« 対初心者 | トップページ | ブランニュータイトル »

2010年4月 1日 (木)

昔の友達や知り合いとの会話

そんなに長い話じゃないです。

今日でも自店に中学時代の同級生が買い物に来て下さったりして、娘さんの学生衣料だったりしたわけですが、そう言うときの言葉遣いとかに一瞬躊躇するというか、戸惑ったりします。

当時は当然名字の呼び捨てで、今はほぼ当然結婚してるから変わってはいるものの、歳をとる課程で女の子を名前で呼び慣れてきていたりして、心の中ではそこはかとなく「さつきちゃん」とか「きよみさん」とか「なおこ」とか呼びたかったりする。
※注:僕の友人にこれらの名前の子は一人もいません念のため。つかそれを念押しする意味があるかどうかははなはだ疑問ではあるけれど。

大人の対応としては当時の名字にサンづけ、女子→男子ならクン付けで呼び合うのが通例のようなのだけど、正直僕個人の価値観として、

 スゲェ嫌。

だったりするんだよね。そのよそよそしさというか、「隔世感」みたいなのが。なんかもう「昔のままじゃいられない」みたいな?「俺たちもうガキじゃないんだぜ!?」的な。

nori君なんかは今でも僕のことを未就学児の頃の呼び名で呼ぶ。僕も同じ。それで何がいけないのかって思う。僕とかみさんは高校のクラスメートだけど、みんな僕のかみさんのことを旧姓の呼び捨てで呼ぶ。何も問題ない。むしろ他の呼び名で呼んだら僕からしても違和感がある。なのに、なんだろ、中学生の頃とか小学生の頃まで巻き戻ると、「呼び捨てではいけない空気」が漂ってしまうのは。

小学校の時の恩師である先生も今校長先生になって他愛ない話をしたり、時仕事の話をしたりする。仕事の話では当然のように「○○くん」と呼んだり、僕も先生に対して通り一遍の敬語、ビジネスライクな表現を使ったりするが、空気が和らげば先生は僕を名前の呼び捨てで呼ぶし、僕もフランクに当時の口調に戻ったりする。友達と比べると割とそのさじ加減がわかりやすくもあるが、一方で、こちらがフランクにしゃべってしまったことが、相手に対して「失礼な印象」を与えてしまっていないか不安になったりもする。親しき仲にも礼儀ありだろう、と思われていないか、先生の方も昔のままの価値観で数十年過ごしてきたわけじゃないだろうって思ったりもする。

でもやっぱりなんかそういうのは嫌だと思う。

久しぶりに話をした友達が妙に違和感のある、たとえて言うなら方言が抜けた東京弁のような口調で話をしたり、妙に関西がかった口調になったりするのはまだしょうがないというか理解出来るんだけど、どこか「友達」が「知り合い」になり「他人」になっていく感じを受けるのは僕だけなんだろうか。いつまでも友達のままではいられないんだろうか。

こないだパソコンを持って訪ねてきたJ郎は同い年だが、育った環境は全く違う。だが、彼が僕の家に来てしばらく過ごした後、「他の連中がクリスんとこ来て感じた居心地のよさみたいなのがわかる気がする」と言ったのは、きっとこの話と無関係じゃないと思う。僕のパソコン部屋はまさに

 一人暮らしの大学生のにおい

が凄くするはずだ。僕は大学生経験がないが、大学生の友達の家はみんなこんな感じだった。手の届くところにいろんなものがあり、散らかっていて、それでいて娯楽密度が高い。家庭を持った人間からしたら既視感と違和感が同時に去来する部屋になっているのだと思う。実際暮らしている僕ですら、

 この部屋はアラフォーで妻子持ちの部屋じゃないよな

と思うもの。まるでリアル中二、もしくは高二の男子の部屋じゃないかと思うもの。当然彼女はいない。

でもそれでもいいかなと思うし、思いたいと思う。ビジネスライクな口調と風体で大人になっていく人が多い中、自分は「そうならずに済んでいる」のなら、それを維持していけたら、その方がきっと僕にとっては幸せなんじゃないかと思うもの。

 死ぬまでそう思い続けられるかどうかはわからないけどさ。

|

« 対初心者 | トップページ | ブランニュータイトル »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/119981/47955814

この記事へのトラックバック一覧です: 昔の友達や知り合いとの会話:

« 対初心者 | トップページ | ブランニュータイトル »