人生をもう一度やり直すとしたら
まぁよくあるトピックである。もし戻れるとしたらいつに戻りたいか。
実際のところ僕はそれほど後悔の多い人生ではない。現状プライベートに関して言えば、さほど大きなストレスはないし、例えば過去におけるどこかのタイミングで、「B案」をチョイスできるチャンスがあったとしても、実際は前回同様のA案を選ぶと思う。ゲームの2周目にたとえるのは滑稽かも知れないが、あまり「IF」の話は想定しない。最初からベストだと
※全てではないけど。
信じてチョイスしてると思うし。
ただ、考えてみるだけなら別段何も問題はない。というか、考え出したら結構楽しかったので、それをブログのネタにしようと思った次第。まぁ、
その時思い浮かんだことのほとんどは忘れてしまっているのだが。
で、その「リプレイ」を行うに際し、自分なりの条件を決めてみる。
・今の記憶はそのままで
・ただし、肉体的には「脳を含め」完全に当時のレベルまで回復する
・持って行ける物はポケットに入るレベルのものなら、アリ、、かな
・歴史はほぼ全て「自分のチョイス以外の」変化はないものとする。例えばサイコロの目から、天気、テレビ番組から事故や地震に至るまで。
そして、戻るのは中一だ。
いろんなことを考えるが、真剣にその時代へ「心だけ」飛んでいったとしたら、たぶん一番最初に思うのは、
今の家族とはもう会えないのか。
だと思う。良いことも良くないことも人生にはあるが、自分が全て同じチョイスをしなければ、今の家族と再び出会うことができないとしたら、
それだけでまず自殺レベルに辛くて苦しいはずだ。
単純に「隣人の死」として、その衝撃の大小は、自分との関係の深さに依存すると言って良い。親や兄妹、子供の死というのは、「何よりも辛い」はずだ。
リプレイによってそれは瞬間的に前触れもなく実現してしまう(可能性が極めて高い)。
自分のチョイスを全て「前回」と同じに行える保障などない。記憶力は今は衰えまくっているが、たとえ当時のパフォーマンスに戻ったとしても、考えて選んだ行為が前回と連続して全て同じ可能性の方が、むしろ「余分な記憶がある分」低いだろう。
だが、戻るというのはそういうことだ。だから「戻れるとしたら」という前提で考えるとしたら、僕は「戻らない」をチョイスする。これは間違いないと思う。
だが、「戻ってしまうとしたら」となれば話は別だ。本人の思うと思わざるとに関わらず、中一の自分に今の記憶のままジャンプしてしまう。非常に怖いと思うが、ここでもまず僕が考えてしまうのは、
同じ42歳と半年くらい経ったある日、また中一の今日に戻ってしまうのか。
だ。望まない「道」が唐突に開けてしまったと言うことは、それが二度起こらない保障などない。小説「リプレイ」でも、主人公が戻るタイミングはどんどんスパンを短くしていく。最初は赤ちゃんの頃、次は小学生、、、そして最後は「ほんの刹那的過去」に戻り、その後「新たな1秒」を刻み始めていく。果たして僕の場合はどうだろうか。
だが、考えたところでそれが訪れるのは29年後か、もしくは「全くわからない」かのどちらかだ。中一に戻ったということは、言い換えれば、
60歳に飛ぶことも考えられる。
考えてもキリがないが、きっとそういうことを凄くいろいろ考えると思う。何かのきっかけがあったんだろうか、とか、何かとんでもないトラブルに巻き込まれてしまったんだろうか、とか。
だが、それも考えてもキリがない。どうにもならないことなんてどうにでもなっていいこと。僕は常に前向きでありたいと思う。ポジティブと言われることも少なくない。
※もちろん否定的な想定は非常にするが、その状況でも明るいところを探そうとするところが自分だと思う。
楽しいことだって絶対あるはずだ。
