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2009年8月16日 (日)

昔の実家の話

こういう話は正直あんま好きじゃない人も多いと思うので、ちょっと読んでピンとこなかったら飛ばして下さいまし。

今日がたまたまお盆だからと言うわけでもなく、ふと実家にいて、「昔のこと」を思い返すことがある。そんな話をしたいと思う。

代々小売業を営んできているが、丁度ウチの親父の頃が一番景気もよく、商才もあったので店は結構繁盛して、僕が小学1年で自転車を買って貰った頃は、店頭にあった広い軒下の前にシャッターが付けられ、毎朝毎晩ダンボールに入れた商品を出し入れしていたのが、そこへ置きっぱなし出来るようになった。

シャッターが出来る前の店頭は、たしか横15m×縦3mくらいのスペースだったと思う。一面コンクリートで、店が閉まる時刻になるとそこで「ケンケンパ」をやったり、メンコをやったり、買って貰ったばかりの銀色のポルシェのラジコンで遊んだりした。当時はラジコンが出始めの頃で、僕が買って貰ったのはたしか7980円くらいのモノだった気がするけど、もしかしたら15000円くらいしたかもしれない。前後左右に6つの矢印があるタイプで、9Vの乾電池もその時初めて存在を知った。期待に胸を膨らませて走らせたラジコンが意外と遅くて、ウィーンウィーンと動く様に子供ながら軽い失望を抱いた覚えがある。
※だってその当時はホントにスーパーカーブームで、「凄く速い車」の印象があったんだもの。
※数年前に子供に買ってあげたフェラーリが一回り小さいくらいの大きさで随分速くなってたのに驚いたもんです。

店の奥は台所と直結していて、板張りの床は一面傷だらけ、

 「これはアンタが2歳くらいのころトンカチでトントンした傷なんだよ・・・」

僕には第二次反抗期がなかったんだけど、代わりに一次反抗期はそりゃもうかなりのレベルだったと僕を知る人は口を揃えて言う。まぁ親戚筋でもかなり早い男の子で、わがままさせ放題だったんだろう。

建設機械系のミニカーも大好きで、ブルトーザーとショベルカーがいくつもあったって言ってた。ダンプカーとかフロントエンドローダーは、、、っていうかフロントエンドローダーってみなさんご存じですか?僕はレゴを始めるまで全然知りませんでした。要は「シャベルカーのシャベルが幅広になって180度逆に付いてるブルトーザーみたいなやつ」です。ブルトーザーが押すだけなのに対して、フロントエンド・・は持ち上げて運ぶことが出来る。っていうかメカとしてはどう見てもこちらの方がかっこいいんだけど、

 たぶんブルトーザーとごっちゃになっていた

んだろうと思ったりします。

その台所では友達に借りたバーミンで600点くらい取って浮かれてた記憶や、飼っていたインコの鳴き声をものともせずにテレビにラジカセを近づけて早朝の仮面ライダーの再放送、カリオストロの城テレビ放送を録音したりしてた。掛け時計の「ボーンボーン・・・」って音が入ったカリオストロは、当時全部のセリフを覚えるくらい聞きまくったんだよな。

台所から店内を通って倉庫になってる二階への上がりしなには、トイレと風呂場への戸があって、時々髪が濡れたままパジャマで店内を通ってたりしたな。そうそうお風呂も昔おじいちゃんが生きてた頃
※僕が小学1年の頃に他界。
は、薪(まき)をくべていたような記憶もある。あれはお風呂と連結してたのかなぁ。お湯が出るタイプじゃなく沸かすタイプで、その沸かし口の金属のフタが死ぬほど熱くなって怖かった。小さくなって入ってて、急に「熱い対流」が来ると泣きそうになった覚えもある。夏とかはお風呂の水を口に含んでピューッとか出してたな。お袋のにスゲェ怒られたけど、その頃は何が汚いのかよくわかってなかったんだよな。あとお風呂マットを湯船に入れてすべり台とか。今考えるとスゲェ汚ねぇよな。

台所から母屋までの間は15mくらいの中庭があって、おばあちゃんが手入れをしていた盆栽や、親父が子供の頃作った池があった。池は僕が小学生の頃増築して倍くらいの大きさになった。石で外堀を組み、セメントで固めて向こう側に背の低い木が植えてある。脇にある水道は小さい頃は「井戸水をカッポカッポ出すヤツ」だった気がする。台所でわけもわからずポットのスイッチを押して、太ももを派手にヤケドした時、おじいちゃんがここに運んで水を掛けてくれた。小1で死んじゃったってことはもっと前のことなんだよな。でも2歳くらいの頃今でも左手にある傷の元になった「ミキサーに手を突っ込む事件」のことは全然覚えてないから、この頃の1年ってホント記憶がとびとびになっていく感じだな。

