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2010年5月29日 (土)

受験生の父親として

あまりにもたるんでいたことと、通わせている佐鳴予備校の三者面談に感化されて、昨晩かなり厳しく叱咤指針を伝えてしまった。「しまった」と書くとさも後悔しているような響きに聞こえるがさにあらず。たぶん凄く言いたかったことを吐き出したのだと思う。

僕らの時代だと子供が勉強をしないことに関して、キーキーとがなり立てるのはまず母親の役目という印象があった。スネオやのび太のように過保護か口うるさいのがいわゆる母親のイメージで、現実の親はどうであれ、「これが普通」と思っていたような気がする。「現実の親がどうであれ」というのは、少なくとも自分に関しては全くそうではなかったからだ。

僕は再三ブログでも書いているが、子供(中2まで)の頃は普通に勉強が出来た。っていうか勉強がかなり好きだったんだと思う。科学と学習は毎月楽しみだったし、理科の実験で「予想されたのとは全く違う結果が出る楽しさ」も知っていた。算数はとにかく人より先へ先へ予習するとどんどん優越感が得られたし、社会も調べれば調べるほど歴史は広く深く知識が隠されていた。特に宿場町の歴史ある宿のおじいちゃんに聞いた話は、どの参考書にも載ってないような、それでいて凄くリアルな話で、
※僕が小六の当時90歳以上だったから実際は江戸生まれってわけじゃないんだけど。

 要は人の知らないことを知っているというのが僕のモチベーターになっていた

のだと思う。だからクイズやなぞなぞの本も好きだったし、仮面ライダーの怪人やガンダムのサブタイトル、アニソンが好きなのもそこに端を発してる気がする。親としては「勉強をする子」には到底見えてなかったはずだが、それでもまぁ中二までは順調に学力を付けていった。

長男を見てそれが出来ていないことに不満を唱えるのは正直彼に不利というか、不条理かも知れないなぁとも思う。僕らの時代と比べたら学校の授業は少なく、濃度も薄め。そして何より人数が少ないから受験という物に対するシビアさ、厳しさが弱い。実際上位の学校へ行こう、行かせようとした際に発生するハードルは、僕らの当時以上に
※学校がヌルい分だけ
高まっていると思うが、3年まで塾らしい塾に一切通わせてなかった分、「そういう空気」にも不慣れなんだろう。

それでも本人に一任するにはやはりまだ子供過ぎる。というか「一任させられないから義務教育」なわけで、僕の母親も口を酸っぱくして言っていたが、「高校入学までは親の責任」だと僕も思う。いかにその気にならせるか、いかにやらせるかというのはやはり親がどう接するかがウェイトの大半を占めている気がする。

正直思春期の子供であるなら、あまりに無謀な親の強制提案に対して反論のひとつも言いたくなるのかも知れないが、こちとらリアル中二病である。子供がどんな返答をしようと、ある程度のカードを用意して話を進めるのはある意味当然の下準備なのだ。結論、それほど裕福ではない状況下で、今の不景気の世の中に対し、いつまでも安穏と生きていけるわけはないのだ。そこに安心や安定などあるわけがない。僕が行って欲しい高校はレベルの高さもそうだが、やはり人間性を磨くのにはとてもいい環境だったと思う。
※ある意味それらは本来大学生になってから磨かれるところだったのかも知れないが。

高校生のアルバイトが「つまらない」と毎日のように口にするような学校へは通わせたくない。かと言って修学旅行で海外とか沖縄とかにガッツリ行くようなところへ行かせるだけの所得もないわけで、やはり選択肢はそれほど多くはない。「楽しい未来」は本人には見えづらいが、周りの人間はある程度経験で知っている。「外堀を埋める」と言えば聞こえはいいが、要は強制的にやらせる以外にはないのだ。

どういう指針にすべきかは非常に悩んだが、とりあえずの通達として、

 期末で全教科90点以上取らなかったらそれ以降(夏休み中でさえも)ゲームやネットは1時間まで。
※ただし美術や技術のようにクリエイティブな作品を求められる場合はその限りではない。

中三ともなればそんな遊びをしてる場合じゃないだろうというご意見も当然あるだろうが、それは実際は無理な話だ。結局「やることをやっていれば文句はない」というのが常套句ではあるが真実なのだ。最上級生になって学校で羽を伸ばせる。1年より2年、2年より3年と付き合いが深くなる友人たちと最後の1年を謳歌する。

 だから中間テスト前の勉強に手を抜くべきではなかった。

「やることをやっていない」ことが上記のような「シビアな鉄槌」を落とさせるトリガーとなってしまうのだ。ある意味自業自得なのだ。

長男はストレスのある勉強をしていると決まってため息をつく。僕はそれが大嫌いなのだが、そんなため息を甘受してでも、今は「やるべき時」だと思う。自分のことは棚に上げて何を言うかとも思うが、欲目なく見て今の長男の学力は志望校に対して微妙なラインにある。合格できるか否かだけではなく、その授業内容について行けるかどうかという点においても、たぶん微妙なところにある。

