NON STYLE
※今晩二つ目。
→実際はこっちのが先に書いたんだけど、なんとなくハッピーダンスコレクションの動画を貼りたくなったので。
物理障害が発生して帰らぬ人となったHDDには僕が録り溜めたオンエアバトルや各種バラエティの厳選されたものが入っていた。CMをカットするにとどまらず、時には「CM前と後で同じ映像が使われていたらそれも絶妙なカットワークで繋げる」みたいなものもあり、文字通り手塩に掛けたライブラリだったのだが、消えてしまった物をいつまで悔やんでも始まらない。
バックアップというと良く家族や恋人の写真を例に取り、「これだけは消えて欲しくない」という人がいるし、僕もそのひとりとしていくつものバックアップをとってはいるのだが、実際問題子供の頃自分が自分のアルバムをどれほど見たのかと問えばその答えは「ほぼゼロ」。せいぜい中学入ってから友達にもらった女の子の写真や高校の女子のブルマ姿(中には今のかみさんのやつもあったりして。案外それが宝物だったりして)があるくらいで、ぶっちゃけ自分の写真など1枚も見た覚えがない。
※もし写っていたとしてもそれはみんなで撮った写真で、事実上僕の視線の先には僕以外の人が映っていたわけだ。
どんな大切なものでもいつかは壊れてしまう。大切な人でもいなくなってしまうかも知れないし、忘れてしまうことも多い。「大切に保存しておいたはずのものがなくなる」というのは、「物を捨てられない人」なら誰しも経験する大きな喪失感を伴う言わば事件だが、冷静に俯瞰すれば次から次へ新たなものが蓄積され、古い物はどんどん埋もれて行っていたはずだ。仮に「消失した何か」が保存して間もない、鮮度がまだ低くないものであったとしても、歴史は繰り返され、ほどなくして「今」は「過去」に変わる。きっと変わってしまう。
だから僕は失ったたくさんのデータ
※中にはエロもあるでしょう。お笑いもあるでしょう。アニメやドラマやゲームもあったかも知れない。大切ないつも使ってるアプリケーションがあるかも知れないし、苦労してエンコードしたDVDもあるかも知れない。
を振り返らない。
M-1を取るまで決してメジャーとは言い切れなかったNONSTYLEの僕だけが知っていた(まぁそれは事実上言い過ぎなのは承知の上だが)ネタも彼らの過去と同じように過度に振り返る必要はないのかも知れない。
僕がNONSTYLEが好きなのは文字通り面白いからだが、一面で「しゃべりが下手」と言われる側面がこのM-1以降浮かび上がってきた。要はアドリブが利かないということなのだろうが、、、アドリブと言えばこないださんま御殿で僕の中では「ここにいるのはまだ場違いだろう」と位置づけていた「イワイガワ」が、絶妙なツッコミでさんまさんをフォローしていた。見ていて「こりゃぁさんまさんやりやすそうだな」と感じるほどナイスで絶妙なツッコミとフリ。
※モチネタ的にもさんまさんの好みに合うモノだったし。
「ああいうのがアドリブが利く」って言うんだろうな。
と思った。
でも、
NONSTYLEはNONSTYLEの道を歩めばいいじゃないかと思う。アドリブが利かないのにM-1で一位を取るということはどういうことなのか。それはもう
練習を凄くしている。
ということに他ならないと僕は思う。正統派のしゃべくり漫才でテンポがよく、洗練されている印象を受ける。だがその裏には相当な鍛錬と漫才に賭ける情熱があるに違いないのだ。一朝一夕で「普通にしゃべれない」人間があれほどの完成度の高い漫才が出来るようになるはずはないのだ。
だからこその石田の涙なのだ。
僕は3年以上前から好きで応援してきたから言うワケじゃないけど、NONSTYLEのM-1王者はホントに嬉しかった。こいつらは取るべくして取ったと思う。「漫才のチャンピオン」という肩書きは、HDDが失われ、二度と見ることが出来なくなった過去と決別しても、決して冒されることのない強く輝く「今」だ。
つかyoutubeで見れるじゃん、とか言わないように。てか見てますよ。もちろんちゃっかりと。だって好きですからね。って言ってることが違わないか?
| 固定リンク
コメント