池には金魚すくいですくってきた金魚を次から次へ入れていったけど、結構長生きしてた。増築したあと一度だけ鯉の稚魚を入れたこともあったけど、ある程度大きくなった時点で近所のノラ猫に狩られてしまった。金魚は食えないけど鯉は食えるんだよな。手前の岩を叩くと遠くにいてもすぐエサをねだりにくるカワイイヤツだったんだけど。

池の裏には今にも壊れそうな廃屋があって、ボットン便所があった。古い雑誌を置いておいたりしたので、何となく読み返しに行った記憶がある(てれびくんに連載してた「ヒロインくん」とか)。その右奥はどうなってたかなぁ・・・青く薄明るい屋根があって、店で使ってた什器があった気がする。L字型になった建物の2階には頭蓋骨の模型があって、子供の頃階段を上がって振り向くのが近所の友達との度胸試しみたいになってた。その建物の前にある樫の木は今でも残ってるんだけど、周りはもう完全に様変わりしちゃってるな。

母屋へ続く道沿いは夜になると本当に真っ暗になってしまって、小さい頃は凄く怖かった。僕が暗闇を怖がるとしたら間違いなくこれが原体験だと思う。ある時なんかはその暗闇の中に二つの光る眼が見えて、怖くて死にそうだったことがあった。それでも母屋に行かないと寝られないからおそるおそる近づいて行ったら、、、

 「なんだムクか・・・」

隣の家の犬だった。昔は今と違って平気で放し飼いにしてたんだよな。驚かせやがって、なんて口にしながら横を抜けると、その日を境にその道がなんだか怖くなくなった気がした。あぶないものなんてそうそうないんだって思ったのかも。

母屋の前には大きな夏みかんの木があって、今でも毎年実を付ける。凄いな夏みかん。全く手入れしてないのに、僕が生まれた頃から今まで普通に実を付ける。根元の周囲はアスファルトで固めてあるのに、僕が子供の頃登った木は今でもそこに白い花を付ける。ちなみにこの夏みかんは驚くほど酸っぱい。これを食べるとよくあるお菓子のスーパーなんちゃらなんか子供だましだって思うんだよな。目の前が一瞬暗くなるほどだぜ?あんま食わないけど。

夏みかんの横には隣の喫茶店(親父の姉がやってる)で使う炭酸水がケースに入れておいてあった。今ならそれを何に使うのかわかるんだけど、当時はファンタやコーラ、チェリオと違って全然美味しくないのが凄く不思議だった。こんなの味がしねぇじゃん・・・。

そうそうそのケースに、近所のおじさんが捕まえてくれたスズメバチの入ったビニール袋を刺してたことがあった。水もエサもない状態でそのスズメバチが2週間以上生きてたのを覚えてる。今でもそうだけど僕はホントに蜂が苦手というか怖いんだよね。正直ゴキブリとかクモとかのが怖いって感覚は理解できない。「高速で飛んできて刺す」んだよ?殺意があんだよ!我々人類に対する明確な殺意をもって行動するマシーンなんだよ蜂は!怖すぎる・・・。一回逃げながら背中を刺された時あまりにも大声で叫びながら最寄りの開業医に飛び込んだことがあって、近所の人はみんなその事件を知ってたりする。恥ずかしいけど、当時にプレイバックしたらきっとまた僕は叫ぶに違いないと思うんだよな。

母屋の入り口にはビワの木があったんだけど、このビワを食べたのは1回あるかないか、、、ほとんど枯れかけてたんだよな。でもなんか凄く美味しかった気がする。もう一本母屋の奥にはイチジクの木もあって、こっちは逆に「スゲェ不味い!これは食べ物じゃない!」って思った。この木はカミキリムシの大量発生で腐っちゃったんだよな。子供だから「カミキリムシ偉い!」とか思ってた。それほどイチジクが嫌いだったんだよ。正直今でも美味しいと思えないし。