 ただそれでもそこへ行って欲しいと思う。

僕と父と妹が通い、祖父が教師をした徒歩5分の公立高校。
※今の自宅からだとたぶん徒歩10分くらい?
一生の友人とも言えるTと出会い、かみさんと出会った高校。
商業科があるから女子の比率が非常に高く、セーラーのかわいさは全国区だという話を聞いたことがある。ぶっちゃけ顔もかわいい子が結構多いと思う。
単純に僕の後輩になって欲しいという願いもある。長男は、幼稚園、小学校、中学校と僕の後輩なのだ。

佐鳴の先生はとても印象がよく、根拠や現実をスルーして良いのなら、

 僕が今教えて欲しいくらいの人材だった。

あれほどの先生に話を教えてもらえるのなら、チャンスは十分にあるはずだ。僕は「がんばれ」という言葉はあまり好きではない。てめぇの決断がてめぇの未来を決める。苦しい選択をするのは自分。どの選択肢が「苦しい選択肢であったのか」がわかるのは今じゃあない。とりあえずオレは今勉強するべき時だと思う。「1時間まで」と言われてそれを無視するのも、それ以下に抑えるのも、自分次第だぜ?

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コメント

~できなかったら、罰として・・・、というより
~できたら、ご褒美として・・・、という形のほうが私としてはやる気が出ます。クリスさんの家庭なので私の考えが正しいとは思いませんが、ひとりの考え方としていわせていただきますと、僕が息子さんの立場でしたら、なぜ今勉強すべき時なのかもわからずに勉強には励めないと思います。たとえ説明できなかったとしてもその学校の恩恵(この高校行けたらこんないいことがあるとか)や、もし行けなかったらどうなるかを語るだけでも勉強する動機につながるかもしれません。

私が中学の頃行きたい高校が工業系で昔から工作が好きだったので、行ったら毎日の授業が遊びみたいなものか!?と間違った理解をしたおかげで勉強を頑張り合格することができた、という過去があったためです。
入学してからの現実は違ったものでしたが、落ちた時の高校よりは良かったと思っています。

投稿: kazuhiro | 2010年5月29日 (土) 15時00分

どもですkazuhiroさん、クリスです。

「ご褒美として」は直近の目標として「順位が」とか「何点以上取ったら」というところから、「内申が」とか「合格率が」というところになり、当面の目標である「志望校に合格したら」と段階を踏んで提起、志望するものであると思うのですが、とりあえず、

・志望校合格でPC
・内申規定値で携帯

は既に遙か以前から通達済みで、ある種そこを目指す気持ちもなくはなかったのですが、一方で携帯やマイPCがなくても僕のPCでネットもメールも出来てしまうわけで、

 あれば便利だけどなくて困るものでもない

という「渇望」まで行かない目標になってしまっています。結果それが何を引き起こすかというと、明日の中間や実力テストを前に勉強せずにゲームやメールばかりやるという事態になり、じゃあ直近の目標クリアで何らかのご褒美が必要かと言えば、イコールより毎日を自堕落にさせるトリガーになるのでは?という不安の方が遙かに大きくなってしまうのであります。

別に自分の家が特別というわけではありませんが、いわゆる一般家庭と比べれば、僕の趣味と長男の趣味は非常に近いだろうことは間違いなく、結果普通の家でご褒美たり得る提案に効果が薄いということもあるかも知れません。

思春期ですから今の僕を見て感じる感想は歳を追うごとに変化してしかるべきだと思いますが、これまでの「父親」としては、まんざら悪くなかったのではないかと自分では思っています。その根拠はなかなか言葉にはしづらいのですが、「父ちゃんの言うことに(あまり)間違いはない」、イベントや映画に誘えば自分の期待より面白かったり、友達に対する接し方や友達間での「親父ランク」(実在する訳じゃないけど)が、説得力に繋がっていたと、少なくとも自分では思っているわけです。だからそんな僕が「この高校がいかに素晴らしいか」を説いた上で目標としてる面はあるわけで、、、なんだか支離滅裂になってきてしまいましたが、

とりあえず直近の目標クリアのご褒美が、果たして中、長規模の彼の目標に対して+になりえるものなのかどうかを考えると、おいそれと口を滑らせられないな、というのが正直なところだったりするんですよ。

ちなみにプライバシーに触れる部分なのでオブラートに包みますが、先日行われた中間テストに関しては、
※直前に遊びほうけていたにも関わらず、
結構な順位を取ってくれました。
※対志望校という尺度で言えば全然OKな位置。
もちろん絶賛し、かつ落とした問題を軽く履修したりもしましたが、とりあえず本人はとても嬉しそうでした(ホッとしたというのも大きいとは思いますが)。