単純にこれから起こりうることは全て、、、同じなのか!?とは思うだろうが、まずいくつかの確定できる要素を探していくはずだ。テレビアニメ、中一の頃と言えばエルガイムがダンバインの頃だったと思うが、「話は同じなのか」。うる星やつらやガンプラ、ガンプラの販売予定も同じか。僕はギャンブルやスポーツには全く興味がないから、そこから「歴史の整合性」を検証することはできないが、ゲームやアニメの記憶ならそこそこあてに出来る。
そしてそれが「経験通り」であることを確認する。
となれば、当然次に考えるのは、「歴史を変えるべきか否か」だ。先の家族の話もそうだが、自分の身の回りで起きたトラブル(幸い交通事故死はいないが、オヤジが脳卒中になったことはある)は回避可能なのか、もしくは、
回避してもいいのか。
回避したことで「結果がどう変わるか」など全くわからない。バタフライエフェクトや藤子不二雄Fのちょっとふしぎな短編集を例に挙げるまでもなく、
より悪くなる可能性だって大きい。下手したらそれによって自らの命が絶たれてしまうかも・・・。
だが、それは42歳の今この場でのチョイス全てに言えることだ。常によりよいと思うチョイスをする。それ以上のことはできない。だから、過去においてもも、例えば自分の家や家族が、「間違ってしまったかも」と思える局面、今後の経済や景気の流れを思い出しつつ、「前回の今」より幸せになって欲しいという願いを込めて行動すると思う。まぁ何が幸せで、何が不幸せなのかは全くわからないのだが。
例えば、高校の受験や勉強に関してもそうだ。僕は高校は進学校だったが、そこで遊んでしまって大学は行けてない。まぁ単純にオチコボレてしまったわけだが、だからと言って高校生活がつまらなくてつまらなくて引きこもりの一歩手前だったかと言えば、そんなことは全くない。
全く同じ高校生活が送れるとしたら、それを選ぶかも知れないくらい楽しかった。
別に彼女もいなかったし、部活で活躍したりもしなかったけど、文化祭や体育祭の応援合戦その他もろもろのイベントは充実していたし、まぁ無事に卒業はできたし。でも、そこであらためて自分のチョイスで、「真剣に学ぶこと」が可能であった場合、それを選ぶのもアリかも知れないとも思う。具体的には高校に入る前、中学三年の段階で、
合格する前提で、その先を見据えた塾に通わせて貰うか。
中学の頃までの自分は勉強に前向きだった。単純に実力がそのレベルでは備わっていたからだが、それをきちんと水をあげ日を当てて育てて行けたらどうだったんだろう、とは思う。
まぁ長続きするかどうかはわからないが、少なくとも学歴面で「前回」より劣ることはあるまい。
友達も変わってしまって、楽しく無いかも知れないけど、きっと僕なら、その環境になってもなお楽しさを探せるような気がする。割と前向きだから。
まぁ勉強面はそれくらいにして、妄想も普通にしてしまう。
任天堂とかSONYとかに話をしに行きたいよなって思う。
今でも当然のことながら宮本さんや山内相談役にいきなり話を聞いて貰うことは不可能だし、中一でできることなんて社会見学がせいぜいだろうと思う。でも、
僕が中一の頃=1983年はスーパーマリオ前夜なのだ。
この際仮に僕が「御社は来年スーパーマリオブラザーズと呼ばれる、ギネスに載るほどのソフトを開発します・・・」なんてことを「言ったばかりにそれが霧消してしまう」可能性に関しては棚上げしておきます。話が進まなくなっちゃうんで。
子供の戯れ言だと思われる可能性も非常に高いが、一方で、「今ほど宮本さんも忙しくないんじゃないか」とも思う。その頃の実家にはそこそこお金があったし、オヤジもバリバリだったから、頼み込んでぜひ任天堂に行き、
中学生だけど任天堂に入社させてもらえないかアタックしてみる。
ああでもそれも「42歳」までなんだよな。見えてたのは。それ考えちゃうとある意味「バリバリの世代」で「アイディア(正確には記憶)が枯渇する」という最悪の人材になる可能性も高い、、、かとも思うけど、置かれた環境でいくらでも人は変わっていくだろうとも思うんだよな。
DSと3DS、両方を見せて、どちらが成功したハードだと思いますか?