母屋の想い出はとにかくガンプラを作った記憶が強い。狭い土間の前に新聞紙を広げて、「換気を良くしながら塗らないと死ぬ」くらいの勢いで換気しながらプラモ作った。昔は妹と二人で寝てた部屋は今では仏間になってて、それでもまだ残ってるのがちょっと嬉しい。クリスマスの朝、枕元のプレゼントにテンションが振り切れてた部屋がまだある。中学生の頃は「基礎英語」を明け方聴いたり、上手く塗れたエイリアンのプラモを枕元に飾って眠ったり。「ペキッ」ってメガネを妹に踏まれたこともあったな。小さい頃はタンスの手の届かない上の方の引き出しからなんか甘酸っぱくてちょっとやわらかい薬みたいなのを出してもらった記憶もある。滅多に食べさせて貰えないけど、なんか美味しかった。ああいう薬って今もあんのかな。

その部屋の奥には3畳ほどの小さな小部屋があって、凄く小さい頃はお袋がミシンを使っていた気がする。途中から僕のおもちゃが大量に占拠するようになって、今では普通に物置なのかなぁ。記憶が曖昧。勉強机があった頃もあった気がする。

この頃は両親の部屋にしかエアコンがなくて、涼しさにウットリしてた。エアコン買ったとき付いてきた羊の置物があって、当時どれだけ高額でステータスを持った機械だったのかが伺える感じ。

そうそう店には大きなレコードプレイヤーもあった。正面にソファーがあって、お客様との商談に使ったのか、それとも単なる趣味だったのか・・・。でも僕が物心付く頃には「既に鳴らなくなってた」んだよな。

裏庭は雑草とちゃんと植えた植木が区別が出来ないような状態になっていて、白い、、、いや、昔は白かったと思われる小さなブランコの残骸があった気がする。ああでもこの辺りの情景はディティールが甘いなぁ。鈴虫とかいたような、、、蟻の巣があったような、、、地蜘蛛を捕って遊んだような、、、。曖昧だ。

隣の家との境も結構曖昧で、でも同い年の友達がいたから結構普通に行き来してた。そいつんちは犬を飼っていて、行くといつも猫まんまの臭いがしたな。犬だけど。映画が大好きで、パンフレットとかスゲェ持ってた。今でも持ってるのかな。そいつんちは代々犬を飼っていて、ムクの前に飼っていたラッキーって犬が超苦手な友達が、ジャレてきたラッキーに向かって必死に「ごめんなさいごめんなさい」って謝ってたのを覚えてる。裏の駐車場に止めてあった八百屋のトラックの荷台から降りれずにべそかいてた。noriくん覚えてる?

裏の駐車場の奥には小さな竹藪があって、そこにある錆びたドラム缶の中にアシナガバチが巣を作ってた。僕が泣き叫びながら逃げつつ刺されたのはこのドラム缶から出てきた大量の、
※もしかしたら2匹くらいだったかもしれないけど、当時の記憶では50匹くらい。
アシナガバチ。あんなに怖かったのは未だにない。断言出来るけど一生の間で一番怖かった体験だな。

僕は子供の頃花火が凄く苦手っていうか怖くて、友達が平気で爆竹を手に持ってやってるのを見て「壊れてるんじゃないか」とか思ってた。うるせぇし痛ぇし怖ぇぇじゃん。ロケット花火ですら走って逃げて途中で転んで掌に今でも残る傷を負ったこともあるくらい恐がりだったんだよな。中学入っていつの間にか

 ロケット花火を投げ合う遊びを楽しげに出来るようになってた

のが凄く不思議。当たると超痛ぇのに理解できないよな、子供の考えることは。

近くの川に遊びに行って思いっきり濡れ倒したのも懐かしい。いわゆる田舎にあるような清流じゃなく、普通にちょっと汚い2級河川。顔とかとてもじゃないけどつけられないけど、なんか今で言う「流れるプール」みたいな感じで遊んでた。今じゃそんなことしてる子いないよな。っていうか、

 当時も僕ら数人以外いなかったけど。

半径100mほどのエリアに同い年の友達が10人くらいいたので、世界が凄く狭かった。その中におもちゃ屋があって(途中向かいにある文房具屋でもガンプラを売るようになった)、お菓子屋が3軒、本屋、床屋、ウチが服屋で、駄菓子屋もお菓子屋とは別に3軒あったような気がする。ちょっと離れるだけで同い年の子は別のコロニーを形成してたりした。たまにその接点にある駄菓子屋でぶつかると妙によそよそしかったり、それでいてゲームは仲良くやったり・・・。この頃の駄菓子で記憶にあって僕が好きだったのはなんと言っても「みかん水」。今でもあるんだよね?当時30円で全然冷えてない茶色いビンで置いてあった。

