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2010年11月23日 (火)

文字を書くこと

まぁ僕はこうして毎日飽きもせずダラダラとくだらない話を書きつづっているわけで、当然文章を書くことは嫌いじゃない。というかたぶん小学校の5年くらいから好きになったように思う。

当時はとにかく「質より量」というか、まぁ普通に勉強が出来ていればもうその先は「いかに早くやるか」or「いかに大量にやるか」しか自分をアピールする術がないというか、ぶっちゃけ成績を気にするというより、クラスメートのライバル視する女の子(かわいいわけではない:編集部注)に負けたくないという気持ちで「書くこと」に臨んでいた気がする。

漢字の書き取りもとにかく1ページあたりの時間を計り、丁寧さは二の次三の次。最終的に「速く書ける」ことと「綺麗な文字とはどういう文字なのか」を知っていさえすれば、「ゆっくり綺麗な字に近づける」ことも出来たんだよね。宮崎駿御大じゃないけど、「人よりたくさん速く描くことが上達への唯一の道」だったと思う。だから最近娘に漢字を教えるのでも、

 いつもは全然そんな丁寧かつ綺麗に書かないんだけど、

娘から「かっこいい」と言われる字を書くことが出来ると思う。もちろんペン習字みたいなことをしたわけでもなければ、普通の習字も1年かそこらで嫌になって止めてるから、バックボーンがあっての「上手い文字」では決してないんだけどさ。

綺麗な文字ってのは人によっていろんな受け取り方があると思うけど、僕の中では「レタリング」のような、ともすれば「機械が書いたような」文字に美しさを感じたりする。

今みんなはどんな環境でこのブログを読んでるかわからないけど(ちなみに僕はゴシック)、明朝の「筆を置いた時に膨らむ感じ」とかは、中学生の頃の自作カセットテープのタイトルロゴや、文具に書く名前、年賀状のタイトルなどに大きく影響を受けた。単純にペンで書く文字ではなく、「その形」に枠を作っていく感じ。今思うと映画「スーパーマン」の胸に書かれた「S」の文字を書き写した小学校低学年の頃の記憶が「そういう文字をかっこいいと思わせる」きっかけになっていたのかも知れない。

ちなみに今仕事で自店のチラシを作ったりしてるわけだけど、その時に使うフォントも、やっぱりこだわりがあるというか、「この字が好きなんだよっ!」って使ってたりする。まぁこういう仕事をしてる人はみんなそうだとは思うんだけどね。「ポップ角ゴ体蜜柑」ってのが僕のお気に入り。

これも仕事修行時代(と言っても実際は単なるひとり暮らしで勤めてただけみたいなもんだけど)にかじった「ポップ」描き
※プライスカードみたいなもの。お客様の目に触れる商品名とか値段とか説明みたいなヤツね。
の延長だと思う。知らない人向けに僕が「へぇ~」って思った一番の基礎の話をひとつすると、ポップの描き方で「口」を書くときは、「左上から左下に引いて、そこからペンを離さず90度曲げて底辺を書く。その後左上から右上に向かって引き、同じようにペンを離さず90度曲げて右下まで書く。左上と右下は少しずつはみ出す」。言葉で伝わってるかどうかわからないけど、ポップの描き方ってのはかように「イレギュラー」だったりするんだよね。「8」なんかも、普通は一筆で書くんだけど、ポップの描き方だと「左上から右下へ、一旦離して右上から左下へ、最後に上にフタをする」三回に分けて書いたりする。要は「ペンの太さを維持するため」
※一筆で書くと細い部分と太い部分がどうしても出来てしまうので。
の手順ってことなんだけど。

 で、

僕はそういう文字もかなり好き。

僕が好きな話に、(完全に僕とは無関係の雑誌とかで読んだ話だけど)、

 知り合いが大学の長期休暇を利用してフランスのルーブル(もしくはイギリスの大英博物館とかだったかも知れない)に行ったんだって。で、その休みの間中ずっと昔の文字を写してたって言うんだよ。もったいねぇ、って思ったんだけど、そいつが言うには「今までの人生でこれほど充実した休みはなかった」んだって。価値観ってのは人それぞれだよな。

