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2014年5月18日 (日)

GalaxyS5~その4~

引き続きGalaxyS5のネタである。読んでる人がいるかどうかはわからないが、こういうのをきっちり書いておくと、次に機種変したときにいろいろ楽なのである。みんなもメモとか残しておくといいと思うよ。マジで。

●充電時間が、、、

あまりにも遅いので、ちょっと試してみたところ、

・電源オフ、残量15%、PCからUSB接続

この条件で、1時間後、

 わずか30%まで(+15%)しか回復してなかった。

一応今回のS5発売に合わせて、新型の「急速充電器2」というのが出たらしいのだけど、そのパフォーマンス発表では、
※15%から1時間という同条件下で

・急速充電2 92%まで回復
・通常 50%まで回復

と表示されてた。

 50%と30%は20%の違いじゃないよ?

 +15%と+35% 2.3倍の違いがある。

いくらなんでもそれは違いすぎるのではないか。っていうか、NEXUSの時でも、充電しながら使っていて減っていくアプリは少なかったのに、今回は、普通にネットしてるだけでも減っていく。

うーむ。

ちなみにLTEは切ってあって、Wi-Fiオンリー。画面は輝度真ん中という状態。

ただ、これはもしかしたらコンセントからだとかなり変わるのかも、とも思うんだよね。あくまでPCからのUSB給電だからなのかも、と。次回また15%&まで下がったら実験してみようと思う。

●ジョルテの移行

ちなみにジョルテとは、いわゆるスケジューラーである。NEXUSにしたとき、たぶん週アスでオススメされていたので入れて、そのまま今まで使っているのだ。全く不都合はなく、このまま使っていくつもりであったが、出来たら過去の書き込みも移したい。ということで調べてみたら、

 グーグルカレンダーとかジョルテクラウドとかと同期が必要っぽい。

やるとなったらやる男である。やらないとなったらやらないし、忘れると言ったら何が何でも忘れる男である。

具体的な手順としては、

・パソコンでジョルテIDを作り、クラウドに登録する
・NEXUSとS5の両方でグーグルカレンダーとかクラウドとか同期を選びまくり、今すぐ同期を選ぶ

何度やっても同期しないので、ネットで再度調べたら、

 双方を最新版に、との記述が。

NEXUSは全てのアプリの更新を止めている。
※ちなみにS5も止めたいのだけど、やり方が分からない。

グーグルプレイからジョルテを開き、更新。するとどうでしょう。水曜どうでしょう。

 見事にPC版、S5共に予定がいっぱい書き込まれたカレンダーが出現。

5/17 セブンイレブンでパンを買う306円

みたいなのも書いてある。バッチリだ。

●AK NOTEPAD

ジョルテとは別に、気軽にどんどん書いていくメモアプリ。こちらは「CATCH」と呼ばれるクラウドサービスと連携していたらしかったが、残念ながら既にそのサービスは終了していて、そっち方面の同期は出来なさそう。

ただ、設定画面に「エクスポート」の文字を発見。とりあえず選択してみると、「ファイルをSDカードにエクスポートしました」の表示が。

 NEXUSなのにっ!?

そう、NEXUSにはSDカードなどないのである。ありもしない妄想の中にエクスポートしたのだろうか。そう考えるとAK NOTEPADなかなかやりおる。だがもちろん妄想のままではどうにもならないので、それをS5にインポートしなければならない。一旦PCでそのエクスポートファイルを待避し、S5にバトンタッチだ。

 ・・・SDカードってどこ!?

ヤツの妄想は本当に妄想だったのか。一瞬たじろぐが、NEXUSでESエクスプローラを起動すると、あっさりと存在が確認出来る。

 こちらからは見えるのに、向こうからは見えないのか。

なんだかどこかで聞いたことがあるような設定だが、めげているわけにも行かない。気を取り直して、、、

・エクスポートファイルをPCからも視認出来るNEXUS上のフォルダに移動
・PCから先のファイルを探し、待避
・そのファイルをS5に移動
 ※わかりやすくジョルトのフォルダに入れてみた。

あとはこのファイルをS5上のAK NOTEPADから探してインポートすれば良い。

●なんか新しいスマホだから出来る楽しいことってないの!?

