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2009年11月11日 (水)

復活の日

091110hukkatu 昨日に引き続き映画の話。と言ってもこれは最新作でも何でもなく遥か昔僕が生まれる前に書かれ(本当)、10歳の時に映画化されたもの。作品は2時間36分の長編で、原作小松左京(1964年作品)、監督深作欣二、主演草刈正男。

最近新型インフルエンザが猛威をふるっていますが、今からなんと45年も前に、ここまで強い意志で書き上げられたウイルス(「復活の日」の英題は「VIRUS」)ものがあったのかと今さらながら驚きました。

当時からしてとても大きな作品でしたし、怪獣モノを中心に映画はかなりの数足を運んでいたので、この作品も「見た記憶」はあるのですが、それがテレビだったのか劇場だったのかは曖昧です。ただ一つ覚えていたのは、

 ラストが非常に感動的だったということ。

僕等の世代なら草刈正男がボロボロの格好でただひとり立ちつくす冒頭に貼り付けたポスターの絵柄が記憶にある方も少なからずいるとは思うのですが、細かなところはもう完全に忘れ去っていて、映像的には前世代的でありながらも、その扱っているテーマはまさに今が旬としか言いようが無く、コストもかなり割かれて作られていたことが明白なため、新鮮な気持ちで楽しむことができました。

あらすじはウィキペから抜粋・・・

生物兵器に使うため弱毒化する過程で出来た、猛毒の新型ウイルス MM-88がスパイによって持ち出される。スパイの乗った航空機は、吹雪のため前方視界不良に陥り、岩山に激突し墜落した。やがて、春が訪れ気温が上昇すると、MM-88は増殖を始め、全世界に蔓延した。そして、人類を含む哺乳類と鳥類はほとんど絶滅し、わずかに生き残ったのは極寒の南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人(映画では863人)と蔓延前に出航していた原子力潜水艦の乗組員だけであった。

強烈なのは「全世界が1000人足らずを残して死滅してしまう」という設定。ある意味「I AM LEGEND」もそういうプロットだったけど、あちらはまだゾンビとして生き残っていたし、世界中探せばまだ生き残ってる人もいた、という話だったのに対し、こちらはもう正真正銘の全滅。主人公の恋人も、アメリカの大統領も、女も子供も赤ちゃんも、もっと言うとゾウや鳥や金魚でさえも、ありとあらゆる生き物が死んでしまう。
※ここでいろんなつっこみもあろうかとは思うが、その辺りはこの時代の背景と僕等の知識の蓄積による「無粋な行為」としてスルーするのが、「天使と悪魔」と違う正当なスタンスだと僕は思う。

ウイルスは最初ちょっとした風邪の症状だが、それがすぐさま肺炎のようになり、ほどなくして絶命してしまう。特に気が狂うとか、何かを吐き出すとかではなく、「そこにいた者は全て例外なく死ぬ」。もともとの小説がかなりの長編だったことに疑いの余地はなく、作者本人も相当なSFマニアだったことを感じさせる丁寧で(ネタ的には不謹慎だが)面白みのある展開。

場面はウイルスの開発、盗難、墜落から、各国の映像を織り交ぜて死体が積み重なっていく。途中経過最初で最後の報告の時点で「死者3000万人」というのもハッタリが効いているし、恋人の働く病院もほとんど全滅。唯一残った彼女も親友の息子と共にボートで沖へ出て、睡眠薬を飲んでしまう・・・。

唯一の聖域となった南極でも、辛うじて傍受した5歳の子供からの通信。「お父さんも動かなくなっちゃった。お母さんも死んじゃった」を繰り返し、操作がわからないためにこちらからの呼びかけには一切応じないまま、最後は近くにあった拳銃とその銃声だけが無線機から聞こえてくる・・・。

僕は本来こういう救いのない話は好きではないんだよね。何つか暗くて暗くて辛くて辛くてで見ていられない。それでも僕がこの作品を好きなのは、

 ラストがハッピーエンドだったことを、それだけを鮮明に覚えているから。

恋人には死なれたが、残された中にはよりどころとした女性もいる。自分の子供ではないが出産に立ち会った子供もいる。頭が狂った科学者や、利己主義者や、軍人も出ないことはないがほとんど大きな扱いじゃなく、基本的に出てくる人はみんないい人。みんないい人でみんなでがんばって行こうという気持ちの中で、いろんな希望が奪われる。僕が見ていて思うのは、

 奪われる希望ではなく、がんばろうというスタンスはいいよな。

諦めるでもない、殺し合うでもない
※見えないところではそういうのも起きているけど。
いろんな問題にまともにごまかし無くぶつかっていく感じが好きなんだよな。

音楽は古くさいが南極を中心とした自然の映像は美しく、
※ラスト付近でなぜかマチュピチュが映った時は失笑してしまったが。
テンポは最近のダイハード4みたいなジェットコースタームービーと比べたらさすがにモタついた感はあるが、それでも当時としてみたら決して悪いレベルじゃないと思う。特に同様の印象を持っていた「日本沈没」(作者は同じく小松左京)と比べたら、全然良くできてたと思う。まぁ年代に5年の隔たりがあるし、制作費等にも破格にこちらの方がデカかった。
※ただ結果としては「日本沈没」が黒字でテレビドラマまで制作されたのに対し、「復活の日」は赤字で角川が小粒な作品に逃げるようになってしまうきっかけとなったらしい(ウィキペ)。

ちなみにこれを見ると、先日見た「感染列島」や「252生存者あり」、2006年の草薙剛版「日本沈没」なんかは、どうしても弱く感じてしまう。CGの派手さも最新の技術もない代わりに、気持ちの描かれ方が鮮明で、力強い。とにかくその状況の深刻さが他に類を見ないレベルだからこそ、その舞台設定の上手さがあったればこそだとも思うが、

 ああいうパニック映画が好きな人なら一度は見てもいい作品

だとは思いますね。まぁかなりネタバレしちゃったしあんまし置いてある店も無いかも知れないけど。★★★☆かな。

書き忘れたけど、映画として29年前の作品なんだけど、結構知ってる俳優がいっぱい出てたのはなんか嬉しいというか、懐かしい感じもした。特にアメリカ大統領役の人は「スーパーマン」の義理の父親(地球での父親)役の人で、たぶんもう他界されてたはず・・・。昔の映画を見るとこういう「再会」があったりするから、そういうところは素直に喜びたいって思いますね。

ちょっと気になったので調べてみたら、この大統領、芸名をグレン・フォードと言い、過去の出演作には「リタ・ヘイワース」と共演したこともあったという。リタ・ヘイワース?どっかで聞いたことがある名前だなぁと思ってこれも調べてみたら、「ショーシャンクの空に」で、部屋に貼られたポスターがリタ・ヘイワース。ちょっとした記憶からいろんなことが紐解かれていく感覚はとても心地よい。

ちなみにグレン・フォードはこの「復活の日」が(ウィキペ上は)遺作となったらしく、没年は2006年だったけど1978年のスーパーマンとほぼ同時期の映像ということで僕の中で「掘り起こされやすい」見た目だったんだなぁなんてことを思ったりもしました。

細かなところでは劇中で大統領とほぼ最後まで話をしていた俳優もどこかで見たことがあったんだけど、、、こちらが思い出せないのは残念かな。

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