頭痛がしたり・・・
いやはや今思い返しても昨夜のネタ、ありゃなかったね。あまりに手抜きというか、ホントはあのあともう一つくらい別のネタを振るつもりだったのだけど、
古いDVDからデータサルベージ計画
が急遽浮上してしまい、とりあえず手当たり次第に読ませてHDDに退避を繰り返してしまいました。
「古い」と言っても年号は2005年。まぁその頃からDVDに焼きはじめたというか、ぶっちゃけ当時は今ほどHDDが安くなかったってことなんですけど、漠然とメカであるHDDの方が、単なる光学メディアより寿命が短く感じられたわけです。とりあえずHDDは壊れるけど、DVDは壊れないという。よく言う「CDの寿命」に関しても、20年くらいは持つっていうから、それでもHDDよりは長かろうと思っていたんですね。
でも実際は全然そんなことはない。
実際昨日だけで100枚ほどのDVDをチェックしましたが、気持ちよく完全に認識してくれたのは約8割ほどでしょうか。残り2割のウチ半分はアクセスに妙な時間が掛かり、そのまた半分は読めないデータがいくつかあり、その半分、ぶっちゃけ2枚は完全にカラッポとして認識されてしまいました。
古い雑誌を捨てられないようなもので、実際にそれらを年を経てから見直すケースというのは非常に稀だったりするのですが、
※実家にあるマンガとかも大概読まないですよね?
それでも「ある」という「認識」が重要だったわけで、もし実際にはお袋に廃品回収に出されていたり、いつの間にか親戚のガキがパチっていってたとしても、「あると思っているウチはある」わけです。いつでも読み直せるという気持ちのもと、「所有者」として生きていけるわけです。
DVDもほとんど同じなのですが、
※ちなみにこの辺の話は以前もしていますが。
「読めなくなる可能性」に関しても十分承知していたりはするわけです。「既に所有者でなくなっている」懸念を抱きつつも、それをあらためて認識することから逃げている。とりあえず「確認さえしなければ」その「逃げ」は永遠なわけです。久々に999が見たいと思っても、「もし見られなかったら」という怖さを否定するために「やっぱり見るのをやめよう」と思い直すしかない。見ようとしなければそれが見られなくなっていることに気付かずに済む。「いつでも見られる」という安心感に傷を付けずに済むわけです。
しかし、
このたび友人がそのアンタッチャブルな領域にメスを入れてきました。要するに「貸してくれ」というわけです。これまで5年間焼き続けてきた、
※中には一度も見ていないどころか「きちんと焼かれているかどうか」確認していないメディアも大量にあります。「焼いた」時点で、そのコンテンツをPCから削除した時点で、僕の狙いは達成されていると言っても過言ではないのです。見るためではなく、「持っているという事実」の為の行動。
DVDの山、およそ800枚にガサ入れするというわけです。
正直「そんなの絶対面倒」と思う自分がいたりするわけですが、一方で、久々に見たいコンテンツも中にはあるわけです。当然あるわけです。むしろたくさんあるわけです。自分から「怖くて逃げていた」だけのものがいっぱいあるわけです。
だからこそ読めない時のショックもまた大きいのです。
ガックリです。ゲンナリです。ションボリです。でも逆に無事にサルベージできた中には、我ながら懐かしくも嬉しいものがあったりするわけで、「不安からの解放」というプラスサイドの効果が見込めるからこそ3時過ぎまで淡々としたメディアチェックを繰り返したわけですが。
※ちなみにこういうときHDDの空き容量があるというのは非常に心強い。でもこの数日、ウチのブログを毎日のように覗きに来て下さってる方ならご存じかとは思いますが、1.5TBのHDD、買ってからまだそんなには経ってないつもりなんですが、
なんで空き容量が300GB切ってるんでしょうか。
人間サイフにお金があると使ってしまう人と、ガマンできる人の2種類がいると思うのですが、どうも僕は前者みたい。っていうかNTTクラブウエストのポイントで1TBのHDDを貰うのはまだまだ先でいいかと思っていたけど、どうやら割と早くその日が来そうな・・・。
ともかく、そんなことばかりやっていたら頭も痛くなるよ、と。仕事でも学生衣料の販売でナーバスになっているのに、、、。まぁそうは言っても、再度得られたコンテンツには胸が熱くなるものもあったりするわけです。想い出というのは触れられないからちょうどいい温度なわけで、案外触ってみると熱過ぎちゃってヤケドしちゃうこともあるのかも知れません。ええもちろん「何を言ってるのかわかって書いてるわけではありません」が。
何か最近クリス病んでるよなぁ・・・確かに頭痛かもな。
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