カメラは楽しそうだけど、読者様はつまんないだろうからな~
→ゴルフのスイングコマ送り写真みたいなのを、テレビ画面で撮ったりも出来るのかしら?
 →背景が動かないゲームじゃないと無理か
→月は撮れるのかな?
 →本体を固定する方法が不可欠か

思い切ってフェイスブックとかツイッターとかやってみる?
→面倒でやらないくせに・・・

●カケホーダイが始まったら、LINEはかなり影響受けるだろうな

表題通りのことなんだけど、LINEは所詮相手が対応端末とアプリを持ってなければどうしようもないのに対し、カケホーダイの対象はほぼ全て。どちらも電話代が掛からないと言う点では同じでも、LINEを使う=パケットを消費するわけだから、2GBなり5GBなりの上限を意識しなければならないことを考えたら、

 実質カケホーダイのメリットが絶大。

もちろんLINEならではのスタンプや文字、写真を使ったコミュニケーションは今後も十分アイデンティティを持って支持されるだろうけど、

 無料電話として使っていたユーザーは、かなり離れていくと思う。

破竹の勢いでユーザーを増やしてきたLINE。案外カケホーダイのサービスは、競合キャリアよりLINEユーザーに対しての脅威になるのかも知れないな。っていうか、

 LINEメインで使ってた競合キャリアユーザーに対して脅威になるなら、それはつまり競合への脅威ってことなんだけどな。

●iPhoneとアンドロイド

こないだネットで、「両方使った経験がある者としては、iPhoneがアンドロイドに勝ってる点がどうしてもわからないんだけど、、、」というスレがあり、返答は大きく分けて二つ。

・ブランドバリュー
・わかりやすさ

ふむ。確かに、猫も杓子もiPhoneを持っている。みんなが持ってる物がイコール正義であるとする価値観は、むしろ当然とも言えるし、寄らば大樹の陰、トラブルや疑問点などに対する安心感は、「わかりやすさ」と並んで、ライトユーザーには大きく訴求しうるだろう。もっとも、nyaruさんが書かれていたような「iPhoneオンリーのアプリ」に魅力を感じて使ってる人も少なくないだろうけど。
※音ゲーとかシビアなタイミングを要求されるアクションパズルなんかは、スペックにバラつきが多いアンドロイドだと、フレームレートに著しい差が生じてしまって、ゲームそのものが成り立たなくなってしまうケースもあるけど、iPhoneならばその辺りのチューンがしやすいし、それはそのままユーザーへの訴求力にも繋がる。ただ、昨今の「iPad」の存在が、「大画面用にチューンしたゲーム」を生み出し、iPhoneで遊ぶのに多少なり難があるケースもありそうだけど。

ただ、その3点。「ブランド」「わかりやすく安心」「JUBEATなどの専用アプリ」に魅力が薄い場合は、アンドロイドに軍配が上がる気がする。
※あと「軽い」とか「小さい」ってのは機種次第でアンドロイドにも小さくて軽いのあるし。
というか、そもそもコンピュータで毎日ブログを書いてるようなヤツは、そもそもそれなりの知識があるわけで、そんな輩からしたら、やっぱりiPhoneは弱い気がしてくる。「iPhone4」とは言え、一時的に使ってみてのネガティブ感想としては、

・画面が小さい
・戻るボタンがない<慣れだろうけど
・自由度が低い(特にPCとの連携や、ファイル管理)
 →カスタマイズ性が低い
・バッテリーが自力で交換出来ない
・画面の色が変
 →発色が悪いというか淡い

それぞれに「慣れ」があるのは当然だから、息子が僕のNEXUSに「レスポンスが悪い」とか「重い」とかの不満を抱くのも不思議ではないし、例えばサイトを開いてブログに書き込む、みたいな一連の操作に「しやすさ」の差が出るのも当然ではあるのだけど、全てひっくるめて、

 何を重視するか、だと思った。

何だかんだ言ってiPhoneの方が、

 ギャラクシーよりオサレ。
※人によっては何より重要だろうな~

パソコンとか使い慣れてない人には、アンドロイドの突き放した感じはハードルも高いし、使い慣れてる人にはiPhoneの縛りのキツさが煩わしいと思うし、

 ざっくり、ホントにざっくりだけど、アンドロイドは男性的で、iPhoneは女性的な気がする。

iPhoneの方が面倒じゃない(わからなくてもユーザーが多いから訊きやすいとかも含めて)。電話とかもiPhoneの方が使い勝手がいいって聞くし、何でも出来る分バッテリーの減り方もアンドロイドの方が派手という気がする。充電ケーブルもiPhoneの方がアンドロイドより挿しやすい。まぁ今回同梱の卓上ホルダは女性的だったと思うけど、でもそれは女性が好むカバーを否定する仕様。正直長男もJUBEATがなかったらアンドロイドの方が相性がいいんじゃないか、という気もする。

