高校入学式
※本日二つ目。ほとんど僕の思い出話みたいなものなので、同じ高校の同級生とかじゃないとピンとこないかも知れません。
自分の時のことを考えれば「親父が来るなんて考えられない」ことなのだけど、まぁ自分が「そうしたい」からするだけであって、子供が来て欲しいとか来て欲しくないとかは、全く関係ない。というかまぁ「来て欲しくない」とか言わないけどね。
いきなり余談だけど、人間やっぱどこかで損得勘定してるんだと思う。「反抗期」「思春期」で内弁慶になったりするのも、「自分がそういう行いをしても許される」「問題ない」と打算してるからじゃないかと思う。実際自分の子供の友人でそういう行いをしてる子がいるのかどうかはわからないけど、普通考えたら「親に反抗出来るわけがない」。明日からどう生きていくんだって思う。よっぽどバカで、心がすさんでいて、かつ体力があるなら、中学生、高校生ひとりホームレスでも生きていけるかも知れないけど、今の世間はマドンナが大都会に降りた夜とはやっぱ違うと思う。親がそうさせたい、ってんなら別だけど。
まぁ長男に関しては、プライベートの娯楽であるネトゲパソコン関連の知識や、生命線であるルーターの管理において、僕が「握っている」分、多少の不服があったとしても、そうそう反論しづらい面はあるかも知れない。っていうか、たぶん「正論」はお互いが受け入れるべき、家族であるがゆえに、「建前ではない正義」の強さを理解し合っているのかも知れない(やや希望的観測)。
彼の合格した高校は僕の母校であり、直線距離で1kmちょいのところにある。これにより彼は、幼稚園、小学校、中学校、高校と全て僕の母校に通うことになったわけだが、まぁ住んでるところからすると、
小学校、中学校、高校と、どんどん通学時間が短くなった。
※幼稚園はまぁバスや車での送り迎えだったからね。
片道3分ほどの距離の高校に通えるというのは、
※事故には十分注意して欲しいけど、
本当に幸せなことだと思う。チャリ通ギリのラインは、徒歩で通うほとんどの子よりも通学時間が短い。進学校だからそうそう中学の時みたいに友達が家に遊びに来まくるとは考えにくいけど、それでもこの近さは、友達とのコミュニティを形成する上でデメリットにはならないはずだ。
この高校の校長は僕の高校1、2年の担任でもあり、式辞での話もなかなかのまとまりだった。高校ではとても珍しいと思われる「自由」を校風としており、しかしダラダラは全くしていない。重んじられる自主性は、震災の義援金も、震災当日に生徒自らが発起してかなりの額が集まるほどだったという。
僕はこの高校が凄く好きで、校歌に関しても「歴代で最も回数歌った人間」の一人だと思う。入学して間もなく招集された「FF委員会」。FFとはもちろんファイナルファンタジーのことではなく、「ファイヤーフェスティバル」。近くの駅から古い枕木をもらい、キャンプファイアーよろしく井桁に詰んだ基部を三基。文化祭や体育祭の応援合戦で使った物を、一気に燃やし尽くしながら、周囲でフォークダンスをしたり、歌を歌ったりするイベント。三つの炎は次第に一つの巨大な火柱となって、文字通り天を焦がす。
ただ実際は僕がいたわずか3年の間にその炎は「六角形の井桁一基」に縮小され、それから数年後にはダイオキシンや周辺の方への配慮から、「ファイヤーフェスティバル」は「ファイナルフェスティバル」へと形を変えてしまう。そう、今の母校には、もう炎はない。声を枯らして歌った乾杯や、我が良き友よや、校歌・・・。
まぁ長男にFF委員になれとは言わないけどね。自分の意志で決めればいいと思うし。でもやっぱ入学式で有志により歌われた校歌は、今もまだ十分熱かった。思わず歌い出しそうになった。っていうかその後車の中で大声で歌った。
校長以外に僕が知る先生はいない。僕がいた頃あった武道場も今は違う形(なり)をしている。池も校訓も卓球場もない。
※でも新聞部室はまだあった。ボロボロでたぶん使われてないだろうけど。
エアコンが完備され、その為に年間12000円余分に払わなきゃならないという。自販機も大量にあった。購買部はまだコロッケ売ってるのかな。
やっぱ懐かしい。
勉強は全然した記憶がないけど、僕はこの学校が大好きだった。苦い思い出や辛い思い出は、冗談抜きでほとんどない。
※入学早々の試験で学力レベルがほぼ底辺になっちゃったことくらいかな(^^;
「かけがえのない青春」とは、高校時代の為にある言葉なのかも知れない。悔いの残らない3年間を送って欲しいなぁと思う。
以下余談。
相変わらずクラスのメンバーの写真をパシャパシャと撮ったわけだけど、ぶっちゃけ担任の先生は小柄で、さほどインパクトのあるタイプじゃなかった。まぁ今校長やってる僕らの担任だった先生も第一印象はさほど変わらなかった気もするから、中身は付き合ってみないとわからないけど。
クラスの女子はやっぱりというか無理もなくというか、進学校相応な感じ。ドキドキはしない。が、
男子はひとりとんでもないイケメンがいてビックリ。
入学式の時隣のクラスにもひとり強力なイケメンがいて、「彼はモテまくるだろうなぁ」なんて隣の席の保護者のお母さんと話したけど、いやいやどうしてこっちもスゲェ。
僕はカワイイ女の子も好きだけど、カッコイイ男子も負けないくらい好きなのだ。
ぶっちゃけもし自分が同じクラスだったら、絶対友達になろうとしたと思う。っていうか、これは僕の完全な思い込みというか、価値観依存の話なんだけど、勉強をガリガリやって頭がイイヤツってのは、正直さほどそいつから得るものがない。強いて言えば「努力出来る才能」だが、それはなかなか身につけられないから。
でも「かっこいい」とか「歌が上手い」「笑いのセンスがある」、あと勉強で言うなら、僕が思いも寄らないアプローチで正解にたどり着ける「天才」は、一緒にいて凄く得るものがあるというか、「楽しい」と思う。ぶっちゃけ中学までの僕は(今でも結構そうだけど)人を見下すきらいがあったんだけど、同レベルの連中が集まる高校で、「僕よりずっと凄い人」に何人も接する機会が出来たんだよね。
※まぁ「かっこいい」カテはその中にはいなかったんだけど。
で、やっぱりそういう人といるのは凄く楽しい。っていうかかなり影響も受けたと思う。
つかカッコイイ男の横にはカワイイ女の子が高確率でいる気がするし。
・・・ゴメン。ちょっと勢いで書いた。本音言うと、「カワイイ女の子」はあんまし興味ないんだった。「カワイイ女の子」はかなりの確率で「自分がカワイイことを知ってる」し、性格もそれに付随してチヤホヤされ、調子に乗りがちなものにシフトしやすいんだった。特に中三過ぎるくらいから「むしろカワイイ子は避けてた」んだった。
でもカッコイイ男子は好きだけどね。カッコイイから。
つかなんだかよくわからない話をしまくってしまったな。ある意味クリスらしいと言えばらしいか!?
| 固定リンク
コメント