娘の勉強を見る
娘は現在小学5年生。昔を思えば随分険が取れた取れたというか、僕が勉強を教えることに対してかなり前向きに接するようになった。
※まぁかみさんがその分面倒くさくなったってのもあるのかも知れないけど。
僕はいわゆる子供(自分の子供に限らず)に対して、「子供扱いしない」方だと思う。妹の子供(2歳)とかでも、ダメなものはガツンと言うし、たとえ小学生だろうと最低限の敬意とマナーは注ぐし教える。自分が「子供らしくなかった」からかも知れないが、実際子供なんてものは大人が考えるよりズルいし、いろいろ考えてる。同時に甘いし短絡的だから、しっかりとした理由と、筋の通った説明をすることで、十分「大人に」心を開く生き物だと思っている。僕が尊敬する(今の娘の学校の校長にして僕の小六の時の担任の)先生から教わったのはそういうことだ。
相手を尊重する。
だから大人の都合をお仕着せたりしないし、同時に子供にだけ有利な処遇を与えない。「そういうもんなの!」「大人はズルイの!」なんてことは絶対言わないし、晩ご飯のスイカやナシは均等配分。もし割り切れなければみんなでじゃんけんだ。
同時に熱意や価値観、優先順位の大切さも教える。「僕は嫌いじゃないけど、僕より好きな人がいるならその人が食べた方がいいと思う」。そうして譲り合う。自分が凄く好きなら、そこでじゃんけんをするなり、ちょっとした勝負で決めればいい。PCででしか出来ないことがしたいのでなければ、その前の座椅子をPSPで占拠するのは筋が通ってない。初見のビデオを見るなら優先されるが、繰り返し見たものであるなら、テレビはゲームがやりたい人のものだ。
小さなところまで結構公平であり、律儀なルールがあるのだ。
だからこそ宿題をやる場面でも真剣に向き合う。情けないと思われても、間違いは僕にだって結構あるし、先生に訊いてきて欲しいことも頻出する。ある意味僕が生徒のように、本人のように宿題に向き合う。でなければ子供としても素直には聞けまい。
娘は漢字が非常に苦手だ。が、それはやはり「上手く教えられなかった」ということも大きい。本人のやる気がない分教える側も親身になれなかった部分もあるが、教育とは本人にやる気にさせることも含めて教育なはずだ。僕はかなり口うるさく、正直煩わしく、時には涙をこらえて向き合わせることもある。だが、その言葉をちゃんと聴いて貰えたら、しっかり誠実であるとわかってもらえると信じて教える。辛いことが何一つない勉強なんてない。だがそこに達成感や満足感、楽しさを見いだすことが出来れば、その辛さもどんどん変容していくはず。
僕は娘ではないし、娘も僕ではない。だから「父ちゃんのように早く書けない」というが、「出来る限りがんばって早く書くようにした方がいい」という言葉の意味を、繰り返す課程で自分から気付くことが出来れば、「父ちゃんのように早く書けるようになりたい」に変わるかも知れない。偏と作りの間が開きすぎる文字を「狭く書き直す」ことで、その文字が「ちょっとかっこよくなる」。かっこいい文字ってのはバランスが取れていて、頭にも入って来やすいはずだし、何より「自分の書く文字が好きになれる」。好きな文字なら繰り返し書く辛さも薄まるだろう。最初は僕に言われて書き直していたが、最後の方は自分から「(間が)広いから直す」と言ってくれた。
綺麗に書けたらもちろん褒めるし、ダメなものは容赦なくダメ出しする。自信のないものは5回書かせる。他の問題をやってまた出題する。それでもまだ書けなければまた5回。また5回。繰り返し書かなきゃ覚えられない字だってある(例えば「属」とか。意味とか構成から思い出すにはキツイ字だ)。
でも中には「炭鉱」のように、「石炭は『山で取れる火』で、鉄とかが取れるところだから金偏」というように意味から追っかけられるものはそうやって教える。最後の「広」はまぁ、「がんばって書け!」ってなっちゃったけど(^^;。
昨日から始めた特訓だが、ただ単純にいつも2ページ書く漢字ノートを4ページ書くことよりもはるかに頭に入っていったはずだ。だってその後に何度もチェックテストをしてミスを減らしていったもの。
まぁ時間も数倍掛かっちゃったけどね(^^;
昨日は見たいドラマの最終回があったんだけど、その時間に思いっきり食い込んでるにもかかわらず、結構笑顔だった。やっぱり真剣に向き合うのはお互い悪くないと思う。プライスレスってヤツだ。
・・・
蛇足だが昨日の勉強で長男から指摘され、おおっ!と思った知識があったので、恥を忍んで書いてみる。みなさんはそんなこたぁないと思うが。