ゲームハードと同じで、iPhoneにしかないタイトル、アンドロイドにしかないタイトルが遊びたいなら、それを買うしかない。ゲームハードと違うのは、そのハードへの継続縛りがキツいということだ。大枚はたく覚悟がなければ、「まず2年」は片方を継続利用することになる。もちろんその後シフトすることも選択肢としては存在するが、何だかんだ言って2年も「慣れさせられた」あとだと、別のOSには移りにくいのも事実。そう言う意味で言えば、長男経由でiPhone側のハードに触れることが出来たのはラッキーだったとも思う。自力ではなかなかチャンスがなかったと思うし。

今の世の中クロスプラットフォームは当たり前。今後どんどんソフトウェア面での差違は縮まっていくだろうし、レスポンスに関しても、画面サイズに関しても同様だろう。
※ウワサのiPhone6は画面4.7インチで、S5とほぼ同等の大きさらしいから、ホントにそれぞれの差違が縮まっていく気がする。

同じソフト、同じ見た目になった未来、二つの差は、

 安心感と自由度

自分で言うのもなんだけど、ホント「女性的」と「男性的」という気がするな。

●NEXUSからS5 4.0から4.4へ

先日PS4がPS3とあんま変わった印象がないと、端から見たら同じじゃないかという話がちょこっと出たけど、NEXUSからS5に関しては、

 結構変わった気がする。

前回はフルHDになっても違いが分からないみたいなことを書いたけど、

 いざNEXUSに戻ってみると、
※充電中という理由で

 結構画面がポップに見える。

この場合のポップというのは、プレステ1からプレステ2、プレステ2から3にシフトした際に、過去ハードに触れて感じる、

 アバウトさ。

まるでオモチャのようなメニュー画面。その時代その時代でベストな「洗練さ」を持ってデザインされてるはずなんだけど、DSのメニューより3DS、GCよりWiiの方がメニュー関連はより精度が上がってる印象を受ける。

 それがつまりは解像度のアップなんじゃないか、と。

文字が大きくなってるところもあるんだけど、個々の設定画面はより深く、広く追い込めるようになっているし、レスポンスの向上は、明確なスペックアップ、「未来化」を感じさせる。わかりやすいところで言えば、

 XPから7になったような違いがある。

だからXPが好きで使ってる人でも、いざ7に触ってしばらくすると、

 XP、なんだか古くせぇな・・・

って感じになってしまったりする。
※もちろん使いやすいようにいろいろ手を加えていくのは前提だけど。

・・・

僕がNEXUSに替える前は、ノキアのかなりシンプルな携帯電話だった。3年半くらい使ったその機種は、NEXUS購入前に既にかなり「化石化」が進んでいて、初めてのスマホに大きな衝撃というか、「愉快さ」を感じた。

さすがにそれを思うとこのS5への落差、インパクトは小さなものではある。でもたぶんきっとやっぱり、

 使い続けていけば、その快適さや便利さに傾注していく気がする。

何気なく撮った一枚の写真でも、モニターの性能が良くて解像度が上がってて、カメラの映像素子が大きくて画素数が増えてると、

 やっぱり綺麗なんだよな。

初見時の評価をちょぴっと上げて、GalaxyS5、★★★☆(7/10)とします。
 まぁ移行は面倒だけどな。

PS.ファイナルファンタジーアギトのスマホ版がリリースされたけど、なんと!ビックリ!

 NEXUSでもS5でも動かないっ!

