自分の目指す理想の自分
人と話をするとき、最近とみに「こう思われたい」という願望が前面に出ている気がする。相手が一瞬でも「飽きてる」感じにならないようにしたい。面白いことを期待されないように、でもそれを裏切って笑いを取れるように。基本自分がしゃべりたいけど、相手が何かを言いたがった空気はキチッと拾って、下へ下へと入るように見せかけつつ主導権を握るように。
今日長男の中学の入学説明会に行き、
※仕事でね。
担当の先生と自分の子供にどこそこの高校へ行って貰いたいとか、勉強に対する意識だなんだという話をした。先生の年齢も近く、高校も同じ(先生はイッコ下)という境遇であるが故にその共感出来るパーツは多い。中三の担任を持つことが多いという先生でも、家庭を振り返ればそこには小五の長男がいて、やはりそれなりには出来て欲しいという願いが出てしまう。
学校ではあまりプレッシャーを掛けすぎないように、、
と親御さんに言うが、実際自分がその立場になるとそうも言ってられなくなる。内申だけでも当日の点数だけでもダメで、結局は日頃の積み重ねがモノを言うと言う。自分が出来たから子供にも、と思ってはダメだと思ってもついそう見てしまうと言う。それでも男親で子供の勉強に対して前向きであることは素晴らしいと言ってもらえる。
話していて心地良い。
僕も先生にそう思って貰えてるだろうか。
先日書いたR&Bの取引先とちょっとプライベートの電話をする。相手にとって僕はお客さんであるから、超えられないラインと最低限のリップサービスがあるに違いないと思う。だから僕は必要以上に自分を下げる。そうしないと対等に心が開かれないと思うからだ。絶対的イーブンにはなれずとも、「相対的イーブン」には持って行ける気がする。
パートさんと話すときもそう。「あまり自分のことは話さない方だと思うんですが、店長よく引き出しますよね」と言う。僕は口が悪いからアホウだボケだとボロカスに言うことも多い。失敗や勘違いに対しても皮肉混じりに「わざと失敗してドジッ子を演出しようとする心がさもしいヤツだなぁ」とか「そういう失敗があるからこそみんながアンタに優しくなれるからムリに直さない方がいい」とか、「評価を煙に巻く」ような物言いをしたりする。「今褒めたけど?」とどう聞いてもそう取られない一言に添えたりするし、「最悪だ」と言われて「褒められた?」と返す。
会話ってのは押したり引いたりのさじ加減がとても楽しい。相手が「・・・」になったらもうそれは負けだ。理解されない、スベる、困惑される、、、考えを止めるくらいならまだ全否定される方がいい。というか否定されるのは結構嫌いじゃない。ごめんなさいと言われるのは好きじゃないけど、「それは違うと思う」と言われるのは、
自分の意見を埋もれさせないで相手に伝えたい。この人には「言っても無駄」だと「言う価値がない」と烙印を押されていない証拠でもあるから。
だから「否定」は会話の中で実は建設的だったりする。少なくとも僕はそう思う。どうでもいい人のどうでもいい話には誰も反対しないでしょ?「どうでもよくない人」だから「最低!(^^」って言えるのさ。
人間は失敗する。忘れもする。反省も出来るけど、一度や二度の反省で二度と同じ過ちを犯さないように出来るワケじゃない。だからどうしても失敗させたくなければ、「失敗しても大丈夫なような保険」を用意するか、失敗させないようにしつこく食い下がるかしかない。それはとどのつまり
相手を信用しない
ということになる。でも僕はそれでいいと思う。商売上最低限の信頼関係は不可欠だけど、単純な、それこそ「入ったモノがそのまま出て行く」ような作業や覚えごとは、「相手に信頼させないように」しなきゃダメだとすら思う。頭が良くて学歴があり記憶力もいいという人間は僕らのような衣料品業界にはほとんどいない。いても毎日にそれらを活かせるシーンが少なく、割と能力が低下しやすい。
※もちろん出来る人はいますよ。念のため。
自信を持てるところは持つが、自信がないところは逃げ道を持つのが大事
だと思う。あまり完璧を相手に望んじゃダメなんだよ。相手もダメで自分もダメ、でも結果は丸く収めたい。
その瞬間瞬間を集中して相手を見るしかない。
一言一句覚えていられる相手ばかりじゃない。むしろそういう人の方が少ない。だったら相手の「聞いてない」空気を悟るしかないのだ。「相手が失敗する前に失敗を指摘する」。忘れる前に忘れた後のことを想定する。
嫌われる時は嫌われると思う。それもかなり。だって信用しないんだもの。でも、ふとその関係の居心地の良さに(ぬるま湯と言えなくもないけど)気付く日が来るかも知れない。
僕は基本スキンシップが好きなんだよね。相手が嫌がってたらそりゃハラスメントになっちゃうわけだけど、ついヒジとかホッペとか耳とか触ってしまう。
※これは男性にもそう。
ケツでアタックしてしまうし、「普通しないですよ」と言われるようなことをついしたくなってしまう。
別のパートさんだけど、紙を丸めて作った筒状のバット。見た瞬間に「絶対叩いてくると思った」と避ける体勢を取られたんだけど、「ちょっと握ってみてよ」と僕が手渡すと彼女は一言、
「こりゃ叩きたくなるのも無理ないかも」
僕はそういう関係を凄く望んでるんだよね。全部は無理だけど、一部分でも「本人以上に本人のことを理解出来るようになりたい」と思う。「なんで私がわからないのに店長がわかるのよ」と言われるようになりたい。
基本好かれたい人には全力でってことなんだろうけどさ。バイヤーとかでも思うもの。「この人には嫌われたくない」って想いが強い相手にほど一生懸命なんだよね。自分が。まぁ悟らせないようにすることも一生懸命なんだけど。あ、これも男女問わず年齢も問わずですよ。
※20も年上の男性でもそう。嫌われて構わないと烙印を押した相手には、ゴミ以下の扱い方をしたりするんだコレが。ぶっちゃけ残酷なんだよな。自分に正直だってことは。
※今回はいつにも増して支離滅裂。スマヌ。あんまし謝らないタイプだけど今日はちと謝っておく。
つかさ、自分の中での「正義とは」ってあんじゃん?詫びればミスは許すけど売り手のミスなのに買い手を疑って掛かってきたり、お客を蔑ろにしてるととらえられる挙動や言動は、
相手がそれを苦に自殺しても心が痛まないほど暴言を吐ける。
相手に「セクハラですよ」と言われるのは大嫌いなくせに、「セクハラかも知れないけど」と断りを入れて話をするのは好き。外堀を埋めて追いつめていくのは大好き(特に自分より年上で立場もそこそこ偉い人とか)。
まぁサディストなんだと思う。昔からだけど。
でもこと異性に関しては上から目線で見られるのって嫌いじゃないんだよな。なんかこんだけ扱いにくいヤツなのに、それを包んだ上でガンガン否定してきたりする人って結構好きになっちゃう。まぁ筋が通ってる場合に限定させてもらいますけど。つかこれは誰でも同じことかな。
とりあえず今日は結構楽しい一日でしたよ(^^。
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