インターネットがなくなったら
※タイトルほど重い話になりませんでした(^^;。スミマセン。
週アスのコラムに「IPアドレス枯渇」の話が載っていた。まぁ細かなことはわからないが、とりあえず火急の話ではないというか、気にしなきゃ気にしないでも構わなそうな話だったのだけど、
もしホントにネットやメールが全く使えなくなったら
と考えると、それはそれでちょっと面白い。
「面白い」とするのはいささか不謹慎だが、ディザスター映画や連続殺人のサスペンスドラマが人気を集めるように、「非日常」を想像するのは十分「普通の感覚」ではあると思う。
思い返せば僕がひとり暮らしをして名目上は修行に行っていた20年前には、まだ携帯電話はほとんどなくて、社長の車に設置された500mlのペットボトル並に大きな受話器を使ってたりした。たぶん「ポケベルが鳴らなくて」もその頃だったと思う。
当たり前の話当時はまだメールが一般的ではなく、リアルタイムの連絡手段の9割9分が電話だった。僕自身餓狼伝説でリョウ・サカザキを出現させる方法を調べるためにつないだのがほぼ最初期で、まだまだテキストのやりとりがせいぜいだった。
でも今はどうだ。
日本中、世界中に張り巡らされた蜘蛛の巣が、晩ご飯のおかずから軍事機密までしらみつぶしに網羅している。グーグルマップは冷戦時に何百億ドルと掛けて構築された軍事衛星以上の情報を、鼻クソ掘りながら瞬時に表示するし、「あの歌なんだっけ、、、」と帰りの車の中で聞いた歌を、鼻歌から検索し、あまつさえダウンロードすら出来たりする。僕は携帯でメールをしないが、ツイッターや友達、恋人とのコミュニケーションの常套手段として使用している人からしてみたら、「命の次に大切」な必要不可欠な道具になっているだろう。僕にとってのパソコンだってそうだ。
でも当然ながら僕以上に若くて、パソコンも携帯もろくに使ってない人もいる。家に帰ってテレビを見て、飯を食い、風呂に入って、たとえばプラモ、たとえば映画のDVDを見て寝る生活に、ネットや携帯の「不可欠性」は伝えにくい。ケーブルテレビやBSを見ない人がその必要性を感じないのと同じようなものかも知れない。
だから、いざ本当にそれらが使えなくなっても、「別に平気」なのかも知れないと思う自分もいる。ネットの利用がプリペイド方式になり、IPアドレスが切り売りされる日が現実に訪れるとしたら、きっとその日のドコモショップはオイルショックのトイレットペーパー売り場以上の修羅場になるだろうが、固定電話があり、郵便局があり、佐川急便があり、テレビショッピングや新聞の折り込み広告があり、いきつけのスーパーがあり、本屋があり、マンガがありビデオがありコンビニがあれば、
戻れる気がしないでもない。
もっと言うと、
世界中で「せーのーでっ!」で戻ることが出来るなら、案外戻った方が、「今を幸せだと感じる人の人数」は増えるのかもとも思う。少なくともかなりの面で不便にはなるが、晩ご飯のおかずを買いにスーパーへ行き、毎週欠かさずドラマを見て、翌日みんなとその話をし、ドキドキしながら女の子の家に電話を掛ける。ゲームを買うにもより真剣に考えるし、一つのタイトルをじっくりしっかり遊ぶだろうし、友達との貸し借りも頻繁になり、わからない謎で盛り上がったりもするだろう。
社会的に「仕事にならない」という人も凄くたくさんいると思うし、実際そういう仕事をしてる人からしてみたらこの想像は「恐怖」以外の何物でもないと思うけど、もし本当にIPアドレス枯渇なり、インターネットの物理的な不通なりが「実現する可能性がある」としたら、それについて考えておくのは強ち無駄でもないような気はする。枕元に避難用のバッグを置いておくように、ウイルスの駆除ソフトをインストールするように、携帯を2個持つように、人は不安から逃れる為なら、割と何でもする。
とりあえずこのブログは更新が止まりますが、
案外書き続けることはしそう。
どうでしょうみなさん、一ヶ月まとめてプリントアウトしたのを定期購読するお心づもりはございますでしょうか。「月刊クリスの濃い部屋」。想像しただけでお腹いっぱいになるというか、一体誰がこのブログを一ヶ月まとめて読みたいと思うんだよ、というか、
まぁそのときが来たら考えます(^^。
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