やっぱiPhoneも悪くないか、と思った次第。

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コメント

ここ数日のGalaxyS5ネタがとてもツボだったので、クリスさん風にいうなら琴線に触れたので久々にコメントします。

僕はライトユーザーどころかまさにブランドバリューのみで、iPhoneを選択するようなミーハーなので、スマホひとつでここまで深く入り込む人が単純に面白い。

情報収集して、分析して、歯に衣着せぬ評価に時折ジョークも交えつつ文章に書き起こす能力凄いです。読んでいて小気味良い。こういうジャンルの読み物では、クリスさんが尊敬してやまない(ことと思う)伊集院光さん超えてるんじゃないかなって思います。あの人の文章も非常に濃いし、面白いんですけど、脱線が本線みたいになってしまうほど飛ばすので、僕みたいにちょっとニブイ人には読みづらく感じてしまうこともあるから…

あまり褒めちぎると、お寒い感じになってしまうかもなので、この辺で。
楽しい記事をありがとうございます。
またROM専に戻ります。

投稿: Punkero | 2014年5月19日 (月) 03時19分

ちすPunkeroさん、クリスです。たまに常連さんが浮上してくるとホッとしますね(^^。アクセス数は900前後まで下がっちゃいましたが、
※某有名タイトル祭りが収束したため。
まだ読んで下さってる方はいるんだな~と思えるので。

>スマホひとつでここまで深く

そうですよね。僕もノキアやその前の普通の携帯を使っていた頃は、特にiPhoneどころかiモードのアプリですら「未知の領域」で、そこを掘り下げる人の気持ちが全くわからなかったりしました。

ただ、要はPCであり、ハードなんですよ。もちろんソフトあってのことなんですが、例えば新しいゲーム機を買ったら、当然それ専用のゲームが欲しくなる。それ専用のゲームはとどのつまり、「新鮮な娯楽」だったりするわけで、ことスマホに関しては、「ゲームがそのまま本体の魅力を司るキーになるわけじゃない」という違いはありますが、触れば触っただけ返ってくるものはあると思うんですよね。

文章を褒めて下さったのは素直にとても嬉しかったです(^^。というか、

 この一連のGalaxyネタを全部読んでる人がいたという点で既に嬉しかったです(^^

自分で言うのもなんだけど、

 クソ長いじゃん!?

途中多少工夫して余談を交える努力をしたりもしたんですが、

 結果もっと長くなってんじゃん!?

よく付いてきて下さったなぁと(^^。ただ、これは伊集院にも言えることなんですが、

 やっぱり歳を取ってきたことは凄く実感してしまいますね。

忘れっぽくなったこと、同じことを繰り返し言うようになったこと等々。まぁそれでも読者様も同様に歳を重ねてはいくわけで、

 お互いが(その点)理解していれば問題ないのかな

と甘えた考えになってたりもしますけどね~(^^;。

ちなみに余談ですが、僕が物書きとして尊敬してるのは伊集院じゃなくて永田泰大(元ファミ通ライター風のように永田)さんです。伊集院はどちらかというと「同じ人種」として心強いと感じさせるアニキみたいなもんですね(^^。
※永田さんは、ブログでも何度か出てきてますけど、本当に好きですね。あの人のような文章が心から書きたいと思います。

せっかくなので、氏の文章の中で特にお気に入りの一節を無許可で貼り付けてしまいます。もし面白かったら感想聞かせて下さいね(^^。
※もちろんスルーしても結構ですよ?

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VOL.11
しりとり

text:永田泰大

 適当なことを書くことの象徴として、たとえば“しりとり”について書こう。

 話は中学時代にまでさかのぼるが、暇を潰すことに全精力を傾けていた。寸暇を惜しんで暇を潰していた。すきあらば熱心に暇を潰していた。

 だいたいそのときのバスケ部の仲間は6人いた。標準的な中学生が、どのようにして暇を潰していたかはよく知らないけれど、僕らときたら何もせずにボーッと過ごすということをしなかったように思う。

 たとえば、トランプはありとあらゆるルールを試した。ポーカー、大富豪、神経衰弱、どぼん、スピード、51、ツーテンジャック、セブンブリッジ、などなど。6人が過去に蓄積した知識を集めると、代表的なトランプゲームはほとんど出尽くしてしまう。

 すると誰かが古本屋からトランプの本なんていうものを買ってきたりして、ひどくマイナーなゲームなども試してみるようになる。スーパーマーケットなんていうゲーム、日本でどのくらいの人が知っているんだろう(あ、でもこの名前は僕らが勝手につけたスラングだったような気がしてきた)。

 さて、いくつかのゲームを飽きもせずにやっていると、僕らは(とくに僕は)それにアドリブを加えてしまう。つまり、より僕らが飽きない方向へとルールをアレンジし始めてしまうのだ。とはいっても、世に残るトランプゲームのルールは熟成された名作ばかりだから、それ自体を曲げるわけではない(だいたい、やり始めたゲームのルールを変化させていくことはそれまで遊びをちゃらにしてしまう可能性があるし、瞬間瞬間の真剣味を薄れさせてしまう)。