 あ、今さらですが、今回の話にオチはないですので念のため。

駄菓子屋では2円のニッキゼリーとか「いくら安くてもこれだけは食えん!」と思ったし、モロッコヨーグルトは普通に定番。っていうか当たり前の話コストパフォーマンスの悪いお菓子はそうそう食わないんだよな。30円のチロルを食うくらいならみかん水だろって感じだったし、うまい棒とか別にそんなに持たないじゃん?ソースせんべいのがソース掛けたり2枚入ってたりで間が持つというか、そんな食い物よりも「ゴムのワニが当たるくじ」のが遙かに魅力的だったんだよな。今でも思うんだけど、当時のそういうクジ物のクオリティって結構高くて、一言でワニと言ってもいろんなのがあった。ヘビもそう。リアルであることとカッコイイことを両立してるというか、最近売ってる奴見るとどう見ても手抜きというか、

 所詮は中国だぜ・・・

ってその頃も中国製だったんだろうに。

つかそういう娯楽方面に流れていくとなんだか最初に書きたかったことと違ってくるような気がするので軽く戻す。

母屋は僕が中2くらいの頃に改築して僕の部屋が出来た。一時的に店の二階に住んでたりして、忘れもしない中一のクリスマス前、我が家にファミコンが来たんだよな。布団が敷いてある部屋におもちゃ屋の親父を呼んじゃったもんだからお袋が「っとにもう!来るなら来るって言ってよね!」ってプンスカ怒ってたけど、全然笑顔だった。当時は2チャンネルに映す為にちょっとしたアンテナの配線(RFコンバーターだっけ?)をしなきゃならなかったんだよね。あの時買って貰ったのがゼビウスとエキサイトバイクじゃなかったら、ここまでゲームが好きになってなかったかも知れないな。

新しい家には、特別に僕が一番最初に寝ることが許された。まだ全然出来上がってない状態だったんだけど、一部屋だけ畳が敷かれたので、「泊まり」に行った気がする。新しい家のニオイが充満してて、ひとりだけど全然寂しくも怖くもなかった。

僕の部屋は、それなりに裕福だったこともあって壁材から蛍光灯、ブラインドまで全て好きな物を選ばせてもらった。天然木は見た目にもかっこよかったけど、何年かすると歪んでスキマが空いたりした。壁には本棚を作ってもらって、今でもそこにはマンガがギッチリ詰まっている。

僕の部屋は1階の屋根づたいに窓があったので、そこから外への出入りが出来た。夏みかんの木の脇にある軒へ登って部屋に入れるというシチュエーションは、図らずもマンガ的で、なんか凄くワクワクした覚えがある。まぁ中学生の頃はそこでラブでナイスなエピソードが生まれたりは全然しなかったし、高校に入ってもせいぜい友達の出入り程度だったんだけどさ。所詮マンガと現実は違うんだよ。

新しい母屋には屋根裏があって、そこに小学生の頃愛して止まなかった仮面ライダー関係の付録やらカードやらを入れた箱をしまった記憶があるんだけど、こないだひさびさに登ったらすぐ手前まで完全な生活品の物置になってて全く探せなかった。藤子不二雄の古いマンガとかもあったはずなんだけど、、、。

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子供の頃の記憶って思い出さないとどんどん下層へ下層へ降りていく気がする。雪化粧をした中庭で初めて「結晶が六角形だ!」ってことに気付いたり、どぶ川にいた「赤い動く糸」が蚊の幼虫だってことを知ったりなんてのは、大人になると全く使う場面がない。

それでも「ぼくのなつやすみ」みたいなゲームを誌面で見たりすると「ああこの頃に戻るのも悪くないのかなぁ」と思ったりする。つかドラクエやってなかったら案外買ってたかもね。

いろんなものが変わっていって、その当時の景色を残した写真もない。だから記憶から消えちゃったらそれで全てはなくなってしまう。っていうかたぶん世界中で、何年も何百年も前からそうして過去はどんどん失われてきたし、これからも失われていく。でも気にすることはたぶん全くないのだと思おう。

 今だってこの瞬間からどんどん過去になっていく。

ガンダムの写真だってあと20年もしたらどこにあるのかわからなくなるに違いない。自分が「ご先祖」と呼ばれるような未来も来るかも知れない。時は永遠に止まらない。僕の血族が絶えても、日本が沈んでも、地球が爆発したって、時が歩みを止めることはない。だから一瞬一瞬をかみしめる。懐かしく振り返るのも、ドラクエに10時間連続で割くのも、かみしめることに違いはない。僕はここにいる。

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受信: 2009年8月19日 (水) 09時51分

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