「こちら、クリスくん」
みなさんは「紹介されたこと」あります?友達とか知り合いとか職場とか、旦那さんとか恋人とか親戚とか。その時なんて紹介されたか覚えてます?あとどんな関係の人だったか。
こないだお祭りの日に小学校の時に同級生だった、
※このブログでもちょっと前に買い物に来た
OGさん(仮名)にまた会ったのだけど、反射的に僕は
「ちょっと見ない間に随分スリムになられて・・・」
と軽口を叩いたわけ。こないだ会ったとき「上下に大きく成長なさって・・・」と言って怒られたので今度はちゃんとオブラートに包んでみたわけ。そしたらその時彼女は子供と旦那さんと一緒にいて、こっちとしては
ちょっと焦る感じ。
わかりますよね?女性に対する軽口ってのはニュアンスとしてどこか「異性として認めてる好意の裏返し」みたいなのを「かぎ取られかねない」。もう40歳だから昔を思えばそれほどでもないのだけど、僕の中の中二の僕はそういうのに過敏に反応してしまう。あらぬ勘ぐりをされたらイヤだなぁと思ってしまう。現時点での彼女は異性に高い訴求力を持つほどのビジュアルではなくなっていたが(凄い失礼な言い方だな)、昔の彼女はそうじゃなかった。旦那さんが「そういう想像」を働かせないとも限らない。っていうかこういうことを考えるところがホントに中二病だなぁと思うが、仕方ない考えてしまうんだもの。
僕は大名行列の賑やかしに蒔かれた紙吹雪をせっせと掃除していたので、ほとんど顔を上げなかったのだけど、彼女は笑顔で僕を子供と旦那さんに紹介した。
「こちら、クリスくん、ママの小学校のときの同級生。チラシで毎回文章書いてる人」
僕は自店のチラシに挨拶文を毎回載せている。それを楽しみにして下さってる方も多いと思うが、彼女、もしくは彼女の家族もそのひとりだったのかも知れない。
でもなんか凄く恥ずかしかった。
チラシの文章を褒められることは別に珍しいことではない。っていうか「僕」が「その人」であることがわかると、たいていの人は「毎回楽しみにしている」と言ってくれる。だからこの場合も「チラシのコメントを書いている人」と紹介されたこと自体は恥ずべき事ではない。むしろ誇らしいと言って良い。ただ、
小学校の時の同級生
という肩書きはどうだろう。僕は確かに彼女のことを覚えている。非常にクリスらしく、ためらわず、普通の人なら書かないようなことをズバッと書いてしまうとするなら、
スカートめくりをしていたのを覚えている。そしてそのスカートめくりというブームを終わらせたのが彼女だと言うことも(本人は忘れているだろうが)覚えている。その時のセリフに関しては、、、さすがの僕も首が真っ赤に染まるほど恥ずかしいので書けない、、、というか、、、手が震えるな(^^;。そんなに緊張するのはこれが広く公の目に触れるからだろうな。でもさっき「普通の人なら書かないような」と書いておいてたかが上記の内容であるならそれは甚だ遺憾だろうな。「その程度で躊躇うたぁへそが茶碗蒸しを蒸すぜ」くらいのことは思うだろう。それはそれで僕のプライドに傷が付く。つかそんなプライドなど素粒子レベルまで砕け散りまくればいいと思うが、、、
やっぱり書けないっ!!