 だからたとえば全員にマッチ棒を20本ずつ分けて、勝負のたびにそれを行き来させる。それが硬貨や紙幣に変わることは、残念ながら中学生なので、ないわけだけれど、これだけでゲーム性は飛躍的に向上する。

 さらに、マッチ棒がなくなったものに罰ゲームを加える。あんまりくだらなくて書くのもバカバカしいんだけど、たとえば部室で遊んでるときは、バスケットボールが詰まった籠の中にそいつを埋めて全員で上からバスケットボールを投げ込むとかさ。

 そんなことを、夏休みの練習が終わってくたくたになったあとに熱心にやっていたわけだ。だって、練習が終わってから夕食までは暇だったからね。

 いつまでたってもしりとりの話にならないけれど、気にせずに進めよう。

 コントラクトブリッジの話を忘れていた。

 アガサ・クリスティーの小説に『ひらいたトランプ』というのがある。これは、イギリスでとっても有名で、日本でとっても無名なコントラクトブリッジというゲームをトリックに使った推理小説で、お話のデキ自体は、そうたいしたことはないように記憶している。

 ただ、そこに登場したコントラクトブリッジというゲームは、僕らが一度も試したことのないものだった。

 ならば、ということで張り切って始めてみたんだけれど、いま振り返ってみると、あのゲームは14歳かそこらの中学生が簡単に遊べるようなものではない。しかし僕らは熱心だったから、『ひらいたトランプ』の巻末についていた(あまり親切とはいえない)ルール解説だけを元になんとか遊べるようになってしまった。

 脱線ついでだけど、オールプラスティックのトランプセットに、ジョーカーとも違う、なんだかわけのわからない表のついているカードがあるでしょう? あれって、コントラクトブリッジの得点表なんです。いまもあのカードはついてるのかしら。

 さて、そんなふうにして、僕と僕の友だちは僕ら固有の知識を蓄えていった。それは、トランプゲームのバリエーションが増えたというだけのことではなくて、トランプセットについてくる謎のカードがコントラクトブリッジの得点表であるだとかいうことも含まれている。いろんなスポーツでよく使われるグランドスラムという言葉が、元はコントラクトブリッジの役満を指すということをいま僕が知っているのも、そういうことだ。

 もはや冗長気味という言葉で済まされないほど脱線しているけれど、気にせずに続けよう。なぜならこのテキストはフリーだから。

 そのころ僕が得て、いまも役だっている事柄のひとつとして、“ババぬき必勝法”がある。まあ、必勝とはいかないんだけれど、運がすべてと思われているようなババぬきにだって、立派に勝ち方が存在するのだ。

 もったいぶらずに書くと、隣の人がその隣の人から抜いたカードを抜き続ければいい。そのカードは、隣の人も、その隣の人も持っていない数のカードなのである。つまり、自分が持っている数のカードである可能性が、ほんの少しだけ高い。

 だから、ババぬきに人生を賭けるような局面に陥ったら、隣の人が抜いたカードから目を離してはいけない。そして、これに対抗するために、自分がカードを抜いて合わなかったら、手札をその都度シャッフルしたほうがいい。毎回これで勝てるわけはないけれど、もしもババぬきを1000回やったら、勝率は明らかに違ってくると思う。

 それで、僕がこのババぬき必勝法から得たものは、ババぬきに勝つということだけではない。ややこしい話だけれど。

 ものごとには、楽しむ方法があるということだ。

 自分しだいで、ババぬきに勝つ方法が見つかり、どんな状況にあっても(たとえそれが自分にしかわからない、ほんのわずかなものだとしても)少しだけそれを楽しむことが可能であるということだ。

 さてさて、話はようやく少しだけ本線に戻ってくる。

 トランプやテーブルや座れるような場所がないときに、僕らが興じていたのは言葉遊びだった。

 もはやその例を挙げることをあまりしないつもりだけれど、たとえば何人かが横一列に並ぶ。そして、先頭の者は、無作為な言葉を隣の人だけに教える。ええと、たとえば「もめんどうふ」とか、そういうやつさ。すると、2番目の人は、それと似たような響きを持つ言葉を隣の人にだけ教える。「もめんどうふ」なら、「市民プール」とか、そういう感じだ。それを人数ぶん続けていって、最後に最初の言葉と照らし合わせる。

