AKBふと思ったことだが、、、
僕はまぁAKB、SKE、NMBも結構な濃度で好きなわけだけど、一方では、彼女たちが主演する映画やドラマ、舞台を見に行きたいと思ったことがほとんどない。もっと言うと、
それらが面白いであろう可能性は極めて低いだろうとさえ思っている。
「だからDDなんだ」と言ってしまえばそれまでだが、正直な話、
女優志望というのは無理があるのではないか。
前田敦子の「苦役列車」の興収が非常に低調だったという記事を見つけたが、ぶっちゃけあっちゃんの演技のどこに魅力があるのか、少なくともマジすかや「Q10」を見た限りでは、全くピンとこない。というか、あっちゃんだけでなく、優子も麻里子様も、AKBメンの「演技に惹かれる」というのは、まったくと言っていいほど記憶にない。
彼女たちは、特に特別な訓練をしたわけでもなく、特に際立ったビジュアルだったわけでもない。秋元康のオーディションで合格し、長めの下積みと、成長を見せるというコンセプトの上に、「新たに成立した商品」だ。僕はその商品価値に共感したからこそ、ここ数年入れ込んでいるわけだけど、それはあくまで「AKB」というコンセプトの持つ魅力であって、女優としてとか、モデルとしてどうというのとは違う気がする。
正直言うと「歌」に関しても、最初期の頃からフックしていたわけではない。「会いたかった」を伊集院のラジオで聞いたときは、「悪くない」と思った程度で、もう一度聞く機会があっても、例えばCDを借りようとか、ネットで探そうとは思わなかった。「大声ダイヤモンド」も嫌いじゃなかったけど、この時点でもまだ能動的に「購入」しようとは思わなかったし、僕がAKBの楽曲で一番大好きな「ポニーテールとシュシュ」ですら、CDは持っていなかったりする。
好きだけど、音楽にお金を払うという行為を、ほとんど最近していない。
実際買ったCDはエビカツと真夏だけ。それぞれ選挙で1票入れる為に買ったのであって、もっと言うと、
選抜総選挙をより楽しむ為にコストを支払った
という向きが強い。たかみなとともちんは今でも大好きだけど、彼女たちに少しでも上に行ってもらいたいとか、そういうのとは違う。たかが1票でそんな大それた気持ちになれるわけもない。
テレビでもその感覚はあって、AKBINGOや有吉AKB共和国は、録画してまで毎回見のがしたくないと思っているけれど、
※あと最近だとNMBの「げいにん」。
主に歌番組やガチガセみたいなゴールデン枠の番組を見たいと思ったことはほとんどない。歌ってる彼女たちは、「見るのが嫌い」というほどではないが、ぶっちゃけ、(少なくとも自分は)好んでは見ていないということにも気付いた。具体的に言うと、
・東京秋祭りの雨のポニシュシュ(これだけはかなりの回数見てる)
・珠理奈の思い出以上で手を伸ばすところ
・くーみんの虫のバラード
・となりのバナナのMC部分
・Mステの言い訳Maybe
3回以上見たのはこのくらいしかパッと思い出せない。歌として聴いてる曲はいっぱいあるけど、
※特に少女たちよとファーストラビットは100回以上聴いてると思う。
歌ってる彼女たちには、さほど魅力を感じない。口パクだからというのもあるかも知れないけど、どこか「惹きつけられる感じがしない」。ただ、これは単に僕の好みの問題の可能性もある。今までの全ての歌の動画でも、3回以上好んで見た動画なんて、数えるほどしかないから。
※尾崎豊の15の夜とか、BOOMの風になりたいとか、米米の君がいるだけでとか。
笑顔やウインクを見たり、誰がカメラに抜かれるかは楽しめるのだけど、なんだろ、例えばバラエティでメンバーがひとりで出たりすると、途端に不安になってしまう。僕はDDだと思っていたけど、「誰でも大好き」なのではなくて、「みんなが大好き」なんだろうなって最近になって思い始めてる。とも~みやゆきりんがひとりで出てるのを見ても、ほとんどしゃべりは振られないし、目も惹きつけられない。みんなで歌っていると珠理奈やあっちゃんにオーラを感じるけど、ひとりの時には普通の女の子になってしまう気がする。
AKBINGOが好きなのは、彼女たちの良さを一番「僕好みに」引き出しているからだと思う。ここ数回はガスや粉が久々に復活して、見ていてかなりアツい。佐江ちゃんの笑顔に「最高だな!」って思えたのは、ホントの話数年ぶりくらい。
※実際彼女も去年はかなり苦しんでたみたいだけど。
