密度と充実と飽和と
ブログなんてものはタイトルから考えて書き始めることはそうあるもんじゃないと思う。「何か」があって、それに対して書く。日記的な「記録的な」まず事象ありきの行動だと思う。
だが、ふと日常生活をしている際、「このキーワードはアリか」と頭をよぎることがある。今回はそういう話。だから今の時点では、
何を書くのかほとんど決まってない。
っていうか3つ4つアップ待ちのネタがあるのだから、そんなに気負って書くことはないというか、むしろ、
書く方が速い&多いなら1日複数アップだってやりゃいいのに
と思ったりもするのだがどうだろう。ただ、その場合常連さんとかにもちゃんと全部読んで欲しいわけで、どのタイミングでどうやってアップすれば「読みこぼし」を防ぐことが出来るのかは、まぁ思案のしどころではあるが。
そう、最近なんかあまりにも「飢えていて」いろんなものに手を出しすぎである。ざっと書いてみると、、、
・レギンレイヴ
・エストポリス
・ボーダーランズ
・シリアスサムHD
・娘とボンバーマン
他にも親戚のJ太からいくつかFPS系のタイトル(DOOM3とか)を借りたり、長男の友人TTからファンタシースターポータブル2を借りたりして、ゲーム関係の充実度はある意味目を見張るものがある。
一方映像コンテンツも、
・映画数本
・化物語11~13話
・コブラ
・ゲームセンターCX
などが保留中である。せっかく借りたのに見ないというのは異常にもったいないと思うのだが、時間には限りがあるのだ。
そして明日は仕入れであり、知り合いのバイヤーにDVDを焼いてあげる気になっている。そんな時間はどこにあるのか、と思いつつも円滑な友人関係が仕事でも大切なわけであるし、そう無下にも出来まい。
ただ、そんな風にあまりにも前向きというか前のめりというか、いやむしろ「つんのめりそう」<方言か!?な勢いでプライベートを磨いていて、ふと思ったことがある。
ひとつひとつのコンテンツを蔑ろにしてないか?
コンピュータゲーム前夜ではコミックスの横が黒くなるまで読んだお気に入りが何冊もあった。本棚を何度も入れ替えて、常にお気に入り指数の高いものが一番手に取りやすいところに見えるようにしたり、漫画家ごとにエリアをわけたり。
プラモだって買って作るのは当たり前。それもひとつひとつ思いを込めてわくわくしながら作ってた。時には1日2個とか塗って作ったこともあったと思うし、毎年の大晦日は「年越しプラモ」だった時期だってある。
アニメだってそう。何度見返したかわからないような作品がいくつもあった。クラッシャージョウやバギ、ゴーグ、幻魔大戦も数回は見てるはず。
※まぁ一番見てるのはカリオストロだけど。
そんな過去を思い返すと、今の自分の手元にあるコンテンツのなんと豪華で大量なことか。こんなにたくさん、遊びきる読みきる、堪能しきるにはちょっとやそっとの時間じゃ無理だ。
でもだからと言ってひとつひとつをつまみ食いして「全て味わった」顔をするのはどうか。
それって作品に対する冒涜でもあり、何より僕自身がすごく損をしている気がする。もっともっと入り込んでじっくりと味わい尽くすべきなのではないか。いくら前向きに吸収しようとしても、、、たとえばイチゴとメロンとレモンとブルーハワイと宇治金時とミルクを一口ずつ食べて、「ああかき氷は美味しい」などと口にするのはどうなのか。結果それはむしろあんまし美味しくないのではないか。
ボーダーランズは本当に僕好みのゲームだと思う。もっと言うと今ちょうど面白いところなのだ。でもレギンレイヴやエストポリスが出たからほったらかしにしてるのだ。シリアスサムなんかやっちゃったから途中で止まってしまっているのだ。
何かがおかしい。
誰が何を言うわけでもない。でもこの状況は決して「最高な人生」ではない気がする。軽く感じているだけだが、たぶんこの感覚は間違いないと思うのだがどうか。
| 固定リンク
コメント