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2013年10月17日 (木)

ポケモンについて考える~Xその2~

これを書いているのはまだ初日10時間半を終えた状態。結局あの日は急激な睡魔に襲われ、倒れるように床に就いた。結構涼しくて明け方のどが少し痛い。

 ポケモンの呪いか!?

別に呪われるようなことをした覚えはないが、何となくそう思う。もちろん今日の話はそんな「呪い」の話ではない。

マルチで遊ばず、かつひとりでカセットを2本買ってない自分としては、、、つか不意に「カセット」って書いちゃったけど、この表現って、子供の頃お袋が「またファミコンばっかりやって・・・」ってスーファミやメガドライブプレイ中に言うのと同じ感覚だよな。つか、

 「ソフトを2本買ってない」

は絶対的正解ではあるけど、
※仮にダウンロードであったとしても。
あの小さなROMはカセット:磁気テープなどを収めた小型のケース、という条件を満たしているとも言えるよな。磁気テープではないけど、何らかの情報を記録するメディア、もしくは装置である以上、「磁気テープなど」の「など」の中に含まれる気もするし。

 だから店頭でパッケージ版を買った自分が、「カセットを」という表現を使うのは、なんら間違いではない。

そう言いたかったわけです。つかPS3やらWiiUやらのディスクメディアの場合は「カセットではない」と思うけど、Vitaも今は「カセット感」があるよな。

 まぁ余裕の脱線だが。

ともかく、本来の意図(子供達が友達と交換したり対戦したりして盛り上がるツール的意味あいを多分に含んだゲームソフト)に「則さない」遊び方を強いられる環境にあるということをまず、なんつか噛みしめた。

今日はそんな話を支離滅裂にする。

もしポケモンが「ひとりでも十分楽しめる」ように作られているとしたら、発想的には道路やダンジョンごとに、出現ポケモンがリストとして表示され、それらを穴埋めしていくような「仕掛け」があってもいいはずだ。

全種類のポケモンを集めるという、最終ではないにしろ大きな目標がある以上、それをより「煽る」演出は不可欠。「この枠のポケモンはXでは出ません」と書いてあれば、Yも買いたくなるトリガーになり得るし、そこをピンポイントで探し、目標を達成することも出来る。ひとつひとつのエリアを順に潰していけば取りこぼしもないし、極端なレベル差による違和感も軽減出来る。

 だが、それはつまり「情報交換のコミュニティ」を否定することでもある。

「あそこの草むらで○○出たぜ!?」とか「○○がどうしても欲しいんだけど見つからないんだよね」みたいな会話を、友達同士ですること、そのことそのものが、ポケモンの面白さの根幹部分ではなかったか。

しかし、きょうび欲しい情報はネットでほとんどが手に入ってしまう。

・どのポケモンが強い
・どのワザが使える
・どのワザを覚えられる
・どこで手に入る

などの情報は、ぶっちゃけ友達から得るより先にネットで探されてしまうだろう。もちろんヒンバスのように「情報を知っていても容易に手に入れることは出来ない」種類のポケモンもいるので、それだけが全てではないが、

 実際のトコロ友達同士の情報戦で優位に立つか否かは、ネットリテラシーとプレイ時間がモノを言う。

たとえ小学生であろうと。

そう考えると、正直僕らがポケモン黎明期に胸を熱くしたバランスや出会いを、今同じように体験することは極めて難しいという結論に至ってしまう。というか同時に、今のポケモンは、「そういう楽しみ方」をするものではない、という答えも導き出されてしまう。

もちろんポケモンのプロモーション動画を撮るとか、
※ゲーム内で可能。10秒だけど。
キャラクターの服を買ったり、直接戦闘には関係しないグッズを揃えると言った、「女の子向け」の遊びの提案や、完全なミニゲーム、ネットを介した様々なコミュニケーションの提案をして、

