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2011年5月13日 (金)

クオリアを聴きながら

UVERworldのクオリアのPVを見ながら書いてます。
http://nandemoup.com/comment?parent=1008699

知ってる方も多いとは思いますが、この曲は劇場版ガンダムOOの主題歌。劇場版のガンダムとしては、(僕の記憶が確かなら)逆襲のシャア以来のオリジナル作品だった本作は、主題歌にも結構な気合が入っているなぁと、、、まぁ曲から先に知ったのですけどね。映画のラストに流れるメロディとして非常に上質というか、

 合ってる

と思いました。あとガンダムらしいな、とも。

ちなみに逆襲のシャアはTMN(もしくはTMネットワーク)のBEYOND THE TIMEで、これも僕的にはこのクオリアに共通する「何か」を感じたりもしました。

PVを見ていてふと思ったのですが、コレって、最近のヒット曲としては、割とオーソドックスというか、王道なメロディなんですよね。聴いていて僕が「心地良い」というか、悪く言えば90年代のロックのニオイがするというか、小室哲哉が「商品」にしてしまったメロディが、80年代の「好きな歌」に戻ってきたような・・・。

歌ってのはゲームとか映画とかと違って、楽器があって歌手がいれば成立するんですよね。楽器はカラオケでもいいってことになれば、歌が上手い人さえいればそれで「作品」が成立する。初音ミクに代表される「歌ってみた」なんかは、まさにそのエッジで、「曲」以外に必要なコストがない。絵を描く才能も、プログラムを打つスキルも、親の七光りも専門的な知識の一切がなくても、歌は歌える。上手く歌う為には当然それなりのトレーニングも必要だろうけど、独学では人を絶対魅了できないということはない。

ポリゴンや2Dのドット絵のゲームを今見て「古くさく感じる」のは、そのレールがハードスペックの進化と共にあったからだ。ファミコンが出る前に数億ポリゴンのゲームは実現しなかったし、ゲームボーイの前にPSPが発売されたりはしてない。用意される道具と作り上げられる成果に密接なつながりがあり、それを逸脱した作品は、時に異端視され、時に新たな市場を生む。

だが歌はそうじゃない。

歌は僕が小学生の頃聴いた榊原郁恵だろうと、中学の時のレベッカだろうと、高校の時のブルーハーツだろうと、社会人1年目に死ぬほど聴いた浪漫飛行だろうと、今流れているクオリアだろうと、「歌は歌」で、流行廃りはあろうとも、例えば中学生の頃にこの曲をもし聴いていても、自分の感性が合えばきっと「いい曲だなぁ」と思ったに違いない。逆もまた真で、僕が生まれる前のフォークソングを僕が大人になってから聴いてその全てを否定するということはない。

 歌の良さはその歌で完結する。

歌が上手い人ってのは、僕らが中学生の頃の「アイドル全盛期」を思えば確かに上手くなってるのかも知れない。顔がかわいくてスタイルがいいアイドルが、歌も踊りも上手いってのはきょうびなんら珍しいことじゃない。BUMP OF CHICKENが頭一つ抜けてると感じたとしても、じゃあ美空ひばりより歌が上手いのかとか、尾崎豊よりメッセージ性が強いということもない。もちろん下手だとか弱いということもない。

歌は凄く狭く「自分一人さえよければそれでいい」ものな気がする。気軽に歌って、今だったらそれをネットを通じていろんな人に聴かせることが出来る。いいと思えばCDを買ったり、ダウンロードしたりする。声が好きとか曲が好きとか歌詞が好きとか。

 上手いから好きなんてことはない(断言)。

その人にとって上手いことが、技術的に最高で高難度で音域が10オクターブで肺活量が凄くて、、、なんてこととリンクするわけがない。

黒澤明のように、後の世にまで影響を及ぼすような作品もなくはないだろうけど、これだって音楽ほどじゃないにしても「個人的な感性」に大きく依存してると思う。僕以外の50億人が「名作だ」と言ったとしても、僕がつまらないと感じたのなら、それは僕にとっては少なくとも名作ではない。評価されるのに「支持数」が重視されるとするなら、「七人の侍」より「AVATAR」の方が名作ということになってしまう。「審美眼」という言葉だって、何がそれを尺度として信用するかだけの話だろう?