 これだけの遊びなのだけれど、けっこう楽しかった。ゲラゲラ笑うといった類の遊びではなかったが、個人の機微というかセンスのようなものが混じるから、最初の言葉がどうよじれていくかを追いかけていくだけで十分に楽しめたのだ。

 いまもよく覚えているのは「はっぽうさい」という言葉が、巡り巡って「マホメット」になったことだ。なんだか知らないが、これには全員がうなった。満場一致で名作の誉れを受けた。その証拠に、20年近く経ったいまも僕はそれをこうして覚えている。

 で、しりとりだ。お待たせしました。

 率直に言って、僕らはしりとりの達人集団だった。アストロ球団だった。日光猿軍団だった。

 意味がわからないな。

 ともあれ、ご想像のとおり、僕らはいろんなやりかたでしりとりをした。

 通常のものはもちろん、歌しりとり、食べ物しりとり、動物しりとり、国名しりとり、芸能人しりとりなどなど。

 変わったものでいうと、“体にいいものしりとり”なんていうのもあった。これは、その人が「体にいい」と感じるものを挙げていくのだけれど、言葉をつなぐ楽しみのほかに、その人の世界観やアピール能力なども反映されておもしろい。だって、「あくび」とか「青空」とかって言われると、体にいいんだかなんだかわからないじゃないか。

 もちろんそこにも楽しみ方や勝ち方が存在する。賢明だったのは、僕らが勝ち方よりも楽しみ方を優先させたということだ。

 たとえば、絶対に勝ちたいならば、同じ言葉で終わるように言葉を挙げていけばいい。専門用語でいうところの“る責め(「る」で終わる言葉を連発して隣のヤツを困らせる戦法)”などを用いればいい。しかし、それはしりとりというゲームを終わらせることを意味する。それでは暇を潰すという基本コンセプトに反する。

 それで僕らは個々に言葉のバリエーションを闇雲に増やしていった。延々と続く勝負こそがしりとりの名勝負なのだ。

 たとえば僕は、「る」で始まる歌をいますぐ3つ歌える。人名は「子」で終わることが多いから、「こ」で始まる芸能人もたくさん言える。「プリン」と言ってしまったあとに「アラモード」と付け足すのは常套テクニックだ。

 そして大切なことは、バリエーションを増やせば増やすほど、高い検索力が要求されるということだ。データは、使いこなして初めて意味を成す。そしてそれを攻撃的にではなく、防衛手段として機能させる。それが、しりとりだ。

 「た」で始まる動物が回ってきた場合、僕の頭の中には「た」で始まる動物がずらりと並ぶ。瞬時にそれを、人が言いそうな順番に並べ替える。その先頭にあるものがいままでに言われてないかチェックする(語尾が「ん」であるものはリストからあらかじめ外されている)。そして僕は、素早く、かつ慎重に、「たぬき」と言う。それが、しりとりだ。
 ラリーを続けることが全員のコンセプトである。ラリーを自分のところで途絶えさせることが、負けである。それが、しりとりだ。

 だからしりとりの醍醐味は、誰もが言いそうな言葉を全員で言い尽くしたあとで、個々が個々のとっておきの言葉を言い始めたあたりに存在する。要するに、「たぬき」や「タコ」や「たか」のあとに、「たつのおとしご」や「タスマニアデビル」が言い出されたあたりである。「たにし」や「タイガー」は物議を醸すところである。「たけうま」はアウトである。

 そういえば、食べ物しりとりがクライマックスを迎えたとき、Tという男が「お」で始まる言葉に窮してしまい、苦悶の表情を浮かべながら「・・・お肉!」と叫んだ。それ以来、接頭語をつけることは禁止された。だってそれじゃ「お魚」もアリだし、「お野菜」もアリだし、「おみそ汁」なんてのもアリで、わけがわからなくなってしまう。