その気持ちが凄くわかるって思った。「かっこいい文字」「変わった文字」ってのは凄く魅力的なんだよ。みんなも「月姫フォント」見たとき「ほほぉ~」って思わなかった?思わなかったか。隷書体見てそれだけでなんかちょっと怖い感じとかしない?しないか。

 僕は結構するんだよな。

文字ってさ、それだけで結構なんて言うか「語るものがある」気がする。一文字だけで元気さを含んでたり、クールだったり、ダサかったりする。わかりやすいところで「丸文字」があれほど流行ったのも、「そう書くことで自分がかわいいって思われる(かも)」って思ったからでしょ。
※最近は文字を書くこと自体それほど多くないから、最近の女の子の書く文字の「汚さ」がハンパねぇって思うけど。

 まぁ最近の人には「丸文字」すら通じないかも、ですけど。

そんなわけで最近娘相手に「かっこいい文字」の話を毎晩のように力説し、同意してもらっては(心の中で)ガッツポーズを取るわけです。

ちなみに昨晩は、娘の名前にある「颯」の「風」の最後のハネの部分がいかに重要で、かっこよさに繋がるのかって話をしてました。あと「績」と「編」だと「糸偏の幅が違う」という話とか。左右のバランスが1:1で書いた方がかっこいい文字と、4:6くらいにした方がかっこいい字があるよ、と。それとひらがなの「の」の字がいかに難しいのかも、パソコン上で7つほどの別フォントの「の」を並べ、自分が目指す「の」はどれなのかって話。「る」は下半分の構造が、「横長のだ円の中に同じ比率で倍率を小さくしただ円が入る」ように書くという話は、我ながら上手い回答だったと思いましたよ。それを意識しただけで、今までの「どう見てもかっこよくない”る”」が、誰がどう見てもかっこいい「る」に生まれ変わるんですもの。

でもこういう話が出来るのも、本人の意識があってこその話。たぶん2年前だったら面倒で全く聞き入れて貰えなかっただろうし、僕がいくらかっこいい「額」を書いても理解してもらえなかったと思う。でもって今ちょうど自分が自分の「学び」に価値を見いだし始めてるところだとも思うんだよね。勉強が出来ることの楽しさ、って言うとちょっとオーバーだけど。

そんな話を長男と娘と3人で話していたら、長男が「道徳が好きな理由」の話になり、数年前ブログでも紹介した授業参観がそのトリガーだったのかも知れないってことになった。
http://cris-deepsquare.cocolog-nifty.com/top/2007/01/post_c67b.html

やっぱり自分で自分を気に入ることが、自分の気に入ってる部分を伸ばそうとする最も強いモチベーターに成り得ると僕は思う。だから僕は娘に「僕のこの字がカッコイイと思うならまねてみればいいし、自分のがかっこいいと思うならそのままでいいと思う」と言う。漢字と送りがなのバランス、中心線がどこにあるのか、マスに対しての大きさもそう。
※だから僕は余白が少ない字を今でも書いちゃうんだよな(^^;。それが「かっこいい」って思ってるから。

文字はずっと付いてくる。いくらワープロソフトやメールが普及しても、いくらPDFが進化して小型で使いやすくなっても、「筆記用具」が世の中からなくなることはないと思う。
※もし取って代わるとしたら、かなりの条件をクリアしないとダメだと思う。「丈夫さ(濡れてもいいし踏んでも落としても破れても読めるとか)」「価格(付箋として使えるくらい安くないと)」「反応速度や起動速度」「視認性(解像度。もの凄く小さな字も読めないと)」・・・そんなのかなり未来でも無理だと思う。やっぱメモは偉大なのだ。

子供の頃の文字は大人になってもあまり変わらない。むしろ「より汚く」なったりする。だから今のうちに「より早くより綺麗に」書けるようになっていて損はない。というか得だらけだと思う。昨夜就寝時間を過ぎてなおシャーペンを離したがらなかった娘。その気持ちはかなりかけがえがないものなんだぜ!?

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