と問いたい。そしてその理由を話したい。
・・・
阪神大震災やアメリカのビル爆破テロなんかは、「予想したと言ったところで何も変えられない」と思うけど、ゲームを作ってる人たちは、なんとなくだけど、子供の声に耳を傾けてくれそうな気がする。「こういう未来になります」という「ひとつの事実」を、まじめに聞いてくれそうな気がする。携帯電話やインターネットや海賊版やCDROMやHDDやマウスや液晶テレビや電気自動車が「やってくる」未来の話を、
誰に一番したいかと言えば、宮本茂以外にない。
※あとちょっと伊集院にも言いたい。
ゲームボーイでポケットモンスターが出るよ、と。任天堂DSで脳トレを出すよ、と。どうぶつの森ってゲームは、スマッシュブラザーズは、SEGAは、、、SEGAなんて、
ソニックとマリオが一緒にオリンピック競技をするソフトを任天堂が出すよ、
なんて話は、さすがに説得力マイナスになっちゃうとは思うけどさ。
バーチャルボーイがどうなってしまうのか、ニンテンドー64が苦戦を強いられてしまうこと、軍平さんが交通事故で他界されること、、、。
でももし今、例えば30年後の未来から、「そういう話」をしに誰かが目の前に現れたら、果たしてどう思うだろう。「信じるか信じないか」で言えば、100%信じないだろう。でも、「信じないけど興味はある」と思う可能性も、そこそこ高い気がする。誰だって、「自分の興味のある話を面白くしてもらえたら」、ついつい耳を傾けてしまうだろうし。
でも、もしそんな状況で「いろんな話」ができる相手がいたとしたら、「話したい事」がありすぎてどうしたらいいんだろうって思ってしまうかも知れないな。
当時CDを焼くための機械は200万円くらいするって噂があったけど、30年後には1枚10円以下で、機械も2000円とかになってしまうんだよ、とか、今カセットテープだけど(1983年なんてそんなもんだったと思う)、それがフロッピーディスクになり、MOってのが一瞬出て、CDに、そしてDVDに、でもってブルーレイってメディアになるんだよ、とか。ちなみに2層式ブルーレイ1枚は、今度出るファミコンディスクシステム両面の40万倍の容量なんだよ、とか、、、
夢のある話だなぁ・・・
今から30年後にはブルーレイの40万倍=20ペタバイトのメディアが登場してたりするんだろうか。
20ペタバイトの容量で何を保存するんだろ。
それってでも30年前に「50ギガバイトで何を保存するんだろ」ってのと同じ感じだよね。「8メガロム=1メガバイトロムのメタルスレイダーグローリー」<まだ当時は発売されてないけど。5万本分の容量・・・。
イマジネーションのキャパシティを大幅に超えてしまう気がする。
256×240ドットのファミコンの解像度。30年後には4000×2000なんて数字が出てきてるんですよ!?テレビはなんと、横長になるんですよ奥さん!なんとテレビにトイレまで付いちゃう時代が来るんです!あと、人間もファックスで転送できたりもしちゃうんです!
ちょいちょいウソを入れたくなるけど、それやっちゃうと絶対ダメだと思う。ただでさえ「全てがウソくさい」んだから。
・・・
人はいろんな記憶で形作られているけど、例えば音楽一つとっても、「摂取し続けなければ風化して『懐かしく』なってしまう」。もし過去の世界に飛んでいったとしても、42歳の今と13歳の当時は、時間の流れ方が全然違う。今なら1年経ってもさほど変わらない記憶も、当時はとんでもなく昔のことになってしまうと思う。家族や今の環境全てが、どんどん僕の中で薄れていって、「そこでの僕」に上書きされていってしまう。そしていつしか、
※それも30年とかそんな長い時間ではなくて。
「当時に戻った僕」は「当時の僕」になってしまうんだろう。
大震災も、当然のように忘れ去っていて、「少しでもできたであろう何か」を一切せずに、自責の念に苛まれるんだろう。
それでも毎日それなりに生きて、42歳のある日、
もうすぐ「あの日」が来るんだな
って思うと思う。それを考えるだけで、なんだか凄く怖くなる。あり得ない話だけど、なんだか凄く怖くなる。
僕は今の生活が大事なんだなって思う。
きっとそれは、過去に戻っても「その自分の今の暮らし」が大事って思うことにも繋がると思うんだよな。
なんだかよくわかんないけど、▲▲▲付けておこう。
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コメント
2010年4月6日火曜日に…
投稿: | 2013年3月 2日 (土) 21時11分