最近自分以外のみんなの視点、考え方、物言いにイラッと来ることが多い。例えば、原発を海の近くに建設してしまった話。「なんでそんなことをしたんだよ!」と責める話に僕は思う。もし海から遠く高くに建造していたら、毎年毎年コストが余分に掛かる。

A案ではそのコストが1億円です。B案ではこれが2億円です。でもA案は津波に対する準備が「やや」甘いかも知れません。いかがいたしましょうか。

来るか来ないかわからない地震に対して、どれだけの準備が出来るのか。起こる起こると言われる東海大震災だけど、じゃあそこから引っ越すのかってことになる。すぐに引っ越せるのかってことになる。

僕は電力会社とは全く関係がないけど、自営で会社を営んでる者として、A案を採ってしまった気持ちは凄くわかるんだよね。その瞬間その瞬間でベストなチョイスをしなければならないんだもの。
※同時に浜岡原発を停止する気持ちもわかるんだ。

仕事中、パートのおばさんに軽くキレることが多い。それはもう単純すぎることなのだけど、話しているそばから間違って記憶していることが多いからだ。覚えられないのなら書けばいいと思うが、話した内容をメモしたものが、既に話したことと違っていたら、それを繰り返してしまうとしたら、単純すぎるミスは前述の選択と違って叱咤されるべきだと思う。「そう思っちゃったんだもの」と言う言葉が、何の弁解になるのか。まぁ言葉がキツいのは僕にも否があるかも知れないけど。

こないだうちの地区であった市議会議員選挙もそうだった。「自分が当選したら・・・」言葉ではいくらでも言えるし、責めることが出来る。でも本当のところはわからない。わかるのは、その人が当選することで直接影響が出る人間、例えば「○○町出身」であれば、その町に対しては確実なメリットが見込まれるだろう。もちろんそれ以外の利害関係で繋がってる人も多いだろうけど、

 結局は損得が見えないと動けない

人を説得するためには、共通の敵を作ればいいという考え方があるのはわかる。テレビのニュースが幸せなものより不幸せなものの方が多いのも、それが求められているからというのも視聴率という確実な指標によって裏付けられた真実だからだ。だから、

 僕が正義で、僕が大多数であるというつもりは全くない。

だが、

 僕は僕を正義だと思っている。

みんな自分のことしか考えてない。僕もそうなんだと思うけど、少なくとも僕は「みんなそうだ」ってわかってる分、多少違う気がする。誰それが○○円寄付をした。凄いなぁと思う。偉いなぁと思う。たとえそれが税金対策だろうと、寄付された額は寄付された額だもの。自分が一体何を出来たかと振り返れば、何かにつけて非難する奴らの神経を疑うのもやぶさかじゃないって思う。

・・・

みんな違う人生を歩んできてるんだぜ!?誰が誰を好きになったって、何も不思議な事じゃない。理解出来ない美的感覚や好意の裏側には、理解出来ない歴史があるんだもの。

 「僕はどうしてもエグザイルが好きになれないんだよね・・・」

でも、

 「オマエもエグザイルなんて聴くの止めろよ」

とは思わない。きっとみんなも「そんなことはさすがに思わないだろ?」って思うと思う。

地震だって原発だって同じことだと思う。誰かが悪意を持ってやったことならいざ知らず、仕方ない選択で不幸が舞い込むことってのは絶対にある。車を運転していて、急に飛び出してきた自転車を避けたことで反対側にいた子供をひき殺しちゃったらどうしようって思うことがある。もっと言うと、それを警察官がしない保障なんてない。もっともっと言えば、その警察官が別件で人の命を救ってたかもしれない。

好きな歌を聴く。誰も文句は言わない。置き換えられることがなんかいっぱいあるような気がする。

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蛇足:一番最初に書き出した時は、

「クオリア」ってルックの「さよならイエスタデイ」と何が違うんだろ

って思ったからなんだけど、結局何も違わないんだよね。「僕が好きな曲」という意味においては。新しい古いも関係ないし。それがなんでこんな説教臭い話に!?あまりストレスを溜めないタイプのハズなのだが・・・。

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