 訴求点を多様化しようとしている

のはわかりすぎるほどわかる。

 だが、それはあくまで枝葉末節であると僕は思う。

集め、育て、勝つ。まさに「努力、友情、勝利」※順番は違うけど。と同じモチベーターが、ポケモン本来の魅力だったはずだ。

 一周まわって、ゲーム内でそれらの情報がもっと開示されていてもよかったのではないか、と思う。

始めに書いたリストを埋める仕組みも、例えばどのワザを覚えられるかどうかも、記憶メインに攻略本とサイトでフォローするのではなく、最初からゲーム内で教えてくれてもいいんじゃないか。「5番道路では8種類のポケモンに会えます」と。「○○は雌雄でかなり見た目に差があります」と。

僕は今のところネットで一切の情報を手に入れてない。
※正確にはあの大きな街から出る方法を検索したのだけど、ヒットしなかったので自力でがんばって脱出した。

もしかしたらそれが原因で、「ポケモンXを楽しめていないのかも」とすら思う。クラスメートや兄弟、親子と言った「閉じたコミュニティ」でのマルチプレイの楽しさではなく、もっと広く世界中のプレイヤーとコンタクトすることで得られる楽しさを志向したのか。まぁ今の僕にはまさに閉じたコミュニティの相手がいないわけだから、より強く「対外的なコミュニケーション」を志向する必要があるのかも知れない。

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ちなみにそんな微妙な居心地の悪さと同時に、「スクリプトの質の悪さ」も感じている。これほどのビッグタイトルであるのに、言葉を発するキャラクターの大半はくだらないことをくだらない言葉で話すだけで、

 話して損した。

と思う。一方同様の見た目にも関わらず、とつぜん有用なワザマシンや「だいじなもの」をくれたりする人もいて、結果全員無下にせず話をしていかなければならなくなっている。

 そこまで調べてプレイしろ、ってことなのか?とも思う。

ドラクエレベルに、とは言わないが、初代ポケモンやゼルダは、こんなにチープな会話はしなかったはずだ。中には気の利いたことを口にするNPCもいるにはいるが、

 もっと徹底的にブラッシュアップできただろ、これだけのタイトルなんだから。

というのが正直なところだ。具体的に思い出せないけど、「殺したいほどつまらないことを吐くキャラ」が結構たくさんいた。

あと、前回も書いたけど、ここまでスクリプトが悪いと、勢い話を聞く気も失せる。結果全てのメッセージを読み飛ばすことになり、重要なヒントすら見失ってしまう。昨今大きめのタイトルであれば、

 今から何をしたらいいかわからなくならないように、日記的に前回のエピソードを紹介してくれたりしてたはず。

ピクミンもゼルダもそうだったと思う。でもポケモンはそれがない。「どこに向かうのか自由」もしくは「行動半径は徐々に広がるように作ってあるから、その必要は薄い」のかも知れないが、

 少なくとも親切ではない。

速い移動速度、学習装置、みねうちの早期習得など、ポケモンを集めやすくする仕組みは、これ以上ないくらいユーザーフレンドリーになった。だが、そこに同時に仕掛ける障害が、「つまらない会話」「会話のしづらい仕様」「無駄に広い街※要脱出フラグ」というのは、正直ゲンナリだ。

 純粋にボリュームを上げ、移動の障害を無くし、一気にずっと先のエリアまで行って強いポケモンをゲットする、そんなロマンがあってもいいんじゃねぇの?って思った。いろいろ進化して新しくなっているが、

 やっぱり初期の頃と比べると、不自由な感じは否めないな。

でも昨日タツベイに会えたんだよな~。コモルーはともかく、ボーマンダはかっこいいから嬉しい。あんま強くはないけど。バンギラスやカイリューもいるのかしら。あ、あとヒトデマン使ってきたトレーナーもいたな。いるのか~。スターミーは一時代を築いたポケモンだもんな~。

 普通にそんなことだけを考えて遊びたい。

とりあえずカモネギをゲットしに行こう。話はそれからだ。

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