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2012年1月26日 (木)

僕が面白いと感じるゲーム

またこのネタかと思われそうだけど、まぁ気にしない。僕が思ったことを書くのがこのブログなのだ。っていうか我ながらよく続くよと最近思う。2005年7月に始めて2012年ですからね。AKBより長いっていう。比較対象になり得ないけど。

リンク先のバブシカさんと最近何度かコメント欄などでお話をしているのだけど、ほとほとゲームの趣味、楽しい、面白い、素晴らしいと感じるポイントってのは、個人個人で差があるなぁと痛感する。
※それでもゲームを勧めてくれるバブシカさんにはホント感謝します。僕がバッサリ行っても懲りずに常連さん続けてくれるし。

結論から言って、面白いと感じるゲームなんてものは、どこにも明確なトリガーなどない。そういうゲームが好きだから面白い。さじ加減ひとつで、同じベクトルを向いたゲーム性ですら、「惜しい」になり「無理」になる。

ただ最近思うのは、殊の外ビジュアルのウェイトが高まっていると言うことだ。昔は絵が綺麗なだけのゲームなんてクズだ、ゲームはゲーム性が命だ、くらいに思っていたが、、、というか今でもその視点自体は間違ってはいなかった。

 「どんなビジュアルが訴求力を持つのか」

が問題なのだ。「綺麗なだけ」でゲームがつまらないというのは、実は、

 大して綺麗じゃない。

本当に綺麗ならば、どんなつまらないゲームであっても楽しめてしまうのではないか。だって、その画面を見ているだけで幸せになれるはずなんだから。ただ、解像度が高く、テクスチャの出来がよく、ポリゴンをたくさん使っていたり、一昔前なら大きなキャラが出て来るとかそんなレベルでの「綺麗」は本当の意味の魅力を持った綺麗ではない。実際、アクトレイザー2なんかは、ゲーム性は大したことなかったが、あのビジュアルでモチベを維持し、クリアすることが出来たではないか。

モダンウォーフェアやバッドカンパニーみたいなビッグバジェットなタイトルでも、僕の好みの中で、本当に訴求力を感じることが出来たら、きっと尻尾振って買っている気がする。ダークソウルをやっていて、、、そして、

 テラリアをやっていて、そう感じた。

テラリアはご存じの通り2Dのドットで描かれたサイドビューのゲームだ。解像度を上げてもプレイ出来るが、キャラがどんどん小さくなっていくだけで、例えば空のグラデーションが増えるとか、キャラの顔が濃くなるという要素はない。だが、僕は明らかに、このゲームの見た目にも惹かれていた。

もちろんその中には、僕が2Dのドット絵時代からゲームを嗜み、馴染み、愛してきたという歴史があるのは否めない。だが、ふと思ったのだ。

 この銀の鎧はかっこいいな、と。

そして、振り返ってみた。

 ダークソウルの鎧はさほどかっこいいと思わなかったな、と。

あれほどたくさんのポリゴンを使い、リアルな造形で仕上げてある鎧たち。アイテムによって見た目が変わるし、デザイン的にも決してダサさはない。なのに、僕はテラリアの銀の鎧の方が、「かっこいいと感じた」のはなぜか。

これが全てではないだろうが、単純に「シンプルな方がその落差は大きく感じる」というのがあると思った。リカントとリカントマムルの違いの方が、ダークソウルのミスリルゴーレムとゴールドゴーレムの違いより強く感じる。ダンバインとビルバインの違いの方が、エウレカセブンとアクエリオンの違いより大きく感じる。

一見シンプルなサイドビューで、鉄の塊と銀の塊の違いは極めて少ない。よく見なければ石と見間違えてしまうほどの些細な差しかない。それを精製して鉄の延べ棒と銀の延べ棒にすると、その差はより小さくなり、カーソルを合わせないとそれが鉄か銀かわからないほどだ。

 だが、鎧にしたときには完全にデザインが違う。

ここにやられてしまった。「当然(デザインは)同じだと思っていた」が、違った上にかっこよかった。

剣でもそうだ。銅の剣、鉄の剣、金の剣と使ってきて、ヘルストーンで出来た炎の剣を振ってみたら、

 いきなりデカい!