女の子達が、泣いたり笑ったりする。自分の学生時代にやりたかった「熱い何か」を思い出させてくれる。くじけず夢に向かってがんばるところ。「がんばるところ」に僕は惹かれたんだけど、「夢」が近づけば近づくほど、実は僕の好きだったAKBではなくなっていく気がする。
年齢的なことももしかしたら一因としてあるかも知れないけど、それはやはりメンバーが大人になってきているからだろうなって思う。冷静に判断出来るようになることは、関わる人間の数が増えれば増えるほど、当然のスキルとして求められることだけど、心のどこかでは、人通りの多い東京のど真ん中で、誰にも声を掛けられずに所在なくウロウロする麻里子様に親しみやすさを抱く自分がいる。
「AKBは夢へのステップ」。そう言われそう信じて歩いてきてるメンバーたちだけど、後発組は「AKBが最終目標」になってる子も少なくない。一方からはそれを「よくないこと」のように取りざたする向きもあるけど、僕はそうは思わない。扱いが悪くて、自分を出せず、悩み苦しむメンバーたち。でも、一方でそれはメディアに取り上げられ(自分からアップしてるものも少なからずあるけど)、多くのファンがその悩みや苦しみを共有する。
それがAKBの魅力の大半なんだろうなって、実はちょっと思ってる。
成長するということは、苦しむということに近いと僕は思う。ただ笑顔を振りまいて、歌って踊って売り上げが伸びていくというのは、その楽曲やその人の才能、ポテンシャルへの依存度が絶対的に高いはずだ。郷ひろみや小泉今日子、松田聖子、別に挙げようと思えば何人もの名前を挙げることが出来るが、「本当のアイドル」というのは、やっぱり原石の頃から普通じゃない輝きを放っていると僕は思う。AKBは、「結果国民的アイドルに成長」はしたが、元からそんなポテンシャルがあった子は、たぶんいなかったと思う。優子だって玲奈だって、もちろん指原だって。
だが、それが悪いわけではもちろんない。時流を掴み、多くの消費者の心を掴み、お金を稼いで、より良質な曲をより大量に集め、才能ある歌詞を載せたからこそ、僕みたいなこれまでアイドルらしいアイドルにはまったことがないような中年オヤジにも訴求する楽曲を提供出来るまでに至った。何百曲というAKBグループの楽曲の中で、今でも新たな発見と好印象を持つことが出来るのは、他の日本の音楽の大半にフックしなくなった僕にとっては、誠にもって有り難いことだと思うもの。
秋元康が、「一旦飽きられてしまっても、ずっと公演を続けていればまたそこからスターが生まれるかも知れない」と言っていた。それはつまり、既に今のAKBの人気やコンテンツがほぼピークに至っている(もしくは過ぎている)ことを指していると僕は感じた。「たかみなをソロデビューさせてやりたい」と思うファンは多い。「女優の優子を応援したい」と思うファンもきっと多い。でも、ふたりに限らず、
AKBでなくなってしまっても、そう思い続けていられるかどうか
はわからない。
あっちゃんの卒業は、彼女本人も言っていたけど、「誰かがやらなきゃならなかったこと」だと思う。グループに勢いがあるうちに、可能性が高いうちに、、、。
たとえその結果が、芳しくないものであったとしても。
・・・
東京ドームではどんなサプライズがあるんだろう。あっちゃんの事実上の卒業コンサート。AKBの目標。節目である今年の最大のイベント・・・。
僕はきっと歌を聴いたり、ダンスを見たりする為に足を運びたいんじゃないと思う。メンバーみんなの、「目指していたゴール」。「目指していたと思い込んでいたゴール」にたどり着いた時、彼女たちがどうなるのか。何を口にするのか。「AKBというジャンル」における、一つの終末・・・。
AKBへの熱が冷めたからって他のももクロとかにシフトする可能性は極めて薄い。それは、映画が好きだって人がすべからく舞台が好きなわけじゃないようなもんだ。ゴールデンの枠がなくなって、CDが10万枚も売れなくなって、秋葉原の劇場公演に当日ふらりと寄って入れるくらいに人気が落ちてしまっても、あっちゃん、たかみなをはじめ、メンバーたちが築き上げてきた「AKB48」という強力無比なコンテンツが、無意味だったってことにはならない。
少なくとも、「AKBだからこそ好きになったんだ」っておっさんが、ここにひとりはいる。
タイガー、ファイアー、サイバー、ファイバー、ダイバー、バイバー、、ジャージャー。
最近やっと順番覚えたんだよね(笑。
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