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2009年3月27日 (金)

卑屈になる美学

※今旅行から帰ってきたところ。とりあえず以前書いたので今日はお茶を濁す。つか旅行記はあんま人気ないというか、それほどめぼしいイベントはなかったんだよな。今回・・・。

辞書で引くと「(他人にへつらって)自らを卑しめるいじけたさまであること」とある。続けて「へつらう」を引くと「人の気に入るようにふるまう。こびる。おもねる。追従ツイシヨウする」とある。じゃあこびるはというと、「相手に迎合しておもねる。へつらう」。おもねるは「機嫌をとって相手の気に入るようにする。

僕なりにざっくりまとめると、

 相手が気に入るように機嫌を取って自分を卑しめる

ふむ。だがこれは微妙にアレンジすることで、

 自分を一歩引いた形で相手の好みに合わせる。

もしくは、

 空気を読む

これとどう違うのかという気もする。「卑しめる」というと随分情けないニュアンスが前に出るが、きょうび「自らを卑しめる」ような人間なんざほとんどいないのである。少なくとも、

 対人状態で

そういう精神状態になるような人はいない気がする。モニターの前でひとり文字通り卑屈=自らを卑しめるようなケースは多々あるだろうが、 人前で相手のご機嫌を取るような仕草をするケースを鑑みると、

 その場の空気は全然悪くない

のである。結局は「気を遣う」ということであり、「相手を尊重する」からこそ自分を一歩引いて話をするのだ。

先日のとらドラ!の話に絡むが、あれとて視聴者に「こびているのが鼻につく」と言いつつもそこには確固たるそれもかなり大きな市場とニーズがあり、「良し」とする、肯定する人が多いからこそ支持され、人気を得ているのだ。これは規模を縮小して日々の暮らしの中の自分の物言いや対応にも十分活かせることだと思うし、風呂敷を広げるなら、

 人間が基本的に相手に望むこと

の範疇に入る気すらする。アルジャーノンだって頭が悪いときの方が回りの人は彼に優しかったし、自己主張が激しいばかりで全く自分を曲げない人と話をするのが重くつらいと感じる人も多いと思う。

昨日長男に「もし女の子を家に送っていく」ようなことになったら、「送っていこうか?」と言うより、「送らせてもらってもいい?」と下に滑り込ませるように話をした方がいいという話をした。もちろん長男のキャラクターが周囲の(男女問わず)人にどう映っているのかにも寄るが、

 「下をくぐり返す」のはなかなかにテクニックが要る

と僕は思う。最近の人は「謙虚になり慣れてない」。「謙虚になる技術に欠けている」から、たまにそこを突かれると上手く否定できず、かといって悪い気はしないので空気は良くなる。

 下をくぐり合うのは実は居心地がいい

ただココで重要なのは相手と自分の関係がいわゆる世間体を気にするような「気安くない」場合は、全然ちっともこれには該当しないということだ。その場合はむしろその行為が鼻につくというか、ともすれば真逆の嫌悪感を抱かせ兼ねない。

ただぶっちゃけそういう人にそういう対応をする時ってのは、

 そう思われても全然構わない

からそうするのであって、冷静に考えればまぁあまり問題じゃないかも知れないな。だいたい僕だって相手に対して絶対の自信があり、相手が割とミスを冒しやすいバイヤーであったりしたら、そんな卑屈な対応は絶対しないもんな。

 でもこれってホントは「最高の状態」ではない

んだよな。こないだNASAの特番やってたのを見てて思ったけど、ああいう極限の仕事をしてる人にしてみれば、曖昧な気遣いなんてジャマなだけ。常に「正しいYES」と「正しいNO」が返ってくる関係の方が物事はスムーズかつ正確なんだよな。

 やっぱ時と場合を考えること

はそれ以上の優先順位があるってことなのかな。

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