このインパクトはホントにデカくて、明らかにあのシンプルなテラリアのグラフィックに、

 ビジュアルショックを受けていた!

※片手剣使いのモンハンプレイヤーなら、いきなり大剣の大きさの片手剣が出てきたとしたらって思って貰えればイメージしやすいと思います。

 重要なのは落差だと思う。<これ今日一番言いたいこと。

見た目だけでなく、プレイ中に感じる「状況の変化」。モンハントライGが面白く感じられないのも、FF13-2を投げてしまったのも、どうやらそこに原因がある気がしてきた。

単純に氷の世界、砂漠、森林があればいいわけじゃない。スカイウォードソードが面白かったのは、簡単であったこともあるけど、常に自分の置かれた状況が変化し続けていたからじゃないか。ダークソウルでマップ間のつながりがどんどんショートカットで結ばれていく、「時短化」。幾重にも重なるモチベーターは、未来の自分をいくつも同時に見せてくれる。キメラで地味に稼ぐより、メタルスライムで稼ぐ方が楽しいのは、その瞬間に見える未来像がより遠く、強いところまでだからではないか。

モンハンP2の頃は、敵に合わせて武器種も変えていた。水属性の強い片手剣がなかったから(作れなかった、かも知れない)、全然慣れてないけど大剣を作った。ヤマツカミなんてかなりラスト近いけど、氷の双剣が相性がいいってだけで、それを作って倒した。

でも最近の作品だと、ランスならランスだけで全ての属性を揃えられてしまう。他の武器を無理して使わなくても、使い慣れたランスだけ使っていればいい。

 それが結果メリハリの薄いダラダラした展開にさせてしまったのではないか。

印象だけで言えば便利でありがたいのだが、面白く感じないのは間違いない。少なくともP3の時に感じたモチベーションは、トライGで雲散霧消してしまった。
※ぐつさんはあまりP3やってなかったみたいだから「各属性を用意出来る感覚」に慣れてない分、トライGが楽しめてるのかなぁとか。

ガードが出来ない、一撃が軽い、連続攻撃が気持ちいい、遠くから攻撃出来る、喰らうと痛い、、、各モンスターに対する対処法も全然違うけど、一つ言えるのは、

 目新しく、そして楽になるということ。

バブシカさんに申し訳なく感じつつ、SUPER MEAT BOYは、その見た目が2Dサイドビューながら、PS(プレイヤースキル)への依存度が高く、向上心の薄い僕には「面白くなるまでのハードルが高い」。ただ掘っていくだけで強くなれるテラリアとは違う。
※ちなみに似たゲーム性で「N」があるけど、こっちも正直自分ひとりではモチベは維持されなかっただろうなぁって思う。娘がやっきになってたから一緒にやったというか。

ゲーム内でのキャラクターの成長や、武器の強化と言った変化、ゲームに慣れていく、知識を貯めていくプレイヤーの変化に、単調ではない抑揚のある展開と、ビジュアル訴求力。本来なら「美しすぎて当たり前」なFFシリーズで、まるで学芸会のステージのようなオブジェクト。零式も、まるで板に描いた絵のような建物・・・。全部が全部そうじゃないのかも知れないけど。

思えばオブリビオンとダークソウルは似て非なるゲームだった。一見三人称視点で攻撃したり走ったり成長したりの世界だが、前者の世界は広く、住人もまさに世界を形作るかのごとく大勢いた。後者は逆に狭い城内でいくつものトラップをかいくぐり、ボスを倒すというゲーム性。

もしかしたら僕の過去の人生において、オブリビオンスタイルのゲームを至上とした頃があったかも知れないが、今の自分には、楽しさより煩わしさが勝ってしまったらしい。ハクスラ系のタイトルでも、相応のペースで武器や防具のランクアップが為されなければ、きっと僕は投げてしまう。

 41歳とは、かようにわがままになって来ているのだ。

意外と「ポケモン信長の野望」がフックしたりしてな。

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