 こうやってルールを整えていくことも、遊びの一部である。そしてもちろん遊びは徐々にアレンジされて進化する。

 特殊な例でいうと、“いそうな動物しりとり”である。これもかなり(全員の)センスが必要とされるのだけれど、いそうな動物を並べていくわけである。「テナガモモンガ」とか、「ニホントナカイ」とかである。そして、全員が納得しないようなら、それがどういう動物であるか説明する。全員が「なるほど」とうなずけば認められるし、しどろもどろになると負けになる。個人的に僕はこれをかなり得意にしていた。ちなみに僕の自信作は「アリクイクイ」という、アリクイを食べて生きる肉食獣である。

 こうなってくると、もはやしりとりの範疇を出る。しりとりのルールを大枠に利用した違う遊びである。そうやって僕らは遊びをちょっとずつ変化させたり、遊びのルールを整えたりしながら暇を潰していったのである。

 そしてやはり遊びは原点に戻ってくる。しりとりを極めた、しりとりの石原軍団である僕らが最終的に辿り着いたのは、“3秒しりとり”と呼ばれるノンジャンルの通常しりとりであった。

 語尾が「ん」なら負け。一度出た言葉を言うと負け。それ以外なら何を言ってもかまわない。ただし、制限時間は3秒しかない。要するに、言葉を挙げた人間が、すぐに「1、2、3」と数え始めるわけだ。「ゴリラ。1、2・・・」「ラッパ。1・・・」「パ、パセリ! 1、2、3、アウト!」というわけである。

 これはシビれる。ぜひ一度試してみるとよろしい。なにしろラリーどころではない。いきなりネット際でボレーの応酬である。ノーガードの打ち合いである。全員の頭のなかに言葉のリストがずらりと並ぶ。ノンジャンルだからそのリストの長さも尋常ではない。そして凄まじい速さで検索される。瞬発しなければ、3秒しりとりには勝てないのである。

 しばらくまえにその中学時代の友人たちと顔を合わせたのだけれど、やはりというかなんというか、その後現在に到るまで、しりとりにはほとんど負けたことがないと皆言っていた。まあ、しりとりを本気でやる機会なんて滅多にないわけだけれどさ。

 そのときに感じたのは、僕が現在編集者として働き、文章を書くようなことを仕事にするうえで、あの中学時代の経験はとんでもなく役立っているのではないか、ということだ。

 少なくともその6人の中で、現在もっともあのときの経験を活かした仕事についているのが僕だった。とても幸運だと思う。

 ああ、やっと話がきっかけに戻ってきた。

 今日、昼飯を食った帰り道、職場の人間としりとりをやった。そのとき、例によってその場で新しいしりとりを思いついた。“言った言葉のジャンルが消えていくしりとり”だ。

 たとえば「ゴリラ」というと動物はもう言えなくなり、「ラッパ」というと楽器は禁止、「パセリ」で野菜が消える、という感じだ。言えば言うほどバリエーションが狭められていく感覚はとてもスリリングで、過去に僕が編み出したしりとりの中でも秀逸なものであるように思う。

 すぐに会社に着いたのでやめてしまったけれど、僕は歩きながら、これを中学時代の僕らに教えてあげたいなあ、なんて思っていた。

 そのことでも書いてみよう、と思っただけなのだ。

 ふう。

 にしても、やっぱりこれはないよな。こんなはずじゃなかったんだけどな。ホントに、こんなふうに常軌を逸脱するほど書き散らかすはずじゃなかったんだけどな。

 自由に、適当に、気楽に書こうと思ってたのに、なんだかぜいぜいしているよ。

 いや、ホント、ごめんなさい。これじゃまた本末転倒だ。

 次回からは適当にいくよ、オリタ君?

---------

これはもう10年近く前にネットで連載していた氏のコラムの一節です。何となく僕のブログの文章に面影というか影響が見える気がしませんか?

氏は最近特にこういったコラムは書いてらっしゃらないみたいですし、もっと言えば今の氏が書かれる文章が今の僕にフックするかどうかもわからないんですが、こういう「長さを感じさせない軽妙なコラム」が僕の理想なのは間違いないですね。

あとはこの2本ですかね。

・「ゼルダの伝説 時のオカリナ」インプレッション (Text by 風のように永田)
・45分間の疾走 ~地下鉄から始まった騒ぎの顛末~ (Text by 風のように永田)
http://www.geocities.co.jp/Playtown-King/4566/etc/gameetc/nagata1.html
※特にオススメは後者。

もしお暇なら目を通して見て下さい。きっと、「クリス、まだまだじゃん・・・」って思うと思うな~。

投稿: クリス | 2014年5月20日 (火) 00時25分

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