうかこういうところではき出すことで自分の中のガスを抜くという、まぁ「大人の逃げ道」みたいな?何か「気負うようなレスに見えて実はすかしっ屁」みたいなお返事で恐縮ですけど、ガス抜き自体は悪いことじゃないと思いますよ。人間誰にでもいい顔は出来ないですよ。

投稿: クリス | 2008年12月 3日 (水) 23時48分

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