バクマン。1巻を読み返す
※本日二つ目。
PCのバックアップ中に手持ちぶさただったので、1話しか読んでなかったバクマン。の続きを読んでみた。正直な感想一言で言うと、
なんだよ面白れーじゃんか!
普通に面白い。いやいやどうして面白い。別段コレと言ってネガティブチャージに入るわけでもなく、かと言って肩の力が抜けすぎるわけでもなく。漫画としての面白さを上手く構築してる感じ。
時間がたっぷりあったので、普通に流し読みしただけでなく、じっくりと集中して読んでもみた。すると結構細かなところまでしっかりと作ってあることに気付いた。
※まぁだからこそ面白さがにじみ出てたのかも知れないけど。
もし手元にある人は僕の今からの感想(割とウザイ)と照らし合わせてもらったりするとちと嬉しいかも。
・主人公のキャラがブランニューな理由
今回のサイコーとヒロイン亜豆はヒカルでもLでもキラでもない、「何かが抜けたような眼」を持つ、今までの小畑キャラにはない味のある、でも言い換えれば「ちょっと抵抗感のある」デザインだ。まぁその分もうひとりの主人公シュージンの見慣れた感の残る風体に安心感を抱くのだが、漫画を読み進めていく中で出てくる、
バカには出来ない
というセリフとこの「違和感の残るデザイン」に、この漫画の方向性を感じることが出来た。
要するに「これはデスノートではない」そして「新たな可能性を模索」。
人気のある作品が描ければ、それだけでかなりの間食うには困らないはずだ。しかし好きで始めた漫画家であれば、「食うために描いてる」はずもない。生活にゆとりがある今だからこそ、「デスノートの・・・」という冠を意図的に外す勇気を振り絞ることが出来る。だからこそのこのデザインなのだと思う。
シュージンはまぁ「保険?」。漫画をずっと描き続けていくとどうしても「その絵に染まっていってしまう」。作風と言えば聞こえは良いが、柔軟性の欠如とも言える。だからこそのチャレンジだし、この二人(大場つぐみ&小畑健)が「バカではない」こと、「バカではなかった」と信じたいがための新キャラなんだろう。
・セリフの一つ一つにスゲェ気合いが感じられる
全てのセリフをじっくり読み進めてみても、軽く流してみても、贅肉が全くと言っていいほどない。どのセリフにも全て理由があり、一つとして無駄なセリフがないために、「読み飛ばしたくなる」場面がなく、かつ「読み飛ばして読んでも話に連続性が見出しやすい」。これはたぶん実績があるだけじゃなく、すごく謙虚であることの証だと思う。
ヒット作、それも2作続けて大ヒットと呼んで差し支えないタイトルをリリースしていれば(まぁヒカ碁はほったゆみ原作だけど)、当然鼻っ柱も強くなるだろうし、自信過剰に陥りやすくもなるはず。だから(僕の勝手な想像ではあるけれど)担当編集とのやりとりでも勢いわがままが通りやすくなるんじゃないかと思う。「連載させてやる」、から「連載していただく」に変わっても不思議じゃないから。
でもこれにはそれを感じさせる甘さが全くない。
特にウットリしたのは79ページからのシュージンのセリフ。あれだけの文章を言わせてるのに、その一つ一つがじっくり吟味してあるからこそ飛ばさずにそれも一気に読めるし、キャラにそぐわないセリフが一つもないからこそ、連載始まって間もないのに一気に彼のキャラが固まっていく。「クラス一の秀才」が「頭のキレる情熱家(←正直この表現はあまり正しくないとは思うけど適切な言い方が浮かばなかった)」にシフトする。
僕的には79ページの「そう言う意味で聞いたんなら答える」の「答える」なんて最高だと思う。「言うよ」でも「答えよう」でもないのは当然としても、「答えるよ」じゃなく「答える」と言うわずか「1文字」の違いが、シュージンの意志の強さや決断力の早さ、サイコーを冷静に評価するからこその信頼すらも浮かび上がってくる。
そしてそのキャラ立てがあるからこそ、中盤で仕事場に初めて訪れ、サイコーの知識や当たり前のハードルを当たり前に提示するスタンスにも及び腰にならずに済んでいる。それまでのシーケンスがなければ、サイコーの圧倒的な情熱に気圧されて「もしかしたらオレの方がナメてたかも・・・」的な、読者に不安を煽るような流れも出来かねなかった。でもそれがない。なくて済んでるのはシュージンが「バカでも単純でもない」から。読んでる側は二人の作品にリアリティのある夢と希望を載せたくなってくる。