「鏡」という字の作りと、「意」という字は、似て非なる字
僕はぶっちゃけ40歳の今まで、「点が二つある」程度の違いしか認識してなかったが、そもそも構造が全然違うという。左の字は「立つ」の下に「見る」の横棒が一本ない字。右の字は「立つ」「日」「心」の3体合体。3体合体と言えば6変化でアルベガスのことだが、たぶん娘には通じまい。
でもそれを説くには「心」をどう書くのかが結構重要というかポイントだったりする。僕は心の左二つの(書き順で一画目二画目)の高さが全く同じに書くクセがついていたんだよね。だから上記の二つの文字の違いがホントに「点二つ」しか違わなかった。先生もそれは細かくチェックしないポイントだったというか、指摘されなかったから間違いにも気付かなかったというか。
でも漢字って面白い。「なぞって覚える大人の漢字練習」ってDSソフトがあるのだけど、それで書き順とか「綺麗な明朝体」を見ると、意外なバランスに気付いたり、書き順にしても、「片」っていう字なんかは、長男も僕も「縦、横、縦」の順かと思っていたら「縦縦横」だったり。あと衣偏と示偏の覚え方の中で、「複」はなんで衣偏かって話になって、「服の袖が複数だから、、、ってことで覚えろ」みたいなね。あ、これはDSソフトは関係なく僕が娘に覚えさせるのに使った苦肉の策なんだけど。
長男からの出自では「いと高く」「糸 田 各」で「細い」と「略」を覚えるとか。こういうのってわかる人には「なんで?」って思うんだけど、ボーダーライン上にいる人間には結構微妙なバランスで覚えてたりするんだよね。はねるのとびらでやってた「はんにゃ金田とドランク鈴木拓の漢字ダブルス」とか見てると、「なるほど小五ってそんな感じ」って凄く納得出来たりする。
間違いを恐れて踏み出さないってのは、気持ちはわかるけど僕はダメだと思うんだよね。昔から勉強を教える立場になったときは、必ず「間違えて反省する」ステップが必要だと。間違える前に諦めると、たとえ予想が合っていたとしても絶対○は貰えないし、間違いを否定して正解を肯定することでより正解の濃度が高まる気がするんだよね。ちょっとオーバーだけど、折れた骨のが強いみたいな?
「質」という漢字を書くにも、「新」という字を書くにも、どこかに「竹」がちらついちゃって、字が不安定になる。でも書いてあってると言われれば自信が伸びていくし、ブブーッて言われれば竹はちらつかなくなる。そして口に出しながら早く何度も書くことで(部首名を知らないので恐縮だけど)質の冠とか新の作りの部分が手に馴染んでいく。
さっきちょっと書く早さについて触れたけど、基本「早く何度も書く」人間の方が、「ゆっくり綺麗に書ける」と思う。「ゆっくり丁寧にしか書けない」人間は、「ゆっくり綺麗に書ける」ようにはならない。なぜなら書く量、回数が少ないから、必然的に「書く」という行為そのものが体に馴染まないし、馴染まないということはその文字が「いい感じなのかそうじゃないのか」の判断も付きにくいはず。これは「宮崎駿監督が絵を描く速度が他の人の3倍速い」って話にも通じると思う。
実際わずかな間で娘の字はみるみる綺麗になっていった。っていうかまぁそもそも偏と作りが離れてる、赤とか変とかの真ん中の縦棒2本が離れてるような字を書いてたのが直るだけで文字は随分かっこよく見えるものだと思うが、それを差し引いても「バランス」が良くなってきたと思う。それはつまり「指に馴染んできた」ということだと僕は思うのだ。まぁ痛いとは言ってたけど。つか持ち方が少しおかしいのを直すのは文字(出力)を修正するよりはるかに難しいんだよな。
ともかく。
これから子供に勉強を教えるような場面に直面する可能性のある方も少なくないと思うけど、ベースは親が作るものだと思います。東大や医大に行くような親の教え方は僕なんかよりはるかに効率的で完成度が高いと思うし、結果を思えばそれこそが正解に近いんだろうとも思いますが、一方で「身の丈にあったことしかできない」のも事実なわけで。自分の精一杯をぶつけていけばいいと思うし、まぁそれしか出来ないですしね(^^。
余談だけど「心」っていう字、しばらく長い間「二つの点は両方ともしっぽの内側」だと思って書いてたんだよね。それこそ高校卒業して働き始めるくらいまで。それを思えば今娘がその配置を覚えただけでも意味があるというか、「蓄積だよな」って思う。つか点が二つとも内側じゃ「かっこよくないだろう?」。気付よ昔のオレ。
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