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2014年2月 4日 (火)

ゲームの面白さってさ、、、

当たり前の話だけど、人によって全然感じ方が違うよね。あるゲームがあったとして、そのゲームを「面白い」もしくは「楽しい」「傑作」だとする人が何人もいたとしても、それぞれがみんな同じトコロを快く感じ、評価してるとは限らないじゃない?まぁだからこそ、自分と似た価値観や判断基準のレビュアーなりレビューなりを信頼したり、注視したりするわけなんだけど。

ファミコンの頃は、それでもまだプレイヤー側が不慣れだったこともあって、「楽しめないこと」の理由に、「自分がまだまだ」だと考えたりすることも多かった気がする。「下手だから楽しめない」「ルールがわからないから楽しめない」。でも今は、「下手でも楽しめるように作られていない」とか、「ルールがわかりにくい。説明不足」みたいな視点になったりする。要は自己中心的にゲームを見るようになってきている気がする。

でも、それは別に何らおかしなことじゃない。ファミコン時代の洋ゲーをプレイするとよくわかるけど、「日本人どころか人間が楽しめるように作られていないタイトル」、つまり「粗製濫造」されたタイトルがいくらでもあった。だからこそファミコン前夜に「アタリショック」が興ったのだし、

 セガがプラットホームホルダーから撤退したりしたわけだし。

ユーザーに媚びるというのは、言葉にするととても侮蔑的な印象を受けるが、要はニーズに即した商品展開をすることが「不可欠」になってきているだけだと思う。わがままなユーザーの声をスルーし続けても支持が集められるのなら、その会社とそのコンテンツは、決して衰退したりしない。事実、そのスタンスで今でもファンを獲得しているシリーズ作品もきっとあると思う。

 でも、やっぱそんなに多くはない。

昨日オフの友人であるnoriくんから電話があり、「ガーディアンズという映画が面白いよ」と言われた。調べてみるとその作品は、ドリームワークスのCGアニメで、監督は名も知らぬ人。日本での劇場公開はされていず、DVDだけがひっそりとリリースされた作品だったのだという。

しかし、日本で劇場公開されなかったからと言って、その作品がカルト寄りのコアなファン層にしか訴求しない作品だったのかというと、どうやらそんなことは全くない様子なのだ。というかむしろ、

 潤沢すぎる予算があてがわれ、本来の(監督の)ポテンシャル以上に多くの顧客に訴求する作品作りが求められてしまった、ある意味不遇の作品だった。

30億で作って100億売る作品が本来作りたかったものだとすれば、150億で500億売る作品を作るハメになってしまった。結果そこにはより多くの消費者に訴求する要素をどんどん折り込むことになり、「詰め込みすぎ」「無駄の多い」作品になったと批評家からは酷評されてしまうことになった。

だが、nori君を含む一般の消費者の反応は、存外そうではなかった様子。

ドリームワークスと言えば、まずカンフーパンダそしてヒックとドラゴン、シュレックシリーズが頭に浮かぶが、
※個人的には、シンドバッドやペイチェックも挙げたいところだが。
本作はそれに負けず劣らずの「エンターテインメント」として仕上がっていたという。
※近々見る予定だけど、まだ僕は見ていない。念のため。

そして興収も、500億円はムリとしても、300億は稼ぎ出したのだという。
※制作費は160億円。

結果から言えば、なんで日本で公開しなかったのか、むしろ不思議なほどだ。

・・・

僕も昔はとんがった「最先端を感じさせる」ゲームが好きだった頃がある。「RPG」というジャンルの出始めに感じたその「神々しさ」。「データが保存出来る」というディスクシステムの先進性。シミュレーションとRPGの融合とか聞いた日にゃ、「ワクワクが止まらない!」みたいな?新しいシステムであることがそのままゲームの魅力になり、それでしか得られない快感こそがゲームの進化だと感じていた頃もあった。
※具体的にはPCエンジンのネクロスの要塞やサイバーナイト、メガドライブのグラナダ、ファミコンのダークロード等々。

でも、僕も歳を取るし、市場も成熟する。以前は「これ以上ハードは進化する必要がない」とか言われても、「はん?それはオマエの視点での話だろ?」と斜に構えた僕だったが、正直PS4とONEには、現行機からの明確な差異、進化を感じることが出来ない。というか、

 解像度で言えば、1280×720と、1920×1080の差を、あまり強く認識できないほど。

言われればわかるのかも知れないけど、じゃあたとえば昨日テレビでやっていた映画の解像度がどっちだったと聞かれて、スッと答えられる人はそうはいないと思う。要は、

 スペックが、必要十分な進化の袋小路まで来てしまった。

だから余計に、「新しい物の魅力」を見いだしづらくなってきた。前までは色数が多くて画面に出てくるキャラが増えて、背景が別々にスクロールして回転して縮小して音の数が増えて、、って感じられた進化、わかりやすく目に見える進化が、今はもっと個人個人にフィットする、「過度なフレキシビリティ」を求められるようになった気がする。というか、

 そうじゃないとフック出来ない自分に気付いた。

もちろん風呂敷を広げず、あえて小さなペン先でいろんな方向に傾くことが出来る、小さな隙間にも入ることが出来るタイトルもたくさん出ているし、支持も集めている。2時間の大作映画じゃなく、10秒のビデオクリップの方が、より多くの視聴者により多くの回数見て貰えるってことは十分あり得る話。

 でもやっぱそこで感じられる満足と、本気の本気でお金を掛けて作った作品から得られる満足は、明確な違いがあると思う。というか、

 違いがあって欲しい。

自分の嗜好が「ペン先」に寄っているのを感じつつ、大作を求めていて、でも実際の市場には僕の求める大作がほとんどなくなってしまっている今日この頃。振り返れば、2013年のモンハン、ポケモン、FF、ゼルダという流れは、

 贅の極みであったのと同時に、最後の花火だったのかも

とも思ったりするんだよな。ゲーム側だけでなく、自分の方の感性や許容力、対応力みんなひっくるめてさ。

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