・ヘッドフォン
サイコーはごくごく初期の頃のみインナー型のヘッドフォンを着用しているが、シュージンは最後の方でも割とずっと密閉型のヘッドフォンを着けている。これは前者が漫画に集中することで音楽を聴くという行為すら否定し始めたからであり、後者がわずかな時間でも有効に使いたいという「秀才的」思考の上でのアクセサリー。密閉型なのは後半で作画に没頭するサイコーの邪魔をさせないためと、常日頃から自分が第三者に迷惑を掛けることで結果面倒に巻き込まれることを避けるためとが合致したとてもナイスなチョイス。だからこそこれだけ描くのが面倒だと思われるヘッドフォンをまめに描いてるんだと思う。
ちなみによーく見るとそのヘッドフォンのディティールがところどころ甘くなってたりして、ちょっと嬉しくなる。もちろんこんなところにこだわる必要がないからであり、何が大切で何が大切じゃないかを知っていることに嬉しくなるのだ。
・亜豆
かなり怖い。かわいい子だし、基本天然だとは思うが、天然だからこそ190ページからの見吉との掛け合いが重い。以下僕の勝手な妄想ね。
「高木くんと香耶また話したんだ・・・」
→見吉に「声優目指していたことをシュージンにバラした」ことに対して責めることでシュージンしいてはサイコーから見吉を遠ざける目論見だったのが、どうやら上手く働かなかったことに対する焦り。
「高木くんが私と真城くんの事言うとは思わないけど・・・」
→「思わないけど」ここは念のためにもう一つ保険を掛けておかなければマズイと計算じゃなく天然ではじき出す。結果「見吉をノせてシュージンに注意を集中させることで、真城くんが完全に見吉の視界から消えるプラン」ことを進めることにする。以前から見吉がシュージンに対してただのクラスメート以上に意識していたのは間違いなく亜豆はわかっていたはずで、だからこそ「誰も傷つかない。特に自分と真城くんは矢面に立たされない」このプランを進める決断をしたんじゃないかとも思う。
正直母親ほどキャラが固まってないのかな、とも思う。僕の読み込みが甘いだけかも知れないけど、「先生口調になる」というのがどういうフラグなのかがわからない。
「男の子が大好き」と太字で明言してるのは、「ガンコで情熱的な側面もある」夢に向かってまっすぐ進める意志を彼女もサイコーたちに負けず劣らず持ってるよ、ということを伝えていると思うんだけど、先生口調になる理由が見あたらない。単なるキャラ付け?でもこの漫画に無駄なことってホントにないもんな。2巻以降で明かされるんだろうか。
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たぶんデスノートもバクマン。以上にそういう細かなところの作り込みが厚かったんだろうと思う。でも僕は結局なんか最初の波に乗り損ねて、かつなんだか「黒い」オーラが好きになれず、映画をそれもDVDになるまで見ることが出来なかったんだよね。
バクマン。はそれと比べるとかなりライトで、舞台設定的にも僕が好きな学園ラブコメの要素を含んでいる。何度も繰り返し読むなんて漫画はここんとこずっとなかったけど、バクマン。はちとがんばって読んでいきたい感じだ。
余談だけど、この漫画は娘にもかみさんにも評価が高かった。小三の娘は当然のように難しい漢字は読めないし、意味もわからない。逆にかみさんはまず娘の読むようなレベルの漫画に心が動かされたりしない。でも二人が同時に面白いと感じたのは、バクマン。の作りがとてもフレキシブルだったからだと思う。軽く読むにしても深読みするにしてもどちらにも答えが用意してある。まるでスーパーマリオのように読み手によって姿が変わる。
たぶん大場つぐみと小畑健はどちらも天才なんだろうと思う。なんかじっくり読んでみてシミジミ感じたんだよな。
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