こんなに恥ずかしいことってそうそうないなぁと思うほどに恥ずかしいんだなぁ。うんこを漏らしたって声高らかにシャウト出来る伊集院ってやっぱスゲェ。俺にはまだ無理っぽいです。ああでもなんだろ、この敗北感。たとえば知り合いが、たとえば長男がこの文章を見て幻滅するから手が止まるのか。娘が見たら「100%どん引き」するから書けないのか。いや実際パートさんとか取引先のバイヤーなら平気で話せることなんだよな。なのに何だろ、たかが小学一年生のガキの言葉を今ここで書けない理由はなんだろ。っていうか、
小学一年の頃の言葉を今もまだ明確に記憶してる方がある意味どうかしてる。
って話だよな。まぁそのくらい衝撃的だったというか、、、。でももしここでそれを明かしたところで人によっては、否、多くの人が「はぁ?それが何か?」と思うに違いない。所詮その程度の、自意識過剰な思い込みの延長なんだろうと思う。なのになぜ?・・・ふぅ~。
とりあえず長男は読むな。まだ読むな。せめて高校3年になるくらいまで読むな。父の威厳が揺らぐから読むな。っていうかそんな威厳は随分前から消失してる?あそう。
とりあえず反転して書いておく。根性無しめ!
クリス「パンツの中見せて!」
OG「え!?は?、はぁ?」
クリス「あ、違った、スカートの中見せて!」
OG「それならいいわ。はい、どうぞ」
ペロリ。
恥ずかしーーーーっ!!!こんなやりとりで僕たちのスカートめくりブームは終焉を迎えたわけだが、
ここでようやっとさっきの続きだ。
そんなある種のトラウマ、ある種の甘酸っぱすぎる思い出のある女の子なのである。
「小学校の時の同級生」
なんて紹介のされ方をされると、そりゃもうなんつか、いろいろ思いだしてしまう。
でも、
本題はそこじゃないのだ実は。
こうして紹介されたときはぶっちゃけ恥ずかしいくらいのものだったのだけど、あとから冷静になって思い返してみると、
「異性に紹介される」
というのは、結構嬉しい事かも知れないと思った。
僕は小学校も中学も高校も、少なくともクラスメートには人望がそれなりに厚かったと自負している。特に誰か特定のクラスメートを毛嫌いするような「流れ」になりそうな時も、ほとんど独断でそれを許さなかったし、例えば駅でばったり会っても、かなりの確率で先方から僕へ挨拶を貰う。僕が忘れても相手は覚えていてくれるし、その印象も、少なくとも言葉尻だけを見れば決して悪いものではない。
もし僕が当時から毛嫌いされている男子であれば、たぶん彼女は僕の事を家族に紹介したりはしない。パートさんや妹も、僕の事を「ウチの店長です」とか「ウチの兄です」などと言ったりはしない気がする。
僕は再三書いているように見た目としては非常に残念な部類に入るとこれまた自負している。だから特に「その紹介してくれる人にとって誇らしい存在」にはなりにくいと思っていた。が、どうやらそれほど卑下したものでもないようだということが、この遙か昔小学一年二年のわずか2年間だけ同じクラスだった女の子の言葉で気付くことが出来た。
確かに見た目はどうしようもないが、性格的に、人格的に、人間的にはそれなりに周りの人間にとって存在価値があったのかも知れない。最低な物言いと狭い視野の断定的な見方をすることもあるが、「紹介する価値のない」人間ではない。「ママこの人だれ?」「ん、昔の知り合いよ。さ、行きましょう」とはならなかった。冷静に考えればそうであっても不思議ないと思うのに。
ただ、同時に残念に思ったこともある。それはつまり僕が「残念な見た目」であり、たとえば旦那さんから「奥さんにとって異性としての価値がないと判断されている」と自信を持って受け止められるからこその紹介だったのか、と気付いたからだ。もし僕の背が高く男前なスポーツマンだったら、むしろその紹介のされ方はこんな朗らかな笑顔ではなかったのではないか。仮に僕が当時あこがれの先輩だったら、きっと紹介はされなかったのではないか。
「紹介する価値のないクズ」ではないが、「紹介できないような熱い記憶のある男性」でもない。ふむ。
まぁ昔から僕は「そういう立ち位置」を目指していたような気がするから、これはこれで何ら問題はないと言えばないのだけど、なんだろ何かスッキリしない気がするのは気のせいなのか!?つかここまで赤裸々な話は5年以上続いてるこのブログでも初めてのことだったりするんだぜ!?え?別に読みたくなかった?あそう。じゃあゴメン。
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