いろんな要素が絡み合うのが受験勉強ですが、なかなか自発的にやらせるのは難しいというのだけは確かですね(^^;。

投稿: クリス | 2010年6月 1日 (火) 22時49分

私は自分の父を尊敬しているわけでも、父が言うことなら正しいと思っているわけでもないので、クリスさんの家庭でもそれが勉強をする動機につながらないと思っていました(でも、とても優しくて良い父親です)。
父親の言う事が正しいと信じられるなら、それだけでも勉強をする動機になりますね

あと、テストで90点以上とらないとゲームを1時間しかさせないというのは、点数を取ればゲームをやりまくっても文句は言われない!というご褒美としてもとらえられるかもしれませんね。


優秀な息子さんのようですしきっと合格しますね!
私も将来息子を持つようになったらクリスさんのように息子から尊敬される父親になりたいものです。

投稿: kazuhiro | 2010年6月 3日 (木) 20時52分

どもですkazuhiroさん、クリスです。

「とても優しくて良い」のに「尊敬してない」というのは今ひとつよくわからないのですが(^^;、優しさだけが尊敬の対象にはなり得ないということなのかしら。それはともかく、前回のお返事にも書きましたが、思春期なのでいろんな価値観が常に変動してるとは思うんですよね。「昨日までは尊敬していたけど」ってのは絶対起こりうる。だから僕の中では、いつでも長男が逆ギレしてもおかしくないとすら思っていたりします。というか、むしろそれが普通なんじゃないかとすら。

ただ、要所要所で釘を刺すのは、やっぱり「筋が通っているかどうか」しかないとも思うんですよね。子供だからとか親だからとか大人だとか男だとかそういうんじゃなくて、「自分が納得できる当たり前」
※納得できない当たり前も多いのでこれ重要ね。
をいかに提示できるか、それが信頼や尊敬につながると思っています。

本音を言ってしまえば一緒にゲームとかしたいんですが、さすがに受験生の父親が自分の子供の足を引っ張るのもどうかと思って、あえて自らを律してるという側面も大いにあったりするんですけどね(^^;。

投稿: クリス | 2010年6月 4日 (金) 20時50分

私にとっての尊敬というのはその人の一部分だけでなく、全体として将来なりたい人物の対象と成り得るかどうか、と考えていました。でないと、ほとんどの人はどこかしらいいとこがあるので、尊敬する人ばっかになっちゃいます。

それに、私の父親より優しい人間なんて世の中にたくさんいると思うので、どちらかと言えばそっちを尊敬しますね。(厨房な考えだけどガンジーとか優しさの塊じゃないですかw)

世の偉人でなくても、会社の先輩のプレゼンとか見てカッコよくしゃべってるところを見るというレベルでも尊敬を感じたりもしますよ。

投稿: kazuhiro | 2010年6月 5日 (土) 01時14分

ちすkazuhiroさん、クリスです。RESどもです。

確かに「良いところがある=尊敬」にはなり得ないですね。ただ自分の場合は、「尊敬=なりたい」わけでもなかったりします。「なれないから尊敬する」というか、「自分にない凄み」こそが尊敬の対象になり得るというか。

僕は脳卒中で倒れるまでの父をとても尊敬していましたが、その理由は、どの知り合いも父のことを「凄い」というんです。「賭け事の強さが」。そして実際に僕が小学生中学生の頃はかなり家が裕福で、毎年のように沖縄に旅行に連れて行って貰ったり、お小遣いも他の友達よりたぶん多かったと思います。当時は「ウチは儲かってるんだなぁ」程度に思っていましたが、大人になってからそのお金が全て親父のギャンブル(パチンコ、競艇、麻雀)から出ていたと知って、「ホントにスゲェな、ウチの親父は」と尊敬の念を確かなものにしました。実際トランプやサイコロでも、駆け引きを交えた勝負になると全く勝てませんでしたし、子供が親を尊敬する理由としては十分過ぎるものがあったと思います。

でももちろんそれは僕が真似をして出来るものじゃないですよね?だから僕は子供に尊敬されるために、「理解と真実」を見せることにしました。子供だからって子供扱いせず、話も聞くし、正当性を説く。不条理がないことが何より信頼を重ねる近道だと思ったし、結果として信用に足る≒尊敬に足ると思ったんですよね。

ただまぁそれはある意味親としてドライすぎる側面もあって、時に子供が不安になることもあるだろうと思います。「許さない」と言ったらそれは本当に許さないわけですから。

でも自分は、少なくとも長男に対しての対峙の仕方として、後悔はありません。最終的に結果は自分の責任だという、ある意味親としての逃げを打っているところもありますが、そこそこ勉強が出来て、部活も辞めず、家に気軽に泊まりに来るような友達がいる。それで十分だとも思うんですよね。

投稿: クリス | 2010年6月 9日 (水) 23時18分

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